半落ち

「半落ち」パンフレット原作に忠実な作りで前半はあまり感心する部分もないなと思いながら見ていた。原作は取り調べに当たる刑事・志木や検事・佐瀬のハードなキャラクターにも面白さがあったが、柴田恭平、伊原剛志ではやや軟弱な感じがあるのだ。しかし、クライマックスで佐々部清得意の演出が炸裂する。梶総一郎(寺尾聰)が妻を殺すに至った経緯と殺してからの2日間の秘密が法廷で明らかになる場面。それまでの抑えた演出とは打って変わって佐々部清はここを情感たっぷりに演出する。アルツハイマーの妻役・原田美枝子の自然な演技と樹木希林の熱演が加わって胸を打つ場面になっている。こういう大衆性が佐々部清の利点と言えるだろう。このあたりからおじさん、おばさんが詰めかけた場内はすすり泣きである。

ただ、クライマックスの人を動かす演出に感心しながらも、全体としては凡庸な部分も目に付く。映画にゲスト出演している原作者の横山秀夫は「映画『半落ち』はですから、佐々部監督率いる『佐々部組』の『読み方』であり『感じ方』であるということができます」と書いている。その通りで、これは佐々部清の解釈なのであり、題材を自分に引き寄せた映画化なのである。佐々部清はミステリーよりも人情の方に重点を置いた。というか、これまでの2作「陽はまた昇る」と「チルソクの夏」を見ても、そこに重点を置くしかなかったのだと思う。それが悪いとは思わないし、大衆性を備えたことによってこの映画はヒットしているのだから、勝てば官軍ではあるのだが、割り切れない部分も残る。佐々部清は自分流の演出で映画を成功させたけれど、同時に一通りの演出法しか持っていないという限界も見せてしまったようだ。

現役の警部・梶総一郎(寺尾聰)が妻を殺したとして自首してくる。梶の妻はアルツハイマー病で、急性骨髄性白血病で死んだ息子を忘れないうちに殺してくれと頼んだ結果の嘱託殺人だった。しかし、梶が妻を殺してから出頭してくるまでに2日あった。この2日間に何があったのか。志木和正(柴田恭平)の取り調べに対して梶は口を閉ざす。現役警部の犯罪に慌てる県警上層部はこの2日間を「自殺するために県内をさまよっていた」とねつ造するよう志木に命じる。原作は刑事、検察官、新聞記者、弁護士、裁判官、刑務官の6人の視点から語られる。映画は一番最後の刑務官を登場させず、裁判の場面にクライマックスを持ってきた。上映時間が限られる以上、この脚本(田部俊行、佐々部清)の処理は仕方がないが、残念なのは警察と検察の裏取引や記者(原作とは違って女性=鶴田真由にしている)と警察の駆け引きが通り一遍の描写になってしまったことと、弁護士や裁判官のキャラクターの掘り下げが(國村隼、吉岡秀隆の好演を持ってしても)足りないことだ。十分に描く時間がないなら、もう少しスッキリとまとめた方が良かっただろう。

映画の本筋は骨髄移植とアルツハイマーを通した命の絆や「誰のために生きるのか」という問いかけ、魂を失った人間は生きているのか死んでいるのかという設問にあるのだから、こうした部分をもっと前面に持ってきた方が良かった。同時に梶が妻を殺さなければならなかった苦悩も描き込む必要があった。深刻な顔をし続ける寺尾聰だけでは弱いのである。

僕は佐々部清の演出が嫌いではない。1、2作目を手堅くこなした後の3作目の今回はホップ・ステップ・ジャンプになるはずが、ホップ・ステップ・ステップにとどまったなという印象がある。次作では本当のジャンプになることを期待したい。

【データ】2004年 2時間2分 配給:東映
監督:佐々部清 プロデューサー:中曽根千治 小島吉弘 菊池淳夫 浜名一哉 長坂勉 原作:横山秀夫 脚本:田部俊行 佐々部清 撮影:長沼六男 音楽:寺嶋民哉 美術:山崎秀満 主題歌:森山直太朗「声」
出演:寺尾聰 原田美枝子 吉岡秀隆 鶴田真由 國村隼 伊原剛志 嶋田久作 斎藤洋介 中村育二 西田敏行 本田博太郎 田山涼成 岩本多代 奥貫薫 高橋一生 高島礼子 田辺誠一 石橋蓮司 井川比佐志 奈良岡朋子 柴田恭平

