同じサム・ライミ監督による2年ぶりの続編。ダニー・エルフマンの音楽に乗って、前作のストーリーをイラストで見せるオープニングがいい感じである。前作の話をそのまま引きずっており、スパイダーマンことピーター・パーカー(トビー・マグワイア)とMJことメリー・ジェーン・ワトソン(キルステン・ダンスト)の恋の行方と、グリーン・ゴブリンだった父親(ウィレム・デフォー)を殺され、スパイダーマンに復讐心を燃やすハリー・オズボーン(ジェームズ・フランコ)のドラマを軸にしている。これに絡めて、核融合実験の失敗から機械のアームを持つ怪人ドック・オクとなった科学者ドクター・オクタビウス(アルフレッド・モリーナ)とスパイダーマンの対決が描かれる。
前作は「大いなる力には大いなる責任が伴う」というテーマを抱えながらも、ドラマ部分が軽かったのが不満だったので、ドラマ重視の作りは悪くない。高層ビルの壁面で展開されるアクションなどVFXも充実している。十分に面白いことを認めた上で不満な点を書くと、主人公の悲壮感が決定的に足りないと思う。どうもスパイダーマンとして生きる主人公の苦悩が響いてこない。その苦悩とはMJへの思いである。MJが自分と親しくなれば、悪いやつらから狙われる。だからパーカーはMJに思いを打ち明けられない、というわけだ。
このほかパーカーが家賃の支払いを迫られたり、仕事や大学の講義に遅刻したり、伯母が銀行からの融資を断られたりするエピソードがあるけれど、こうしたエピソードがスーパーヒーローものに必要だったかどうか疑問に思う。もちろん、サム・ライミは人間的な部分を強調したいがためにこうしたエピソードを入れたのだろうが、これはスーパーヒーローのキャラクター形成方法としてはほとんど間違っているとしか思えない。
宿敵ワルダスターを倒すために民間人を巻き添えにした「宇宙の騎士テッカマン」とか、近いところで言えば、地球生態系を守るために人間の犠牲をも厭わない「ガメラ3 邪神覚醒」のガメラの設定を見習って欲しいところだ。こういう悲壮な決意を持つ孤高のヒーローに比べると、サム・ライミのスパイダーマンはいかに表面で深刻な問題を抱えていても根底にはアメリカらしい脳天気さがある。スパイダーマンはNYの人々からスーパーマンのように正義の味方として認知されており、人々に理解されない孤高のヒーローではない。登場人物が深刻に悩んでいても基本的に明るいのはライミの資質が影響しているのかもしれない。僕のスパイダーマン原体験が平井和正原作、池上遼一作画の悲壮な スパイダーマン(このコミックは現在、メディアファクトリーから再刊中だ)にあるので、そういう部分に不満を感じてしまう。
主人公はスパイダーマンであることをそのコスチュームとともに一度は捨て去るが、伯母の言葉とMJをドック・オクにさらわれたことで復帰を決意する。このエピソードは「スーパーマンII 冒険篇」などを参考にしたのだろう(ロイス・レーンと結婚するためにスーパーマンの能力を捨てたクラーク・ケントは街のチンピラに叩きのめされたことと、スーパー3悪人が行っている悪行を見て復帰を決意する)。「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉は「大いなる力」を持った者は不用意にそれを捨てることは許されないという意味もあるのだと思う。スーパーヒーローには個人の幸せよりも社会の平和を優先する義務があるのだ。
クライマックス、ドック・オクがブレーキを壊したために暴走した列車をスパイダーマンが身を挺して止める場面は、それを象徴している場面と言える。ここでスパイダーマンは前作同様、マスクを脱ぎ去る。そしてMJにもハリーにも素顔をさらすことになる。明らかに第3作が作られそうなラストの処理だが、スパイダーマンの苦悩の一つが解決したことで、この路線での第3作は相当に脚本を練らないと難しいような気がする。バットマンシリーズのように第3作ではそういう部分をばっさり切り捨てて映画化することもできるが、それではあまりにも芸がない。サム・ライミ、次が正念場だ。
【データ】2004年 アメリカ 2時間7分 配給:ソニー・オイクチャーズ・エンタテインメント
監督:サム・ライミ 製作総指揮:スタン・リー ジョセフ・M・カラッシオロ ケヴィン・フェイグ 製作:ローラ・ジスキン アビ・アラド 原案:スタン・リー スティーブ・ディッコ 脚本:アルヴィン・サージェント ストーリー:アルフレッド・ゴー マイルズ・ミラー マイケル・ジェイボン 撮影:ビル・ポープ 美術:ニール・スピサック 視覚効果デザイン:ジョン・ダイクストラ 衣装デザイン:ジェームズ・アシェソン 音楽:ダニー・エルフマン
出演:トビー・マグワイア キルスティン・ダンスト アルフレッド・モリーナ ジェームズ・フランコ ローズマリー・ハリス ドナ・マーフィー J・K・シモンズ ダニエル・ギリース
