ドラゴンヘッド=龍頭(りゅうず)。人間の欲求・本能・自律神経などを司る脳の海馬体を切除された人間。恐怖をなくすためにこの手術を受ける。
ということは映画の中では詳しく説明されない。主人公のテル(妻夫木聡)とアコ(SAYAKA)が廃墟で出会う幼い兄弟がこの手術を受けていた。医師の母親によって手術されたこの兄弟は母親が死んでも涙一つ流さない。破滅後の世界を描くこの映画で、終盤、立ち上がってくるのは、感情をなくしてでも人は生きたいかというテーマだ。ようやくたどり着いた東京の地下で、テルは非常用保存食とされる缶詰を食べる人々の姿を見る。缶詰のラベルには(試)と記されており、これを食べることで感情がなくなってしまうのだ。「これうまいぞ、ほら」と缶詰を投げる根津甚八の姿は「マタンゴ」(1963年、本多猪四郎監督=註)を思わせた。言うまでもなく、「マタンゴ」は島に流れ着いた男女のグループがキノコを食べることで化け物になってしまうというホラー映画。飢えには耐えられず、グループは一人また一人とマタンゴ化していく。僕と同年代の飯田譲治監督はこの映画を見ているはずで、人が人でなくなっていく恐怖が脳裏に深くインプリンティングされているはずである。感情をなくすことは化け物になること、そして死ぬことと同義なのだろう。
望月峯太郎原作のコミックを映画化したこの作品、この部分だけが良く分かった。世界はなぜ破滅したのか、詳しい説明はない。地殻の変動で地磁気が狂い、それが地球に多大な変化をもたらしたとの仮説が提起されるだけである。修学旅行の新幹線の中でテルが目を覚ますと、列車はトンネルに閉じこめられ、クラスメートはほとんど死んでいた。何が起こったのか。テルと同じく生き残ったノブオ(山田孝之)は狂気すれすれの状態で、「赤い光を見た」と話す。トンネル内にはもう一人、足にけがをしたアコがいた。「僕たち、もうここで生きていくしかないんだよ」と迫ってくるノブオから命からがら逃れた2人はトンネルの外で絶望的な光景を目にする。そこから2人の地獄めぐりのような旅が始まる。
冒頭、延々と続く暗いトンネル内の描写が極めて手際が悪い。ようやくここを出たと思ったら、外も息が詰まるような状態。空は厚い雲に覆われ、白い灰が絶え間なく降っている。映画は最後までこの陰々滅々とした雰囲気に終始する。いくら破滅した世界だからといっても、これはあんまりで、破滅前の世界の描写を色鮮やかにインサートするとかの工夫が欲しかった。生き残った人々の多くが精神に異常を来しているという描写もそれを演じる俳優たちの演技も類型的である(狂気に陥った人が多いのは磁場の乱れが影響しているとの設定。そんなことがありうるのか)。初のウズベキスタンでのロケと、力を入れたと思われるVFXが見どころにならないのがつらいところ。飯田監督、どこかで計算が狂ったのではないか。「絶望、という未来」「ふたり、という希望」がこの映画のコピーだが、絶望は十分すぎるほどあるのに希望の描写が決定的に足りなかった。
【データ】2003年 2時間2分 配給:東宝
監督:飯田譲治 製作:平野隆 製作総指揮:浜名一哉 神野智 原作:望月峯太郎 脚本:NAKA雅MURA 斉藤ひろし 飯田譲治 撮影:林淳一郎 美術:丸尾知行 視覚効果デザイン:樋口真嗣 VFXプロデューサー:浅野秀二 VFXディレクター:立石勝 音楽:池頼弘 オリジナル・テーマソング:MISIA「心ひとつ」
出演:妻夫木聡 SAYAKA 山田孝之 近藤芳正 松重豊 奥貫薫 街田しおん 藤井かほり 嶋田久作 寺田農 根津甚八 藤木直人