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嗤う伊右衛門

Eternal Love

「嗤う伊右衛門」パンフレット「恨めしや、伊右衛門さま」。隠亡堀で再会した伊右衛門(唐沢寿明)に岩(小雪)がつぶやく。これほど「恨めしや」が逆説的に響く映画はないだろう。岩は愛する伊右衛門のために自ら身を退いて家を出た。伊右衛門は上司の与力・伊東喜兵衛(椎名桔平)の命令で伊東の愛人・梅(松尾玲央)を妻に迎えるが、形式的な夫婦である。しかし、子供だけは、自分の血を分けた子供ではないのに大切にしている。なぜか、というのが映画の中核をなすもので、自分は身を退いたのに未だに自分を愛して、民谷家を守るだけで幸せにはなっていない伊右衛門の姿が岩には「恨めしい」のである。従来の「四谷怪談」なら恐怖の絶頂となるこのシーンを究極の愛の姿に変えた演出は素晴らしい。それにも増して小雪の演技が素晴らしい。顔に大きなアザを持ちながら、心に澱んだところがなく、前向きにまっすぐに強く生きていく女性を演じて「ラスト・サムライ」以上の充実感がある。

京極夏彦の原作は7年前、発売と同時に読んだ(直木賞の候補にもなった)。印象に残っているのは、澱んだドブ川のようなどす黒い心を持つ伊東の極悪人ぶりである。原作は「四谷怪談」を語り直したもので、岩のアザは伊右衛門に毒薬を飲まされたためではなく病気のためで、伊右衛門はもちろん宅悦(六平直政)や直助(池内博之)も悪人ではない。境野伊右衛門は切腹を命じられた父親の介錯をした後、浪人に身を落とした。御行の又市(香川照之)から民谷家への婿入り話を持ちかけられ、岩の顔を見ることなく、夫婦となる。最初はふとした感情の行き違いからののしり合うが、次第に伊右衛門は岩のまっすぐな心情を理解し、互いに愛し合うようになる。かつて岩を差し出すように岩の父親(井川比佐志)に命じていた伊東にはこれが面白くない。伊東は奸計を企て、岩と伊右衛門の仲を引き裂く。

「魔性の夏」以来23年ぶりの「四谷怪談」の映画化となる監督の蜷川幸雄は筒井ともみの脚本を得て、原作にほぼ忠実な映画に仕上げた。御行の又市が宅悦と棺桶をかついで走るシーンの夕陽に染まった赤い画面や伊東の屋敷にある大きな壺に挿された紅葉など演劇的な要素も盛り込まれているのだが、それ以上に蜷川幸雄は3作目にして代表作と呼べる映画を監督したなという感じである。俳優たちの一人ひとりがくっきりと描き分けられ、緊張感を伴うドラマを展開していく。

ただ、贅沢を言わせてもらえば、純愛の描写が少し足りないと思う。このためクローネンバーグ「ザ・フライ」のようにグロテスクでも純愛というほどテーマが昇華してはいない。描き方にもよるのだが、直助が自分の顔の皮を剥ぐシーンやクライマックスの殺伐とした復讐シーンはもう少しあっさりしていても良かったのではないか。

【データ】2004年 2時間8分 配給:東宝
監督:蜷川幸雄 エグゼクティブ・プロデューサー:角川歴彦 企画:江川信也 プロデューサー:中川好久 道祖土健 椿宜和 前田茂司 原作:京極夏彦 脚本:筒井ともみ 音楽:宇崎竜童 撮影:藤石修 美術:中澤克巳
出演:唐沢寿明 小雪 香川照之 池内博之 六平直政 松尾玲尾 清水沙映 MAKOTO 井川比佐志 新川将人 妹尾正文 大門伍朗 冨岡弘 谷口高史 浜口和之 藤村志保 椎名桔平

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この世の外へ クラブ進駐軍

Out of This World

「この世の外へ クラブ進駐軍」パンフレット主人公の父親役で楽器店を営む大杉漣がリヤカーにオルガンを積んでいる。「ああ、ちょっと上げて。もういいですよ、下げて」と言ってオルガンを積み終えた大杉漣は「どうもすいません。通りすがりの人に」と礼を言うのだった。この場面、もう一度繰り返され、おかしさを煽る。あるいは、新宿のバーでジャズバンド「ラッキーストライカーズ」の面々に客の復員兵がいちゃもんを付け、険悪な雰囲気になる場面。カットが切り替わると、彼らは一緒に肩を組んで演歌を歌っている。この場面も2度繰り返される。こういう場面を見ると、阪本順治の細部の描写のうまさが際だっていることが良く分かる。「この世の外へ クラブ進駐軍」はそうした描写の積み重ねで戦後の日本の一断面を切り取った映画だ。阪本順治は米同時テロをきっかけにこの映画の製作を決めたそうだ。エキストラとして出てくる米兵の中には映画撮影の後、イラク戦争に行った者もいるという。暗い世相がジャズや歌謡曲によって癒されるように、戦後の日本は復興の道を歩んだ。それとは裏腹に米兵たちはまた別の戦争に行かなければならない。ジャズを楽しめるのが「この世」であり、「その外へ」行くとは戦争へ行くことなのだと思う。

