映画とネットのDIARY(tDiary版)

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映画の感想一覧 2004年7月以降 2005年  2006年  2007年  2008年  2009年

2004年08月06日 [Fri]

楽天カード

メールで案内が来た。入会金・年会費とも無料とのことなので申し込む。ちょうど銀行のバンクカードからクレジット機能がなくなった(銀行が取り扱いをやめた)ところだったので、VISAが付くならお得である。楽天以外で使っても楽天のポイントが付くのがいいですね。さらに楽天で使うと、取得できるポイントが倍になるメリットもある。楽天での買い物はこちらに切り替えますか。

[MOVIE]「赤目四十八瀧心中未遂」

「赤目四十八瀧心中未遂」の寺島しのぶ主人公の生島に新人の大西滝次郎をキャスティングして、その周りにベテランを配置した結果、映画は主人公よりも、主人公から見た世界を浮かび上がらせる。実際、食い詰めて東京から釜ケ崎を経て尼崎に流れてきた生島は流されているだけで、自分からアクションを起こそうとはしない。四畳半の安アパートで焼き鳥用のモツをさばき、串を刺す毎日を「これでいいんです」と受け入れている。仕事を世話した勢子ねえさん(大楠道代)や刺青師の彫眉(内田裕也)の圧倒的な存在感に比べれば、自信を消失した空気のような存在である。大西滝次郎はせりふ回しも含めて演技にぎこちない部分が残るが、それでもかまわないほど、この映画は主人公を描くことにそれほどの興味を持っていないようだ。生島の過去は暗示されるだけで、明らかにされない。生島は同じアパートに住む綾(寺島しのぶ)から、赤目四十八瀧へと死出の旅路に誘われても流されていくことになる。

車谷長吉の直木賞受賞作を荒戸源次郎監督が映画化して、昨年のキネマ旬報ベストテン2位にランクされた。荒戸源次郎にとっては「ファザーファッカー」以来8年ぶりの作品となる。普通、心中を題材にした映画と言えば、男女の情念が渦巻くものだが、この映画にそれは希薄だ(だから心中未遂に終わるのだ)。生島と綾が交わる描写はそれなりに官能的なのだが、荒戸源次郎監督の演出には枯れた部分があり、例えば、こうした題材を撮るのにふさわしいと思える全盛期の今村昌平や神代辰巳の粘りのある描写に比べれば、物足りない部分も残る。つまり性描写を突き詰めることによる生と性の迫力みたいなものには欠ける。

しかし、少し現実離れした描写を入れたことに、この映画を荒戸源次郎が撮った意味があるのだと思う。土管の中のガマガエルや少年の人形を子どものように扱う老夫婦の描写などは生島と綾の生に対する死を象徴している。荒戸監督はシネマプラセットの第1作で生と死の境界線を描いた「ツィゴイネルワイゼン」(鈴木清順監督)をどこかで引きずっているのかもしれない。

赤や白のワンピースを着た寺島しのぶは掃きだめのような環境の中で屹立しており、映画がメインに描いている、あるいはもっとも強い印象を与える存在である。極楽にいる鳥という迦陵頻迦(かりょうびんが)の刺青を背中に彫っている綾は生島にとって生と性と聖なるものを象徴した存在にほかならない。生島も綾もぎりぎりのところで生きており、それをお互いに感じたからこそ惹かれ合うのだろう。この映画の魅力の多くは綾を演じた寺島しのぶの肉感的であると同時に清楚さを感じさせるたたずまいから生まれている。

2時間39分、長いとは思わなかった。描写そのものは平易でユーモアも随所にある。平易な描写の総体をどう解釈するかは考える必要があるのだけれど、深く考えずに監督の差し出す描写を楽しむだけでもいいのではないかと思う。かつて鈴木清順は「映画が分かりにくいのは俳優の演技が悪いからです」と言ったが、少なくともこの映画、俳優の演技は実に分かりやすい。

化け物のような容貌の沖山秀子、にっかつロマンポルノではおなじみだった絵沢萌子、狂気をにじませる大楽源太、卑屈で凶暴な新井浩文、ヤクザがぴったりな赤井英和、麿赤児など脇役の演技がいちいち抜群だ。コンクリート詰めの場面にポップな音楽を流す千野秀一のセンスにも感心した。


2005年08月06日 [Sat]

iTunes

起動したら新しいバージョンが出ているとのお知らせがあったのでダウンロード&インストール。このソフト、iPODを持っていないとほとんど不要と思えたけど、映画の予告編を見るには使える。iPODも欲しくないことはないんだが、あまり音楽を聴くわけでもないし、どうせヘッドホンで聴くのなら携帯で十分という感じもある。