ストーリー上は何の意味も持たない雨の中の斬り合いの回想シーンを入れたことを見ても、北野武の今回の狙いが斬新な殺陣にあったことは間違いないだろう。ポンプで血を噴き出させ、CGを加えたこの血しぶきの描写は北野武が参考にしたという黒沢明「椿三十郎」の三船敏郎と仲代達矢の決闘よりも、サム・ペキンパーの一連のアクション映画の血しぶきを思わせた。特に「戦争のはらわた」あたりのスローモーションを使った血しぶき。血がフワッと出てくる感じなのである(CGを使った血しぶきで困るのは斬った座頭市が返り血を浴びないことか)。切り傷にもCGを使ってあり、リアルである。この残酷な描写は例えば、「BROTHER」などの拳銃を使った残虐描写に似ており、いつもながらの北野武のアクション映画だなと思う。
ただ、今回少し違うのは演出が大きくエンタテインメントに振ってあることで、ガダルカナル・タカが3人の若者に剣術を教える場面でタイミングが狂って逆にボッコボコに殴られたり、ヤクザが刀を抜く際に仲間の腕を過って斬ってしまったりのユーモラスなシーンが多いし、ラストの下駄の集団タップダンス(ここにもCGがある)も観客サービスという感じである(その割にはこのタップダンス、あまり効果を挙げていない)。ユーモアと残虐がほど良い感じでブレンドされており、エンタテインメント性が高まったのはそのためだろう。
ストーリーはいつものように簡単なプロットと言うべきで、ある宿場町に来た座頭市と浪人夫婦(浅野忠信、夏川結衣)、盗賊に両親を殺され復讐に燃える姉弟(大家由祐子、橘大五郎)と町を取り仕切るヤクザが絡むが、ヒネリはほとんどない。オーソドックスな時代劇のエピソードを流用している。ストーリーよりも描写で見せるのは北野武映画の持ち味だけれど、エモーションが高まってこないので、中盤少しダレる要因にもなっている。描写でこれだけ見せる力がありながら、脚本に凝らないのは惜しいと思う。
勝新太郎版の「座頭市」をリアルタイムで見たのは89年の「座頭市」だけである。このあまり良い出来とは言えない映画の中で感心したのは勝新太郎の殺陣の凄さだった。クライマックス、ダイナミックに延々と続く殺陣だけがあの映画の大きな価値だった。北野武版「座頭市」も殺陣を中心に置いているのは先に書いた通り。ビートたけしに限らず、浅野忠信の速い殺陣も見事なもので、撮影前にかなり訓練を積んだことをうかがわせる。この2人の対決シーンはそれこそ「椿三十郎」のように一瞬で片が付く。残念なのは浅野忠信の役柄が完全な悪役ではなく、悲劇性を帯びていること。どうせなら病気の妻(夏川結衣)など持たせず、単なる金で動く凄腕の用心棒にした方がすっきりしたと思う。
【データ】2003年 1時間55分 配給:松竹
監督・脚本・編集:北野武 企画:斎藤智恵子 プロデューサー:森昌行 斎藤恒久 原作:子母沢寛 音楽:鈴木慶一 衣装監修:山本耀司 衣装:黒沢和子 撮影:柳島克己 美術:磯田典宏 タップダンス指導:The Stripes
出演:ビートたけし 浅野忠信 大楠道代 夏川結衣 ガダルカナル・タカ 橘大五郎 大家由祐子 岸部一徳 石倉三郎 柄本明
高専のロボットコンテストをテーマにした理数系の青春映画。「ウォーターボーイズ」などのスポ根映画のように落ちこぼれチームが勝っていく物語を古厩智之監督は淡々と端正に演出し、好感の持てる作品に仕上げた。クライマックスの全国大会は長回しで撮影しており、本当の大会のように思える出来。そこまでの物語を必要以上にドラマティックにせず、大会の場面で一気に盛り上げる演出はうまい。この大会の描写は出場するロボットのバラエティと試合内容の多彩さで面白い(手も足も出ないと思われた相手チームの「八の字積み」を攻略する手法に感心した)。しかし、一番の魅力は映画初主演の長澤まさみ。これまでの出演作(「クロスファイア」「なごり雪」「黄泉がえり」)ではほとんど印象がなかったが、この映画では何事にもやる気のなかった女の子が一転して競技に燃える姿を素直にさわやかに好演しており、これでブレイクしそうな感じがある。