実際、この映画に出てくる戦後の焼け跡や闇市の様子はここしばらく日本映画では描かれなかったことで、非常に新鮮さとリアルさを感じる(かなり力を入れた造型である)。そこに住み、生きる人々の顔つきもいかにも戦後の日本人という感じであり(オーディションでそういう古風な顔つきの人を選んだそうだ)、当時の様子が詳しく再現されている。主人公の広岡健太郎(萩原聖人)はフィリピンのジャングルで終戦を知らせるビラと飛行機から流れるジャズ(「A列車で行こう」)を聞く。健太郎は復員後、ジャズバンドを組んで進駐軍の基地で演奏することになる。広岡は一応の主人公ではあるけれど、阪本順治の狙いは主人公の生き方などではなく、ジャズバンドの仲間(オダギリジョー、松岡俊介、村上淳、MITCH)や米兵たちのそれぞれの生き方を描いて、群像劇のような趣を出し、戦後そのものを描くことにあったのだろう。歌手を演じる前田亜季やパンパンの高橋かおり、ストリッパーの長曽我部蓉子などの女優にもそれぞれにいいエピソードが与えられている。その意味では非常に充実した描写のある映画である。

そうした描写のうまさに比べると、話の展開はそれほどうまくない。ラッキーストライカーズは禁じられた「ダニーボーイ」を演奏したことで、基地への出入りを禁じられ、他の事情も重なってバラバラになっていく。「ダニーボーイ」の演奏が禁止なのは軍曹ジム(ピーター・ムラン)が事故で亡くした息子ダニーを思い出してしまうからだ。バンドは仲間の死をきっかけに再び結集し、基地で演奏することになる。そこで歌うのは朝鮮戦争で死んだ米兵ラッセル(シェー・ウィガム)が作った「Out of This World(この世の外へ)」であり、「ダニーボーイ」である。この部分があまりうまくない。バラバラになっていく過程が簡単すぎるし、ジムが「ダニーボーイ」をリクエストする心情もよく伝わってこない。いやもちろん、朝鮮戦争への出征を命じられ、ピストル自殺をしようとした若い米兵をなだめる意味があるのは分かるのだが、それと自分の息子の思い出につながる「ダニーボーイ」のリクエストとの間にあまり説得力がないのである。ここは物語のポイントになる部分なので、もっと緻密に描く必要があっただろう。

【データ】2004年 2時間3分 配給:松竹
監督:阪本順治 企画・原案:KИHO 企画アドバイザー:内野二朗 プロデューサー:椎井友紀子 アソシエイト・プロデューサー:相原裕美 音楽:立川直樹 撮影:笠松則通 美術:原田満生 衣装:岩崎文男
出演:萩原聖人 オダギリジョー MITCH 松岡俊介 村上淳 前田亜季 高橋かおり 真木蔵人 池内万作 大杉漣 田中哲司 根岸季衣 風間舞子 田鍋謙一郎 中沢青六 徳井優 長曽我部蓉子 つぐみ 阿部美寿穂 蜷川みほ 川屋せっちん 小倉一郎 光石研 哀川翔

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ゼブラーマン

「ゼブラーマン」パンフレット「この格好でジュース買いに行っちゃおうかな」。ゼブラーマンのコスチュームを身に着けた市川新市(哀川翔)がつぶやく。コスチュームは自分でミシンで縫ったものである。昭和53年に視聴率低迷のため7話で打ち切られた「ゼブラーマン」の絶大なファンである主人公は大人になってもゼブラーマンに憧れている。小学校の教師だが、生徒からは馬鹿にされ、そのため息子はいじめられている。娘は援助交際しているらしいし、妻は不倫しているらしい。映画は序盤、スーパーヒーローものの冗談のような展開なのだが、やがて本気になり、ダメな父親、ダメな先生だった主人公が復権し、スーパーヒーローが誕生して宇宙人を撃退するまでを描く。M・ナイト・シャマラン「アンブレイカブル」に通じる映画であり、観客をハッピーにさせる意味ではそれを超えている。