ただし、日本版のミュージックストアの価格が1曲あたり150円が中心というのはいい。着うたフルもこれぐらいの価格で十分なのではないか。


2006年08月06日 [Sun]

キネ旬8月下旬号

キネ旬8月下旬号表紙「紙屋悦子の青春」公開に合わせた黒木和雄監督の追悼特集がある。作品特集と合わせて27ページ。これだけのページを割かれるということは一流監督だった証だろう。

昨年11月のインタビューが掲載されていて、最後の言葉は「この作品が終わったら、何とか、山中貞雄(を映画化する企画)を実現させたいんですがね」で終わっている。無念だっただろうと思う。ぜひ見たかった作品だった。

特集記事の中では佐藤忠男の評論「挫折にこだわり続けた映画作家」が読ませる。最後の3本「美しい夏キリシマ」「父と暮せば」「紙屋悦子の青春」の脚本家・松田正隆は黒木監督の「TOMORROW 明日」を見て劇作家を志したのだという。その松田正隆に黒木監督が「キリシマ」の脚本を依頼したのは「紙屋悦子の青春」の舞台を見て感動したから。必然的な出会いだったのではないか。

原田芳雄のインタビューも面白かった。「浪人街」から「スリ」まで10年間のブランクの間に黒木和雄は大病をするが、そのことで「自分には時間がない」と思い始めたのではないか、という推測はなるほどと思う。自伝的な「キリシマ」を撮った後に脚本が完成している戯曲の「父と暮せば」「紙屋悦子の青春」を選んだのはそのためだろうと、原田芳雄は語っている。


2007年08月06日 [Mon]

[MOVIE] 「トランスフォーマー」

「トランスフォーマー」パンフレット日本製ロボット玩具から始まった日米合作アニメをスティーブン・スピルバーグ製作、マイケル・ベイ監督で映画化。軍とロボットが戦う場面が中心だった予告編はSFアクション映画かと思わせたが、本編は単なる子供向け(あるいはファミリー)映画だった。ロボットの造型はアニメのデザインが基本になっており、元のテレビシリーズを見ていた人にも違和感がないように作ってある。そのロボットのいかにも子供向けな造型が少し不満で、動きは速いのだが、だんだん重量感と質感に乏しいように見えてくる。監督のマイケル・ベイは前作「アイランド」の後半、CGを使いまくったアクションを見せてくれて、これはアクションだけでも凄いと思ったものだが、今回は物語の求心力が弱く、これが決定的な欠点だろう。だからクライマックスのロボット同士の市街戦は技術に感心こそすれ、それほど面白くはない。結局のところ、アメリカ映画もまた大ヒットするのは家族向け映画であり、この映画もそんな中の一本と言える。

カタールのアメリカ軍基地から始まる序盤は快調である。墜落したはずのヘリコプターが基地に近づいたかと思うと、ヘリはロボットに変形(トランスフォーム)し、基地を壊滅させる。ロボットへの変形シーンがこの映画の見どころの一つでこのCGは確かに凄い。舞台はアメリカに移り、主人公のサム・ウィトウィッキー(シャイア・ラブーフ)が中古車を買う場面。父親とともに中古車屋を訪れたサムは他の車がなぜかすべて壊れたことで黄色いカマロを買うことにする。ボロボロのカマロだったが、これが実は金属生命体であることがやがて分かる。サムの曾祖父は南極で何かを発見し、気が触れたことになっている。サムはその遺品をネットオークションに出していたが、実はその遺品を巡って宇宙から来た善と悪の金属生命体が争奪戦を繰り広げていたのだ。カマロはバンブルビーという名前の金属生命体で、サムの護衛の役を与えられていた。こうして善と悪のロボットたちが地球を舞台に戦いを繰り広げることになる。

巨大ロボットアニメはよく「ロボットプロレス」とバカにされることがあるが、それと同じ次元のストーリーではどんなにCG技術が優れていても、引き込まれるはずがない。見ていてガンダムやエヴァンゲリオンのようなストーリー性、物語の奥行きが欲しくなってくる。単純な物語をCGで見せているだけの作品に終わったのはかえすがえすも残念だ。この内容で2時間25分は長すぎると思う。

パンフレットとキネマ旬報8月下旬号でマイケル・ベイはILMの日本人クリエイター、ケイジ・ヤマグチ(山口圭二)を絶賛している。ちょっと引用しておこう。「面白い話がある。オプティマス・プライムのデザインをチェックするミーティングで、隅っこに座っていたILMの日本人クリエイター、ケイジ・ヤマグチが突然立ち上がり『このデザインは日本人への侮辱だ! 僕がオプティマス・プライムを直す!』と叫んだんだ。ケイジはルービック・キューブのような変身シーンを可能にした影の功労者。フレームを止めてみると、パーツがくっついたり変形したりと、その複雑さに驚くばかりだったよ」(キネ旬8月下旬号)。製作が決まった第2作ではこの素晴らしい変形シーンに負けない物語にしてほしいものだ。