映画で描かれるロボットコンテストは3つの台にラジコン操作のロボットで段ボールの箱を積む。2つの台を取れば勝ちだが、上に積み上げられると、相手の得点になる。これは昨年(2002年)の大会で実際に課題となった競技(「プロジェクトBOX」と言うらしい。NHKが絡んでいるからか?)。映画にも昨年の大会に出たロボットがいろいろ出てくる。
主人公の葉沢里美(長澤まさみ)は山口の徳山高専の生徒。冒頭、保健室でぼけーっとベッドに横たわっている姿は、高専生活で何も目的がないことを象徴している。里見はロボット作りの課題でも手抜きをして担任教師(鈴木一真)から1カ月の居残り授業かロボット部への入部かを迫られる。入部させられたのは第2ロボット部。部員の多い第1ロボット部と違って、部員は部長の四谷(伊藤淳史)と設計担当の航一(小栗旬)、組み立て担当でほとんど幽霊部員の竹内(塚本高史)の3人だけである。練習試合では第1ロボット部にあえなく敗れ、馬鹿にされる始末。中国地区大会でも初戦敗退するが、ロボットのユニークさを評価されて全国大会に出場することになる。4人は旅館で働きながら合宿してロボットを改良。里美は俄然やる気を出し、他の3人も大会に向けて一丸となる。
部員たちのキャラクターを徐々に鮮明にしていく演出は確かなもので、やる気がなかったり、内気だったり、いい加減だったり、ニヒルだったりしていた生徒たちが、競技を通じて変化していく姿を自然に見せる。4人の好演と相俟って、気持ちのいい展開である。特に木訥な感じをうまく表現した伊藤淳史に感心した。長澤まさみは笑顔が良く、合宿に行く途中のトラックの荷台で「夢先案内人」を歌うシーンや、4人でラーメンをすすりながら「ずっときょうが続けばいいのにね」とポツリと言うシーンなど良い感じである(そこを特に強調しない演出もいい)。役者ではこのほか、「ピンポン」でも独特のセリフ回しで笑わせた荒川良々(よしよし)が第1ロボット部の部長の役でまたまたおかしい。
生徒たちをデフォルメしてカラリとしたコメディに徹した「ウォーターボーイズ」も僕は好きだが、古厩監督の淡々とした演出も悪くない。ただ、淡々とした分、メリハリに欠ける面はあるし、1時間58分の上映時間も少し長い気がする。1時間40分程度にまとめると、もっと締まったのではないかと思う。
【データ】2003年 1時間58分 配給:東宝
監督:古厩智之 製作:富山省吾 製作統括:植田文郎 古川一博 小松賢志 チーフプロデューサー:鈴木律子 製作協力:NHKエンタープライズ21 音楽:パシフィック231 エンディングテーマ:Wack Wack Rhythm Band+こずえ鈴「Saturday Night」 撮影:清久素延 美術:金勝浩一
出演:長澤まさみ 小栗旬 伊藤淳史 塚本高史 うじきつよし 荒川良々 平泉成 吉田日出子 須藤理彩 鈴木一真
