シン・シティ

Sin City

「シン・シティ」パンフレットフランク・ミラーのグラフィック・ノベルをロバート・ロドリゲスとミラー自身が監督、これにクエンティン・タランティーノが一部協力している(クレジットは特別ゲスト監督)。相当に過激なバイオレンスとスタイリッシュな映像で綴るハードボイルドな世界で、モノローグの多さがいかにもハードボイルドの一人称っぽい感じである。光るのはモノクロームにパートカラーを入れたビジュアル面のセンスの良さ。語られる3つの話自体に新しい部分はあまりないが、とにかくビジュアルが凄すぎる。劇画をそのまま映画にしたようなこの映像のオリジナリティは高く評価すべきだろう。とはいっても、個人的には首が飛んだり、手足を切断したりの容赦ない残虐描写は苦手。モノクロームである分、リアルさから少し逃れているのが救いなのだが、もう少し抑えても良かったのではないかと思う。スタイリッシュさはその方が際立つだろう。

出てくるのはぶっとんだキャラクターばかりである。イライジャ・ウッド扮する人食いケヴィンのキャラクターは強烈で、「羊たちの沈黙」のレクター博士の異常さをはるかに超えた不気味さがある。悪役はすべて異常者という徹底ぶりに加えて男はすべて荒っぽく、女はすべて色っぽいという、もう単純すぎるぐらい単純な図式の中で、熱いハートを持ったタフな男たちのドラマが語られていく。ファミリー映画の監督になってしまったかと思わせたロドリゲスが本調子を取り戻した一作。というより、ロドリゲスのベストと思う。

映画は殺し屋のジョシュ・ハートネットが登場するプロローグで犯罪都市シン・シティの非情さをかいま見せた後、ブルース・ウィリス主演の「That Yellow Bastard」、ミッキー・ローク主演の「The Hard Goodbye」、クライブ・オーウェン主演の「The Big Fat Kill」と続いて、再びブルース・ウィリスの話に戻り、エピローグでハートネットが顔を出すという構成。同じシン・シティを舞台にしているだけで、3つの話それぞれに関連は薄いが、時系列を前後に動かす構成はもしかしてタランティーノのアイデアか。

3つのエピソードの中では「The Hard Goodbye」が好みである。傷だらけの顔で娼婦にも相手にされない仮出所中の大男マーヴは明らかにレイモンド・チャンドラー「さらば愛しき女よ」の大鹿(ムース)マロイを踏襲している。マーヴは一夜を共にした天使のような女ゴールディ(ジェイミー・キング)を殺され、犯人に仕立てられそうになる。復讐を誓ったマーヴはストリップ・バーのケイディで追っ手を迎え撃ち、事件の背後にある大物がいるのを知る。ゴールディを殺したのはシン・シティの外れにある農場に住む不気味なメガネ男ケヴィン(イライジャ・ウッド)だった。農場を襲撃したマーヴは逆にケヴィンに倒される。気がつくと、自分の保護監察官ルシール(カーラ・グギノ)も監禁されていた。部屋の中には女たちの生首が飾られている。ケヴィンは人肉を食う異常者で、ルシールの目の前で笑みを浮かべながらルシールの手を食べたという。部屋を逃げ出したマーヴは装備を調えて、反撃に向かう。

マーヴを演じるミッキー・ロークは凝ったメイクで別人のよう。車にはねられても銃で撃たれても死なないタフな男の悲しい行く末を哀感を込めて好演している。このエピソードだけでも十分満足なのだが、映画はさらに2つのエピソードを楽しめるのでお腹いっぱいという感じ。出てくる多くの女優の中では予告編で目立っていたジェシカ・アルバよりも、日本刀を振り回すデヴォン青木(なんとロッキー青木の娘という)と、とても「スパイキッズ」の母親とは思えないカーラ・グギノ、2役を演じるジェイミー・キング、女ボスのロザリオ・ドーソンの印象が強い。

日本映画だったら、こういう題材、アニメにしてしまうだろうが、これはやはり実写でやることに意味がある。ルトガー・ハウアー、ベニチオ・デル・トロ、マイケル・マドセン、マイケル・クラーク・ダンカンというくせ者ぞろいの役者たちがそれぞれに見せ場を作っていて楽しいのだ。アメリカでは大ヒットした上に評価も高く、早くも続編どころか3作目までの製作が決まっているという。