主演のシャイア・ラブーフは決してハンサムではなく普通の少年っぽいところがいい。主人公が思いを寄せるミカエラ・ベインズ役のミーガン・フォックスもちょっと色っぽくて良かった。


2008年08月06日 [Wed]

[MOVIE] 「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」

「スカイ・クロラ」パンフレット

まるでテレビゲームの画面を見るようなCGのドッグファイトシーンが意図的なものだと分かったのは後半、世界の構造が見えてきてからだ。これは要するにゲームのコマが自分をゲームのコマと認識することによって生まれる悲劇を描いた映画である。だから戦闘シーンはゲームのようなものでなければならなかった。国家と国家の戦争ではなく、国家に依頼された企業同士が行う戦争。一時の平和な時代を生きる人々にとってその擬似的な戦争は平和を維持するために戦争の代償行為として作用している。戦うのはキルドレと呼ばれる大人になれない少年少女たち。キルドレは普通に生きていれば成長しないし、死ぬこともないが、撃墜されれば、キルドレであっても死ぬ。そんなキルドレの一人である主人公の函南優一(かんなみゆういち)が上司の草薙水素(くさなぎすいと)に言う終盤のセリフに胸を打たれる。「何かが変わるまで生きろ!」。草薙は自分の運命を知って、これに終止符を打ちたいと思っている。だから過去に主人公の前任者でもあった恋人を殺した。「私に殺されたい? それとも殺してくれる?」。それを主人公は否定するのだ。これはあらかじめ運命が決められた若者たちの透明な姿を描いた点でカズオ・イシグロ「わたしを離さないで」に共通するテーマを持っている。恋愛映画であり、青春映画であり、戦争映画であり、真っ当なSF。テーマの深さと芸術性の高さを併せ持った疑いようのない傑作だ。

パンフレットにも引用されているラスト近くの主人公のこれまた胸を締め付けられるモノローグを引用しておく。それがこの映画のすべてを言い表している。

「いつも通る道でも違うところを踏んで歩くことができる。いつも同じ道だからって景色は同じじゃない。それだけでは、いけないのか。それだけのことだから、いけないのか」

「僕は今、若い人たちに伝えたいことがある」と押井守は言う。「僕は今、この映画を通して今を生きる若者たちに、声高に叫ぶ空虚な正義や、紋切り型の励ましではなく、静かだけれど確かな、真実の希望を伝えたいのです」。この静かな映画に流れるのはこのくそったれな世界であっても生きる希望を失うなというメッセージなのだろう。大人によって決められたこの世界はいつかは変えることができる。だからこそ、「生きろ」という主人公の叫びがリアルに迫ってくるのだ。

イメージの豊穣さが先行した4年前の「イノセンス」から、押井守は物語を語ることによる映画の力強さを取り戻した感じがする。宮崎駿は「崖の上のポニョ」で幼い子供を対象にした映画を作ったけれど、押井守は10代に向けた映画を作った。いや、10代どころかこれはすべての抑圧された年代に対するメッセージでもあるだろう。死生観と性を描いてこれほど充実した映画をアニメで作った押井守はやはり先進的な人なのだという思いを新たにする。

戦争を描いたことと、その静かな描写によってこれは「機動警察パトレイバー2」に直結する映画だと思う。川井憲次の素晴らしすぎるメインテーマが叙情を誘う。

森博嗣の原作は昨年秋に買って、まだ読んでいない。読んでいなくて正解だったと思う。映画前半のやや退屈な描写が後半に生きてくるこの映画の構成を十分に堪能できたのだから。ちなみに森博嗣は「一番人気のないシリーズでしたが、常に代表作だと考えていました。自分が書いた小説の中では、最も執筆に力が必要でした」とインタビューで答えている。


2009年08月06日 [Thu]

携帯版Twitter

Twitterのホームページにはモバツイッターが紹介されているので、これは公式のものかと思ってしまうが、公式モバイル版はこちら。ところが、僕の携帯では文字化けがひどくて使い物にならない。パソコンでも表示できるので、ソースを見てみたら、文字コードがUTF-8だった。これでは携帯だと、文字化けするわけだ。

公式携帯版もモバツイッターも投稿は可能だが、機能的にはフォローができないなどの制限がある。Twitter携帯公式サイト、高機能版を初秋に公開 デジタルガレージと共同開発とのことなので、楽しみにしたい。


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