映画とネットのDIARY(tDiary版)

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2004年08月26日 [Thu]

KNOPPIX3.4

使ってみる。CD-ROMからの起動はこれまで同様、問題なくできる。coLinuxを使った起動では、最適なビデオカードが見つからないとのエラーでXが起動しない。QEMUの方はDOS窓が一瞬開いて終了。ふむ、どこが悪いのか。

ビデオカードのエラーはディスプレイサイズ1280×1028用の設定がないためだろう。これは普通のLinuxならXの設定ファイルを書き換えればすむことだが、KNOPPIXの場合は対処の仕方がよく分からない(書き換えようがない)ので、QEMUの方。CD-ROMのqemu-0.6.0-windowsフォルダ内にあるバッチファイルを見ると、CD-ROMドライブの想定がHドライブまでしかない。僕のパソコンのCD-ROMはIドライブ。これでは起動しようがないのも分かる。で、qemuのフォルダをHDDにコピーして、バッチファイルを書き換えて実行してみたが、ダメ。ま、そんなに単純なことではないらしい。

仕方がないので、ノートの方でQEMUを試す。こちらは難なく起動した。しかし、KNOPPIXのホームページに書かれているように動作が遅い。ちょっと実用には耐えられない。試してみるだけなら、いいのではというレベルですね。

いろいろあるけど、産総研が行っている試みは多岐にわたっていて面白いと思う。Linuxの普及には貢献しているのではないか。

[MOVIE]「石井のおとうさんありがとう」

「石井のおとうさんありがとう」パンフレット明治時代に3000人の孤児を救った高鍋町出身の石井十次の生涯を描いた山田火砂子監督作品。身も蓋もない言い方をすれば、極めて凡庸な作品である。題材自体はいいのに、料理の仕方が決定的に凡庸すぎる。石井十次の生涯をなぞっただけで、ドラマティックなポイントがない。だから主演の松平健をはじめ出演者にも演技のしどころがない。おまけに自主上映の形での公開が中心のためか、16ミリフィルム。画質の悪さ、画面の狭さが加わって、これならテレビの方がましか、と思えてくる。脚本も担当した山田監督は「私は一人でも多くの方にこの事実を知って頂きたいと思います」とパンフレットに書いている。あまり知られていない事実(というわけでもないのだが)を知らしめることが映画製作の目的にあったとしても、生涯を単になぞっただけの映画にしていいわけがない。出演者には恵まれているのに、これでは惜しい。

映画は日系ブラジル人の西山洋子(今城静香)が病床の祖父から1枚の写真を手渡される場面で始まる。「石井のおとうさんにありがとうと言ってくれ」。祖父からそう言われた洋子は“石井のおとうさん”について知るために宮崎県木城町にある石井記念友愛社に行き、園長の児島草次郎(大和田伸也)から石井十次がどんな人物だったかを聞く。医学生の石井十次(松平健)は明治20年、岡山県大宮村の診療所で代診中に、食べるものにも困っていた浮浪者の女から男の子を預かる。この話が広まり、十次のもとにはたくさんの孤児が集まるようになる。熱心なキリスト教信者であった十次は妻の品子(永作博美)とともに孤児の世話にあたっているうちに、医師になることをやめ、孤児院を開くことを決意。濃尾大地震や東北の大飢饉などで十次が預かる孤児は急速に増えていく。そんな十次の姿勢に芸者の小梅(竹下景子)や資産家の大原孫三郎(辰巳琢郎)は物心両面にわたる援助を積極的に行っていく。

十次が設立した岡山孤児院には最も多い時で1200人もの孤児がいたという。孤児たちが集合した記念写真がパンフレットにも収められているが、この数は相当なものである。石井十次が成し遂げたことに対しては敬服するしかない。それはいいのだが、パンフレットの扉には「一度は放蕩に身を持ち崩しつつも、改心して立ち直り…」とある。この部分を映画はまったく省略している。10年ほど前に放映された日本テレビ「知ってるつもり?!」では性病にかかったことが十次のターニングポイントの一つだったと紹介していた。これを見た時は、それはあんまりだろうと思ったが、一人の人間を描くからにはそういう部分も必要なのである。映画はきれい事で終わった観がある。

だから十次の人間性も分かったようで分からない部分が残る。もっともっと対象に詰め寄り、深い部分をえぐっていく視点がなければ、深みのある映画にはなりようがない。


2005年08月26日 [Fri]

[MOVIE] 「マダガスカル」

「マダガスカル」パンフレットドリームワークスの3DCGアニメ。セントラルパークの動物園にいるシマウマ、ライオン、カバ、キリンの4頭がアフリカに送り返される途中、ひょんなことからマダガスカル島に流れ着き、大自然の魅力を知るという物語である。「シュレック」などとは違って明らかに子ども向けだが、「猿の惑星」や「アメリカン・ビューティー」「炎のランナー」など映画のパロディが所々にある。子どもにはたぶん分からないパロディだから、一緒に見に行った親を退屈させない工夫なのかもしれないが、どれもパロディにする必然性には乏しい。そういうことをするぐらいなら、もう少し話の密度を濃くしてはどうか。野生に帰って狩りに目覚めたライオンの扱いをどうするのかと見ていたら、極めて平凡な結論に落ち着かせている。こういうところを見ると、話を作る努力をほどほどにしてパロディに逃げているとしか思えないのである。とりあえず、きちんとまとまった映画だし、3DCGの技術も水準をクリアしているけれど、こういう製作姿勢で傑作を生むことは難しいだろう。