【データ】2005年 アメリカ 2時間4分 配給:ギャガ
監督:ロバート・ロドリゲス フランク・ミラー 特別監督:クエンティン・タランティーノ 製作総指揮:ボブ・ワインスタイン ハーヴェイ・ワインスタイン 製作:ロバート・ロドリゲス フランク・ミラー エリザベス・アベラン 原作:フランク・ミラー 脚本:フランク・ミラー ロバート・ロドリゲス 撮影:ロバート・ロドリゲス 音楽:ロバート・ロドリゲス ジョン・デブニー グレアム・レヴェル 美術:ジョネット・スコット
出演:ブルース・ウィリス ミッキー・ローク クライブ・オーウェン ジェシカ・アルバ ベニチオ・デル・トロ イライジャ・ウッド ジョシュ・ハートネット ブリタニー・マーフィー デヴォン青木 ロザリオ・ドーソン ニック・スタール マイケル・クラーク・ダンカン ルトガー・ハウアー マイケル・マドセン ジェイミー・キング アレクシス・ブレデル

[UP]

チャーリーとチョコレート工場

Charie and The Chocolate Factory

「チャーリーとチョコレート工場」パンフレットロアルド・ダール原作の童話「チョコレート工場の秘密」をティム・バートン監督が映画化。前作の「ビッグ・フィッシュ」に続いて、家族愛を歌い上げるファンタジーである。いつものように快調なダニー・エルフマンの音楽とジョニー・デップの演技を楽しんだけれど、同じ家族愛ならば、「シンデレラマン」を見た後では少し分が悪いのは確かだ。

映画のタッチはバートンらしいブラックな趣味にあふれている。主人公のチャーリー・バケット(「ネバーランド」のフレディ・ハイモア)は斜めに傾いた家に両親とその両方の祖父母の計7人で住む。食事はいつもキャベツのスープ。4人の祖父母は1つのベッドに寝たきり。父親は歯磨きの工場でキャップを閉める仕事をしている。貧しい暮らしだが、チャーリーは家族が大好きだ。街にはウィリー・ウォンカ(ジョニー・デップ)というチョコレート作りの天才が建てた大きな工場がある。チャーリー自身がチョコを口にするのは年に1回、誕生日の時だけである。ウォンカのチョコレートは世界中に出荷され、人気を集めている。工場はスパイを防ぐため、15年前に従業員をやめさせたが、なぜか今も生産は続いており、工場の中がどうなっているのか、人々は興味津々。ある日、ウォンカが子ども5人を工場に招待すると発表する。その招待券はチョコに入った黄金のチケット。チャーリーが誕生日にもらったチョコには黄金のチケットはなかった。祖父のなけなしのへそくりで買ったチョコにもチケットはなかったが、チャーリーは道ばたで拾った10ドル札で買ったチョコでチケットを手に入れる。

家族思いのチャーリーは、500ドルで買いたいという人がいるので家の暮らしのためにもチケットを売る、という(これは原作にはない)。それに対する祖父のセリフがいい。「お金は印刷されてたくさん出回っている。そのチケットは5枚しかない。それをお金に換えるほどお前はトンマか」。チョコレート工場に招待された5人の子どものうち、チャーリーを除く4人はいずれもいけ好かないガキ。高慢ちきな少女であったり、わがまま娘だったり、ガツガツしたデブの少年だったり、知能は高いが人をバカにしたような少年であったりする。その4人は予想通りの仕打ちを受けることになる。

工場内部の描写がおかしくていい。チョコを作っている多数のウンパ・ルンパ族(すべてをディープ・ロイが一人で演じる)やリスたちの場面には大笑い。特にリス。リスたちはクルミの選別を手伝っており、中身のないクルミは捨てている。リスを捕まえようとした少女の頭をコンコンとたたいて、哀れ、少女は不良品と判断されてしまうのだ。こういうキャラクター、どこかで見たなあと思うのだが、なかなか思い出せないのがもどかしい。アメリカのアニメに時々出てくるようなギャグではある。

ブラックな味わいはあっても、最終的には心温まる話に着地する。それがバートンらしくないというのはもう間違いで、バートンの興味はそういう部分に移ってきているのだろう。気になったのはチャーリーが拾ったお金でチケットを手に入れること。これは何か後を引くのではないかと思ったが、そういう部分はなかった。