これは監督の三池崇史の趣味というより、脚本の宮藤官九郎の思い入れなのだろう。と思ったが、パンフレットを読むと、三池崇史が手を入れた部分もかなりあるらしい。考えてみれば、1960年生まれの三池崇史もまた、スーパーヒーローものを見て育った世代なのである。「先生、聞きたいことがあるんです。…先生はゼブラーマンじゃないんですか」。鈴木京香が主人公に尋ねるセリフはなんだか「ウルトラセブン」を思い起こさせた。ちょっぴり冗長な部分はなきにしもあらずだが、僕は面白かった。“Anything Goes”願えばかなう、という字幕が最初に出て、映画はその通りの展開をしていく。そういう真正面から言われると恥ずかしくなるようなことを、スーパーヒーローものの設定を借りて言っている力強さがこの映画にはあり、本筋は非常にまともである。これが見ている人を熱くさせる理由なのだろう。

2010年の横浜市八千代区が舞台。巨大ザリガニが現れたり、1万頭のアザラシが川をさかのぼったりと、八千代区では最近おかしなことが起こっている。ゼブラーマンのコスチュームを着けて夜にこっそり外出した主人公はカニのマスクを着けた男が女を襲っている現場に出くわし、なぜか不思議な力を発揮してカニ男をたたきのめす。この街には地球侵略を企む宇宙人が密かに侵入し、人間に寄生していたのである。この動きを察知した防衛庁は2人の職員を派遣し、調査を開始する。映画はやはりゼブラーマンのファンである小学生の浅野とその母・可奈(鈴木京香)と主人公の交流を挟みつつ、宇宙人を撃退するゼブラーマンの活躍を描いていく。

スーパーヒーローになぜあんなコスチュームが必要なのか、現実世界にはまるで合わないのではないかという疑問が実はスーパーヒーローものにはつきもので、「バットマン リターンズ」でティム・バートンはそのあたりまで描いて見せた。しかし、この映画を見ると、人はコスチュームを着けることで別人になれるという効果があるのが分かる。ゼブラーマンがなぜ、あんな力を持てるのか、映画では詳しく説明されないけれど、それでもいいんだ、ヒーローになったんだからという説得力が十分にあるのだ。と、書いたことに反するようだが、個人的な解釈をさせてもらえば、主人公にはもともとゼブラーマンの能力があったのだと思う。ゼブラーマンのテレビの内容通りに事態が進行するということは30年以上前に映画の重要な人物でもある脚本家が事態を予知していたためだろう。主人公はゼブラーマンのコスチュームを身につけたから超能力を得たのではなく、自分がゼブラーマンであることを知らずに、ゼブラーマンの熱狂的なファンになっていたわけだ。「アンブレイカブル」は普通の男がスーパーマンであることに気づき、自分の使命を果たすことで充実感を得るという物語だったが、この映画の主人公はコスチュームを身につけることで自分の力に覚醒することになる。その意味で「その者、青き衣を纏いて…」の伝説を具現したナウシカにも通じるものがあるだろう。

テレビの「ゼブラーマン」は空を飛べなかったために宇宙人に負け、人類は支配されてしまう。そのためもあって主人公は飛ぶことに執着する。何度も何度も飛ぶことに挑戦し、傷だらけになる。だからようやくゼブラーマンが校舎の屋上から落ちた浅野を助けるために空を飛ぶシーンは「E.T.」の自転車が空を飛ぶシーンに近い感動がある。「俺の背中に立つんじゃねえ」「白黒つけるぜ」という序盤に出てきたセリフはクライマックスに熱を込めて繰り返される。宮藤官九郎の脚本はスーパーヒーローものの約束事を微妙に外して話を組み立て、「盗まれた町」のアイデアを取り入れながら、ユーモアたっぷりに仕上げてある。主演の哀川翔は硬軟織り交ぜた演技で主演100本目にふさわしい出来。鈴木京香のゼブラナースのコスチューム(絶品!)に驚き、渡部篤郎の防衛庁の役人の面白いキャラクターにも感心させられた。志の低いパロディにしなかったスタッフと出演者を賞賛したい。

【データ】2004年 1時間55分 配給:東映
監督:三池崇史 エグゼクティブ・プロデューサー:黒沢満 平野隆 プロデューサー:岡田真 服部紹男 脚本:宮藤官九郎 撮影:田中一成 音楽:遠藤浩二 主題歌:ザ・ハイロウズ「日曜日よりの使者」 美術:坂本朗 CGIプロデューサー:坂美佐子
出演:哀川翔 鈴木京香 市川由衣 近藤公園 安河内ナオキ 三島圭将 渡辺真起子 徳井優 田中要次 内村光良 麻生久美子 袴田吉彦 古田新太 柄本明 岩松了 大杉漣 渡部篤郎

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