前半はこれまでの2作と同工異曲で退屈だが、2種類の狼男と時間テーマが絡む後半の展開にちょっと感心した。2作目では目立たなかったハーマイオニー(エマ・ワトソン)が今回、大活躍するのもいい。ただし、これまでの2作より小味な感じがする。スケール感がないのだ。上映時間が2時間22分と最も短いことが影響しているのではなく(子ども向けなのだからもっと短く、1時間30分程度でいい。前半の描写には無駄が多いと思う)、ハリー・ポッター(ダニエル・ラドクリフ)が戦う敵のスケールが小さいのだ。というか、今回、悪役らしい悪役は1人だけではないか。しかも本筋の敵ではない小悪人であるから、何だか物足りない。子ども向けの丁寧なファンタジーではあるが、大人を満足させるほどの出来にはなっていない。第1作が公開されたころは、同じファンタジーということで「ロード・オブ・ザ・リング」と比べられたが、今となっては「ロード…」と比較すべくもない。
アズカバン牢獄から凶悪な囚人シリウス・ブラック(ゲイリー・オールドマン)が脱獄する。ブラックはハリー・ポッターの両親をヴォルデモード卿に引き渡し、死に追いやった張本人で、今度はハリーの行方を追っているらしい。ホグワーツ魔法学校のダンブルドア校長(マイケル・ガンボン)は学校にアズカバンの看守ディメンダーを呼び寄せ、警護に当たらせる。しかし、ブラックは密かに学校に近づいていた。
まるで死に神のようなディメンダーの存在は面白い。これは看守とはいっても善玉ではなく、魂を吸い取る悪の存在にもなりうるらしい。VFXはこのディメンダーのほか、馬と鳥を組み合わせたようなバックビーク、狼男などよくできている。ロン役のルパート・グリントを含めて主役の3人は1作目からすると、随分成長した。この3人には好感が持てるので、原作とは離れてもいいから3人の成長を生かしたシリーズにしてほしいと思う。
監督はクリス・コロンバスからアルフォンソ・キュアロン(「天国の口、終りの楽園。」)に代わった。キュアロンはシリーズのテイストを残しつつ独自のものを出したかったのかもしれないが、独自の味わいを出すまでは至っていない。シリウス・ブラック役のゲイリー・オールドマン、トレローニー先生を演じるエマ・トンプソンとも演技派だが、この映画では特に評価すべきところはなかった。それはおなじみのアラン・リックマンやマギー・スミスにも言え、この映画、俳優が豪華な割にはそれを生かし切れていない。
【データ】2004年 アメリカ 2時間22分 配給:ワーナー・ブラザース映画前作は“政治的に正しい”おとぎ話にギャグとパロディを散りばめた作りだったが、ラストに納得はするものの、あれで本当に幸せだったのかどうか疑問も残った。フィオナ姫の魔法が解けてみたら、絶世の美女になるのではなく、怪物になってしまったからだ。このオチは意外ではあるし、人は外見じゃないよというのは分かるのだが、どうもめでたしめでたしという感じではない(もちろん、製作者たちはそんなことを狙ってるわけではないだろう)。いや、美女になったら幸せで、怪物になったら不幸と考えるのは政治的に正しくないし、製作者たちのシニカルな視点も分かるのだけれど、一般大衆の感覚からは離れている。今回はその疑問を払拭するような話である。ラストでフィオナ姫は能動的にある選択をする。前作との違いはここにある。他人まかせではなく、自分の意思で決める。そこに心地よさがあり、人は外見じゃないという主張も説得力を増すのだ。大衆性にシフトしたからこそ、アメリカでは前作以上にヒットしたのだろう。
前作以上にギャグとパロディが散りばめられている。子どもを無視して、その親の世代をターゲットにしたようなパロディも多い。優れたパロディは元ネタが分からなくても笑えるものだが、この映画のパロディもそのようで、子どもは大笑いしていた。今回の新キャラクターである長靴をはいた猫がシュレックの洋服の下から飛び出すのは「エイリアン」だし、終盤に登場する巨大クッキーマンは「ゴーストバスターズ」のマシュマロマンを彷彿させた。ついでに書くと、馬車から出てきたシュレックとフィオナ姫を見て、待ち受けた人々が唖然とした表情を見せるのは個人的には「新・猿の惑星」のコーネリアスとジーラが宇宙船から降りてきたシーンを思い出さずにはいられない。ドンキーが「ローハイド」のテーマを歌ったりして、出てくるパロディは年季が入っている。すべったギャグがないのも立派なものである。
ドリームワークスの3DCGアニメは「ファインディング・ニモ」などのピクサーより表現がリアルだ(ピクサーはわざと漫画映画っぽい表現を残している節がある)。このリアルさがキャラクターの表情の細かいリアクションにつながっており、シュレックとフィオナ姫にまとわりつくドンキーの絡みをはじめ、実写以上にキャラクターの表情が豊かである。あと、感心したのはクライマックスのミュージカルシーン。アレンジした「ヒーロー」とともに展開するこのシーンは、本当に楽しい。ミュージカルが血肉となった国のアニメでなければ、こういう楽しさは表現できないだろう。