【データ】2005年 アメリカ 1時間55分 配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:ティム・バートン 製作:リチャード・D・ザナック ブラッド・グレイ 製作総指揮:パトリック・マコーミック フェリシティ・ダール マイケル・シーゲル グレイアム・バーク ブルース・バーマン 原作:ロアルド・ダール「チョコレート工場の秘密」 撮影:フィリップ・ルースロ 美術:アレックス・マクダウェル 衣装デザイン:ガブリエラ・ペスクッチ 音楽:ダニー・エルフマン 視覚効果監修:ニック・デイヴィス
出演:ジョニー・デップ フレディー・ハイモア デヴィッド・ケリー ヘレナ・ボナム=カーター ノア・テイラー ミッシー・パイル ジェームズ・フォックス ディープ・ロイ クリストファー・リー アダム・ゴドリー フランツィスカ・トローグナー アナソフィア・ロブ ジュリア・ウィンター ジョーダン・フライ フィリップ・ウィーグラッツ リズ・スミス アイリーン・エッセル デヴィッド・モリス

[UP]

四月の雪

April Snow

「四月の雪」パンフレット省略が洗練を感じさせ、寡黙さが余韻を生む。描写によって物語を語るのが映画の基本とすれば、ホ・ジノの演出は映像表現の高度な部分を兼ね備えている。セリフで心情を説明するような野暮なことはしていないし、単なる不倫を純愛とも悲恋とも声高に主張したりはせず、ただただ2人の行動を静かに綴るのみだ。これが唯一崩れるのは主演の2人が交通事故死した若者の葬儀に行く場面。ここの類型的な演出は映画のトーンから浮いている。ここは2人が心を通わせる契機となる場面なので、なおさら慎重な演出が必要だっただろう。描写のあまりの自然さは逆に多少の不満にもつながっていて、物語にもう少しひねりを加えてくれないと、日常的な描写ばかりでは一般的な面白みには欠ける。物語をどう表現するかにホ・ジノの関心はあり、物語自体をどう面白くするかに心を砕いてはいないようだ。もちろん、そういう映画の方法もあるので、これは単に好みの問題なのだが、それならば、所々にウェットなピアノ曲など流さない方が良かったと思う。意識的に劇的効果を廃するのならば、音楽は最小限にとどめた方が良かった。

最も残念なのは、これは監督の責任ではないけれど、韓流ブームの中核的な映画としてパッケージングされていることだ。主演がペ・ヨンジュンである必要はなかったし、そうでない方が下手な反発にはさらされず、映画の本質は見極めやすくなっただろう。

キネ旬10月上旬号のインタビューでホ・ジノはヨンジュンについて、こう語っている。

「後半になって、インスが能動的に動くのが難しい状況に追い込まれてからは、私はもう少し間接的で深みのある演技をしてほしかったけれど、俳優としては何か積極的に動ける表現がしたかったようです。これは私の映画に出演する俳優たちが共通して持つ希望ですけれど……」

感情表現を俳優にはできる限り抑えさせ、それを別の描写によって表現するというホ・ジノの方法がヨンジュンには理解できなかったらしい。ヨンジュンが溌剌とするのは不倫の一線を踏み越えた後に見せる笑顔であり、この脳天気な笑顔がヨンジュンという俳優のキャラクター的限界を表しているように思う(「スキャンダル」の時のようにメガネを外せば何とかなったか)。監督の意図を理解できなかったのは“韓国の宝石”と称されるソン・イェジンにも言えることかもしれない。得意の泣く演技を封じられたイェジンはそれによって、別の魅力を引き出されることになった。ヨンジュンと会う前にシャワーを浴びる女心やベッドシーンのエロティシズム。清純さとは異なるそうした大人の女の魅力をイェジンは見せており、クロースアップを多用した撮影がそれを余すところなく伝えている。

ホ・ジノはこの映画を長く撮ってたくさん切ったという。無駄な部分を切りつめていく作業こそが洗練を生む。それをよく理解しているのだと思う。饒舌を廃した寡黙な映画。かつてはそういう映画が邦画にもあったが、今はほとんど見かけることがなくなった。しかし、この何ということもないストーリーの映画を支えているのはそうした方法論なのである。ほとんど純文学のノリに近いこの方法では大衆性を得ることは難しいと思う。だからといって、ホ・ジノの価値が損なわれることがないのもまた確かなことではある。

【データ】2005年 韓国 1時間47分 配給:UIP
監督:ホ・ジノ 製作出資:キム・ドンジュ 製作:ペ・ヨングク プロデューサー:カン・ボンネ 脚本:シン・ジュノ イ・ウォンシク ソ・ユミン イ・イル ホ・ジノ 撮影:イ・モゲ 音楽:チョ・ソンウ 衣装:キム・ヒジュ 美術:パク・サンフン
出演:ペ・ヨンジュン ソン・イェジン イム・サンヒョ キム・クァンイル チョン・グックァン リュ・スンス