ニューヨーク、セントラルパークの動物園。シマウマのマーティはペンギンたちが動物園を脱走するのを見て、外の世界に興味を持つ。動物園の生活は安楽で悪くなかったが、人生の半分を動物園で過ごして外に出てみたくなったのだ。マーティはある夜、こっそり、動物園を抜け出してしまう。それに気づいた親友でライオンのアレックス、カバのグロリア、キリンのメルマはあとを追う。グランド・セントラル駅で4頭は人間に捕まるが、動物愛護団体の抗議によってアフリカに送り返されることになる。ところが、乗せられた船にはペンギンたちが潜んでいた。ペンギンは船を乗っ取り、南極に向かおうとする。4頭が詰められた木箱はこの騒動で海に放り出される。漂着したのはマダガスカル島。マーティは自然を満喫するが、残りの3頭は動物園に帰りたくてたまらない。しかし、出会ったキツネザルたちによって自然の魅力を教えられていく。同時にアレックスは肉食の本能、狩りの本能にも目覚め、マーティたちがえさに見えるようになってしまう。

動物園にいる時はピシッと整えられていたアレックスのたてがみが次第にボサボサになっていく。それは野生の本能を取り戻す過程を表してもいる。ディズニーの「ライオン・キング」ではライオンに虫を食べさせていた。この映画でも同じような趣向である。動物園の生活が動物にとって良いわけではないだろうが、かといって野生に完全に返ると、シマウマとの友情などは成立しなくなる。野生に返るというテーマを描くには、この設定に元々無理があるのである。ユーモアにくるめて楽しく見られる映画にすればいいというぐらいの考えなのだろう。だから内容の薄い映画にしかならないわけだ。動物が擬人化されすぎているのも気になった。

声の出演はライオンがベン・スティラー、シマウマがクリス・ロック、キリンがデヴィッド・シュウィンマー、カバがジェイダ・ピンケット・スミスというキャスティング。日本語吹き替え版ではそれぞれ玉木宏、柳沢慎吾、岡田義徳、高島礼子となっており、不自然な部分はなかった。


2006年08月26日 [Sat]

[MOVIE] 「ラフ」

「ラフ」パンフレットあだち充の原作コミックを大谷健太郎監督が映画化。主演は長澤まさみと映画初出演の速水もこみち。この2人に関してはそれぞれの魅力を見せていると思うし、いくつか良い場面もあるのだが、肝心のドラマがあまり盛り上がっていかない。設定だけを用意して、描写が不十分なのである。状況を説明するシーンがあるだけで、それぞれのシーンが有機的に結合していかないのがもどかしい。原作は未読だが、そのダイジェストになった観がありあり。原作のキーとなる場面を取り出して組み合わせただけで、もったいない作りだと思う。力点となるべきポイントが不鮮明なので平板な印象を与える結果になっている。

日本水泳連盟が全面的にバックアップしたという水泳シーンの吹き替えには違和感がないのだが、その水泳のドラマがスポーツを題材にした映画ならばこうあるべきという描き方になっていないのは残念。水泳の魅力をしっかり描いた方が本筋の主人公2人の恋愛感情の揺れ動きも効果的になったと思う。脚本の金子ありさ、監督の大谷健太郎ともスポーツには興味がないのではないか。

「タッチ」同様、基本的には重いテーマを含んだ話である。競泳の自由形で日本選手権に出場した高校生の大和圭介(速水もこみち)はレースの途中で足を痛めてリタイア。通路ですれ違った少女から「ひとごろし」と言われる。その少女は高飛び込み選手の二ノ宮亜美(長澤まさみ)で、圭介と亜美の実家はともに和菓子屋でライバル関係にあった。2人は同じ高校で同じ寮に入った。くじを引いた男女がデートするという寮の伝統で、2人は1日デートすることになる。そこで圭介は亜美が自由形の日本記録保持者の仲西弘樹(阿部力)と幼なじみで「おにいちゃん」と慕っていることを知る。ちょっとした誤解から圭介はデートの最後で「お前なんか、大嫌いだ」と言ってしまうが、徐々に2人は心を通わせていく。翌年の日本選手権、仲西は自損事故で重傷を負って欠場し、圭介が優勝する。その事故に亜美は責任を感じ、圭介との仲は疎遠になっていく。

この三角関係が映画のメイン。前半の1日デートの場面などはいい感じだが、後半、映画はストーリーを消化するのに性急になった感じが拭いきれない。事故の責任を感じる亜美という設定が十分に機能していかないのはこの性急さがあるためだろう。亜美の心変わりの描き方にも説得力を欠く。描写が不足する一方で、高飛び込みチャンピオンの小柳かおり(市川由衣)が圭介に告白するシーンは不要としか思えない。これだけで終わっているのである。もっとストーリーをすっきり整理する脚色が必要だったのだと思う。

タイトルの「ラフ」の意味は映画の最初の方で寮の管理人(渡辺えり子)から説明される。寮に入った新入生たちはまだラフスケッチの段階でこれから1本1本しっかりした線を引いていくことになるという意味。これは2人の揺れ動く関係を表すとともに圭介の荒削りな才能という意味も含まれているのだろう。それにしては才能の部分が描かれないのがスポーツを題材にした映画としては弱いところだ。長澤まさみのアイドル映画としても、初の水着姿を披露しているのが大きな利点とはいえ、同じくあだち充原作を映画化した去年の「タッチ」(犬童一心監督)には及ばないと思う。


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