僕が見たのは日本語吹き替え版。前作同様、シュレックは濱田雅功、フィオナ姫を藤原紀香、ドンキーを山寺宏一が吹き替えている。シュレックの関西弁も悪くない。長靴をはいた猫は竹中直人。
【データ】2004年 アメリカ 1時間33分 配給:UIP
監督:アンドリュー・アダムソン ケリー・アベズリー コンラッド・バーノン 製作:アーロン・ワーナー デヴィッド・リップマン ジョン・H・ウィリアムス 製作総指揮:ジェフリー・カッツェンバーグ 脚本:アンドリュー・アダムソン ジョー・スティルマン J・デヴィッド・ステム デヴィッド・N・ウェイス 脚色:アンドリュー・アダムソン 原作:ウィリアム・スタイグ 音楽:ハリー・グレグソン・ウィリアムス 音楽監修:クリス・ドゥリダス
声の出演(カッコ内は日本語吹き替え版のキャスト):マイク・マイヤーズ(濱田雅功)エディ・マーフィ(山寺宏一)キャメロン・ディアス(藤原紀香)ジュリー・アンドリュース アントニオ・バンデラス(竹中直人) ジョン・クリース ルパート・エベレット ジェニファー・ソーンダース ラリー・キング ジョン・カビラ
アーサー王伝説を「トレーニング デイ」「ティアーズ・オブ・ザ・サン」のアントワン・フークア監督が映画化。ジョン・ブアマン「エクスカリバー」のような剣と魔法のファンタジーを期待したら、魔法の部分はさっぱりなく、剣が中心の活劇映画になっていた。「エクスカリバー」は15世紀にまとまったトーマス・マロリー「アーサー王の死」を基にしていたのに対して、この映画はアーサー王伝説そのものを取り上げているからだ。だから、魔術師マーリンは魔術師ではなく、ローマ帝国に反逆するブリテン人のリーダーであり、円卓の騎士たちの聖杯を求める旅のシーンもない。だからといって、つまらないかというと、そんなことはなく、中盤までは傑作と思った。いや、物語に入るまでの序盤の処理はあまりうまくないので、中盤はとても面白かったと言うべきか。「ロード・オブ・ザ・リング」には負けていても、この中盤があるだけで「トロイ」には十分勝っている。ジェリー・ブラッカイマー製作の映画にしては珍しく、骨太の映画に仕上がっている。
中盤、アーサーたちは最後の任務でハドリアヌス城壁を越えて、北の地方にいる一家を助けに行く。そこでアーサーたちが見たのはキリスト教の布教を理由に現地の人々を苦しめる愚かな司祭。アーサーは懲罰を受けている長老を助け、閉じこめられた蛮族ウォードの女と子どもを救出する(ここでようやくヒロイン、キーラ・ナイトレイが登場するのだった)。自由と平等をローマ人の司祭から教わったアーサーはここで行われていることを見て、愕然とする。表面とは裏腹に腐敗したローマ帝国に対する怒りがわき上がってくるのだ。村には凶暴なサクソン人が迫っており、アーサーたちは村の人々も一緒に連れて帰ろうとする。ここから氷った湖上でのサクソン人との対決までがこの映画の白眉。フークア監督は文句の付けようのない場面に仕上げている。
映画はローマ帝国とウォードとサクソンの三つどもえの状態から、アーサーとウォードが手を組んでサクソンの侵略に対抗する流れを見せ、クライマックスはハドリアヌス城壁でのスペクタクルな戦闘シーンが描かれる。ここは黒沢明「七人の侍」風の展開で、スペクタクル的にはあまり演出がうまいとは言えない。しかし、ローマ帝国の兵士として15年間戦ってきたアーサーがそれと決別して民衆のための戦いを繰り広げるわけだから、心情的には納得のいくものとなっている。
アーサーを演じるクライブ・オーウェンが地味なので、最初に登場するランスロット(ヨアン・グリフィズ)が主人公かと思った。他の出演者もグウィネヴィア役のキーラ・ナイトレイを除けば、地味な役者ばかりだが、それぞれに渋い味を出していて悪くない。ナイトレイは薄汚れた格好で登場した後、お約束通り、美女に変貌していく。弓の引き方も決まっており、好感度が高い。
【データ】2004年 アメリカ 2時間6分 配給:ブエナ ビスタ インターナショナル(ジャパン)
監督:アントワン・フークア 製作:ジェリー・ブラッカイマー 製作総指揮:マイク・ステンソン チャド・オーマン ネッド・ダウド 脚本:デヴィッド・フランゾーニ 撮影:スラヴォミール・イジャック プロダクション・デザイン:ダン・ウェイル 衣装:ペニー・ローズ 音楽:ハンス・ジマー
出演:クライブ・オーウェン キーラ・ナイトレイ ヨアン・グリフィズ スティーブン・ディレイン ステラ・スカルスゲールド レイ・ウィンストン ティル・シュヴァイガー ヒュー・ダンシー ジョエル・エドガートン マッツ・ミケルセン レイ・スティーブンンソン