[UP]

ティム・バートンのコープス ブライド

Tim Burton's Corpse Bride

「ティム・バートンのコープス ブライド」パンフレットティム・バートン監督のストップモーション・アニメーション。日本語吹き替え版で見た。だからオリジナルの歌の良さやジョニー・デップ、クリストファー・リー、ヘレナ・ボナム=カーターなどのセリフ回しなどは楽しめなかったのだが、それでもそれなりに面白い(欲を言えば、吹き替え版であっても歌だけは原曲を使ってほしいと思うが、子供のことを考えれば無理なのかもしれない)。個人的には「チャーリーとチョコレート工場」よりもこちらの方が好きである。物語を過不足なく(ストップモーション・アニメとしては大作の1時間17分に)まとめた作りは見事。ダークな雰囲気の中でクスクス笑わせながら温かいストーリーを語るのはバートンらしく、それを忠実にアニメ化したのが共同監督のマイク・ジョンソンなのだろう。完璧なアニメーティングと構図に加えて、セットの造型も細かく丁寧である。良い出来だと思いつつ、何だか物足りない思いも残るのはこれがチョコレート工場同様にファミリー向け映画だから。「スリーピー・ホロウ」「バットマン リターンズ」のようなバートン映画が好きなファンとしてはファミリー映画ばかり作らず、次作こそは大人向けの映画を作ってほしいと切に願う。

結婚を翌日に控えた青年ビクターが森の中で誓いの言葉の練習をしたために死体の花嫁(コープス・ブライド)エミリーと結婚する羽目になる。親が決めた婚約者ビクトリアを一目で好きになっていたビクターはさてどうする、というシチュエーション。ビクターの両親は成金で、ビクトリアの家は金庫がスッカラカンの貧乏貴族。富と名声をそれぞれに欲した両親が進めた結婚話だったが、ビクターのナイーブさとビクトリアの清楚さはそれぞれが惹かれ合うのに十分な理由を持っている。一方、エミリーは幸福な結婚を夢見ていたのに結婚してすぐに夫から殺されてしまった過去がある。この3人の善良な三角関係に絡んでくるのが正体不明の男バーキスで、この映画唯一の悪役である。生者か死者か、ビクターはどちらを選ぶのか。普通なら生者を選ぶに決まっているが、映画は死者の世界を明るいカラーで、生者の世界はモノクロームに近いくすんだ色合いで描き、死者の世界のデメリットを打ち消している。バーキスの存在は三角関係の解消による切なさを和らげる方向に働いており、この脚本、なかなか巧妙だ。つまり、結ばれた2人だけでなく、取り残された1人にも満足感が得られる構造になっているわけである。

ストップモーション・アニメの常で技術的な部分についつい目が行ってしまう。「キング・コング」(1933年)の昔からストップモーション・アニメはどこか動きにぎこちない部分が残るものだが、この映画、一瞬、CGではないかと思えるほど滑らかな動き。花嫁のブーケやドレスが風に揺れるシーンなど極めて自然である。この撮影、なんとデジタル・スチール・カメラが使われたという。スチール・カメラの画像を1秒間に24コマつなげれば、確かにアニメになるのだが、その作業は想像を絶するほど根気のいるものだろう。いや、ストップモーション・アニメは元々根気のいるものであり、画像の処理がデジタルならば簡単にできるという利点は確かにあるのだが、スチールを使うというのは普通は考えない。これはもう気分的なもので、ムービーカメラを使ったにしても一コマずつ撮っていくしかないのだから、スチールで撮ったって別に構わないのだ。編集もパソコンでできるメリットがある。そうした技術的な部分を映画からは感じさせないのが良いところで、技術が物語を語る手段に収まって前面に出てこないのは好ましい。

【データ】2005年 アメリカ 1時間17分 配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:ティム・バートン マイク・ジョンソン 製作:ティム・バートン アリソン・アベイト 製作総指揮:ジェフリー・オーバック ジョー・ランフト 脚本:ジョン・オーガスト キャロライン・トンプソン パメラ・ペトラー 撮影:ピート・コザチク 美術:アレックス・マクダウェル 音楽:ダニー・エルフマン
声の出演:ジョニー・デップ ヘレナ・ボナム=カーター エミリー・ワトソン アルバート・フィニー ジョアナ・ラムリー リチャード・E・グラント クリストファー・リー ジェイン・ホロックス エン・ラティン マイケル・ガフ ディープ・ロイ

[UP]