映画とネットのDIARY(tDiary版)
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【映画の感想一覧】 2004年7月以降 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
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2009年10月17日 [Sat]
■ ミステリの書き出し
「夜は若く、彼も若かった。 が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。」というのはウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)「幻の女」の書き出し。アイリッシュは書き出しに凝る作家だった。サンシャイン牧場のメッセージに映画のセリフを書いてきたのだけど、それにも飽きたので、ミステリの書き出しはどうかと探してみた。といっても古い本は倉庫の段ボールの中なので、部屋の中にあるやつだけ。
■マリアが死を決意した時から、彼女の猫は自分で自分の身を守らなければならなくなった。(トム・ロブ・スミス「チャイルド44」)
■その川は思い出せるかぎりもっとも古い記憶だ。(ジョン・ハート「川は静かに流れ」)
■そこはセントラル・アヴェニューの混合ブロックのひとつだった。(レイモンド・チャンドラー「さよなら、愛しい人」)
■テリー・レノックスとの最初の出会いは、<ダンサーズ>のテラスの外だった。(レイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」)
■二人は毎晩8時に会った、雨の降る日も雪の日も、月の照る夜も照らぬ夜も。(コーネル・ウールリッチ「喪服のランデブー」)
■一九七七年の春、わたしは三十を迎えたばかりで、殺伐とした都会に無為の日々を送っていた。(ロバート・ゴダード「千尋の闇」)
■目の前に広がる町を見渡し、石炭の煙で黒く煤けたかつての高層ビルの姿を思い浮かべながら、彼は考えていた。(トマス・H・クック「夜の記憶」)
■「やつら、死ぬのにどのくらいかかった?」(ジェフリー・ディーヴァー「ウォッチ・メイカー」)
■オクトーバー伯爵が初めて私の前に現れたときは、うすいブルーの古びたホールデンに乗っていた。危険と死がひそかに便乗していた。(ディック・フランシス「興奮」)
■はじめてマックス・キャッスルの映画を目にしたのは、ウェスト・ロサンジェルスにある薄汚れた地下室の中だった。(T・ローザック「フリッカー、あるいは映画の魔」)
■テキサスの丘陵地帯の裾野、季節は十一月の下旬だが、このあたりでは見かけどおりのものは何もないことを私はとうの昔に学んでいた。(ジェイムズ・クラムリー「ファイナル・カントリー」)
■ロック−オーバー・レストランはウィンター・プレイスにある。そのウィンター・プレイスは、コモン公園から少し南へ下ってウィンター通りから脇にそれた横町である。(ロバート・B・パーカー「レイチェル・ウォレスを探せ」)
ワンセンテンスでぐっと引きつけるのはやはり詩的なアイリッシュぐらいか。個人的には「興奮」の書き出しも、初めて読んだディック・フランシスだったので印象深い。これ、最初に出たポケミス版と文庫版はちょっと違う。文庫にする際に手を入れたのだろう。
チャンドラーの2作は村上春樹訳のもの。清水俊二訳は少し違うかもしれない。いや、違ってたと思う。チャンドラーの書き出しはそこそこだけど、中身は警句の宝庫という感じ。「警官にさよならを言う方法はまだ発明されていない」とか「ギムレットにはまだ早すぎるね」とか有名すぎる。
清水俊二といえば、映画の字幕翻訳家としても有名だった。昨日、講演を聴いた戸田奈津子さんは清水俊二に師事していたはず。話の中に全然出てこなかったのはなぜだろう。