同じスタッフ、キャストで作った2年ぶりの続編。前作は野村萬斎のセリフ回しと存在感が強烈だった。映画の出来はそれほどでもなかったが、野村萬斎だけで満足できた。今回は逆である。いや、セリフ回しや横目でにらむ野村萬斎の存在感は今回も健在なのだが、クライマックスの踊りのシーンでがっかりさせられる。原作者で脚本にも加わっている夢枕獏はこの2作目について「萬斎さんにたっぷり踊ってもらいたい。それだけだったんです」とパンフレットで語っている。前作のクレジットで流れた野村萬斎の踊りが気に入ったのだという。僕は前作のクレジットの部分だけ何とかならないのかと思ったので、これとは正反対の意見である。
そのクライマックスは天岩戸に隠れた(死んだ)日美子(深田恭子)を甦らせるために安倍晴明(野村萬斎)が女装して舞うというもの。天岩戸神話をなぞった展開なのだが、いくらなんでもアメノウズメの舞を女装した晴明にさせることはないだろう。巫女の姿をして紅を塗る晴明はちょっと勘弁してほしい。加えて、この踊りがどう影響して日美子が姿を現すのか、その理由が説明されない。ただ単に神話をなぞっただけである。今回は話自体が神話を基にしたものではあるけれど、神話そのものではないのだから、ここはちゃんとした説明が必要だろう。神話ではこうなるからこうなるのだ、ではお話にならない。
京の町では夜な夜な鬼が現れて貴族たちを襲い、その体の一部を食う事件が起こっていた。藤原安麻呂(伊武雅刀)の家で鬼封じの儀式に列席した源博雅(伊藤英明)は安麻呂の娘で男勝りの日美子(深田恭子)に目を奪われる。日美子は夜になると、夢遊病のようにさまよい歩くが、本人はそのことを憶えていない。鬼の事件に日美子がかかわっているのではないかと恐れた安麻呂は安倍晴明(野村萬斎)に調査を依頼する。鬼はこれまでに6人を犠牲にして、体の違う部分を食らっていた。晴明は封印されたヤマタノオロチの力を解き放つために何者かが天岩戸神話にかかわる子孫を襲っていることを突き止める。鬼の正体は博雅と最近知り合った少年・須佐(市原隼人)だった。須佐の腕には日美子と同じ謎の印があった。須佐は、不思議な力を持ち庶民から神と敬われている幻角(中井貴一)に操られていた。
話としては悪くないが、映画を見ると、何だか簡単なものだなと思えてしまう。前作は第1作だけに色々な小さなエピソードが描かれたが、今回はこの話だけである。広がりがないのはそのためか。VFXは取り立てて優れているわけではないし、語り口も普通。要するに凡作なのである。個人的には安倍晴明はスーパーヒーローであってほしいと思う。しかし、夢枕獏も監督の滝田洋二郎も晴明をそうは描いていないし、描くつもりもなかったようだ。博雅の笛の音が今回も大きな役割を果たし、晴明の危機を助ける場面がある。前作でもちょっと不満だったクライマックスにVFXの炸裂がない。晴明の踊りはクライマックスを支えるだけの見せ場になっていない。敵の設定は考えてみると、かわいそうな被害者であり、凶悪な存在ではないから、何だか同情してしまう(これが一番の敗因かもしれない。凶悪で強力な敵がほしいところなのである)。と、不満ばかりが出てきてしまう。パッケージングは面白そうに思えるのに、物語の詰めが足りなかったようだ。
【データ】2003年 1時間55分 配給:東宝
監督:滝田洋二郎 製作総指揮:植村半次郎 企画:近藤晋 製作:瀬崎巌 近藤邦勝 気賀純夫 江川信也 島谷能成 門川博 二宮清隆 原作:夢枕獏 脚本:滝田洋二郎 夢枕獏 江良至 撮影:浜田毅 キービジュアル・コンセプトデザイン:天野喜孝 美術:部谷京子 音楽:梅林茂 VFXスーパーバイザー:石井教雄 特撮監督:尾上克郎 特殊メイク・造型:原口智生
出演:野村萬斎 伊藤英明 今井絵理子 中井貴一 深田恭子 古手川裕子 市原隼人 鈴木ヒロミツ 山田辰夫 伊武雅刀