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【映画の感想一覧】 2004年7月以降 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
2004年11月01日 [Mon]
■ [MOVIE] 「華氏911」
ようやく見た。見ている間中、怒りがフツフツとわき上がってくる映画である。ジョージ・W・ブッシュという知性のかけらもない男を大統領にしてしまったためにアメリカはアフガニスタン、イラクと続けて戦争をする羽目になった。「富める者とさらに富める者」の味方であり、自身もその上流クラスにいるブッシュはその層のためだけに政策を展開し、彼らが始めた戦争に貧しい者たちがかり出されて死んでいくことになる。もちろん、これがブッシュ批判を展開した映画であることは承知の上だけれど、それでも怒りは収まらない。
「俺たちより貧しい人たちをなんで殺さなくちゃいけないんだ」という米兵の叫びは真実だろうし、失業率が公称17%、実際は50%のフロリダ州フリントの若者たちには戦争にいくしか生きる道がないのも本当だろう。息子をイラクで戦死させた母親の悲しみも、空爆によって親族の葬式を5回も出さなければならなかったイラク人女性の「アメリカの家が破壊されればいいんだわ。もう神しか頼るものがない」との嘆きも本物だろう。フリントに住む若者は言う。「イラクの破壊された町並みは廃屋の多い俺たちの町と同じだ」。マイケル・ムーアはブッシュがいかにひどい大統領であるか、そのせいでアメリカがどんなことになっているのかを次々に例証していく。内容に偏りがあるという批判は分かるが、主義主張を込めないドキュメンタリーには意味がない。それ以上にリアルタイムな題材を選んでドキュメンタリーを作るムーアの姿勢は尊敬すべきものだ。しかし、映画はこれで完成したとは言えない。2日の大統領選でブッシュが落選して初めてこの映画は本当に完結することになるのだ。
「俺たちは偽の選挙で偽の大統領を持ってしまった」。アカデミー賞授賞式でムーアが指摘したフロリダ州の大統領選で映画は始まる。テレビ局の多くはゴア勝利を報道するが、フォックステレビのブッシュ勝利の報道によって次々に報道が変わっていく。アフリカ系アメリカ人を選挙人から意図的に外したなど選挙に不正があったとする異議申し立ては上院議員が誰一人署名しなかったために無効となる。ブッシュは就任後、休暇の多い大統領として有名になり、その能力の低さと合わせて支持率は下がっていく。そんな時に9.11の同時テロが起こる。そこからビンラディン一族を逃がしたとか、独立調査委員会の設置を妨げたとか、事前にアルカイダによる航空機テロの報告書が出されていたのにブッシュは読まなかったとか、事件を知って7分間も視察先の教室の中にいたとか、ビンラディン一族とブッシュとの親密な関係とか、サウジアラビアの富豪たちとブッシュの結びつきとかが語られていく。ただし、映画の根本的な主張はそんなところにはない。ブッシュという男が自分の利益を守り、上流階級の利益を守ることしか眼中にないことが徐々に分かってくるのだ。テロとは関係なく、大量破壊兵器さえ持っていなかったイラクとの戦争によって、多くの若者たちが死んでいく。米兵の死者は1,100人を越えたが、イラク人の死者は10万人を越えているという。その戦争の裏に石油利権があるのをアメリカの一般市民でさえ、知るようになった。
ムーアが怒るのはこういう部分だ。前作「ボウリング・フォー・コロンバイン」でも描かれたアメリカ人の恐怖心を政府はテロの恐怖を意図的に煽ることで、増幅させていく。騒動にまぎれて個人情報を政府が入手できる愛国者法というとんでもない法律も成立してしまった。日本以上にアメリカの自由は制限されるヒドイ状態になっている。それでもアメリカの起こす戦争は民主主義と自由を守るというのが大義名分だ。こうした矛盾に対してムーアは怒っている。その怒りはこちらに伝染してくる。敵はイラクなんかではない。富を掌握して離さない一部の富裕層にあるということを映画ははっきりと伝えている。
■ [MOVIE] 「ウォルター少年と、夏の休日」
映画の日だからというわけではないが、今日は映画を3本ハシゴした。しかし、「華氏911」のような強烈な作品の後では分が悪い。
「ウォルター少年と、夏の休日」は物語の展開から見て、原作ものかと思ったら、「アイアン・ジャイアント」の脚本家ティム・マッキャンリーズが自作の脚本を監督したのだそうだ。
2人の伯父に預けられた少年の話。伯父を演じるのはマイケル・ケインとロバート・デュバル、少年はハーレイ・ジョエル・オスメント。ケインとデュバルさすがの演技を見せるけれど、少年役はもっと幼い感じの俳優が良かったような気がする。オスメントも声変わりして随分大きくなった。チャラチャラしたしょうがない母親が出てくるあたり、物語の雰囲気は「アトランティスの心」に通じるものがあり、超常現象は出てこないが、スティーブン・キングの小説を思わせる。原題のSecondhand Lions(中古のライオン)の通り、動物園から払い下げられたメスのライオンも登場する。しかし、この原題はかつて世界を旅して冒険した2人の伯父を指しており、少年が伯父の影響を受けてたくましくなっていくのがメイン・プロットである。ウェルメイドな佳作と思うが、それ以上のものではない。
1960年代のテキサスが舞台。父親のいない少年ウォルターは母親(キーラ・セジウィック)から2人の伯父ハブ(ロバート・デュバル)とガース(マイケル・ケイン)の元に預けられる。「たぶん2、3週間。長くても1、2カ月」の予定。母親が速記学校に通うためとの名目だったが、実際はどうだか分からない。伯父2人の家は古ぼけており、テレビも電気もないが、2人は大金持ちとの噂だった。母親は金のありかを探すようウォルターに言い含めて去る。伯父2人はセールスマンが来ると、ショットガンをぶっ放す変わった性格。おまけにハブは夢遊病らしい。なかなかなじめないウォルターは部屋の中から若い女性の写真を見つけ、ハブから2人の若い頃の話を聞く。ハブとガースは外人部隊に所属し、北アフリカにいたことがある。その頃、ハブはジャスミン(エマニュエル・ヴォージュア)という女と情熱的な恋をする。今でも腕っ節の強いハブは若者4人を簡単に倒して説教したりする。ウォルターは徐々に2人に好感を持つようになる。
スティーブン・キングと書いたけれど、考えてみれば、少年と巨大なロボットとの交流を描く「アイアン・ジャイアント」にも通じるものがある。普段はおとなしいが、実は強力な力を持っているロボットと未だに衰えない力を持つ伯父。「アイアン…」も時代は現代ではなく、1950年代だった。マッキャンリーズ、そういう古い時代のアメリカに執着した部分があるのかもしれない。この脚本はMOVIELINE誌の「スクリーンで見たい良質な脚本ナンバーワン」に選ばれたそうだが、展開自体にそれほど新鮮な部分があるわけではなく、要するに出来上がりと同様、ウェルメイドなセンを狙ったのだろう。
2004年11月02日 [Tue]
■ [MOVIE] 「父と暮せば」
昨日見た映画の積み残し。1日3本だと、感想書くのにも時間がかかる。
黒木和雄監督が井上ひさしの戯曲を映画化した作品。原爆投下3年後の広島を舞台に描く父と娘の物語で「TOMORROW 明日」「美しい夏キリシマ」と合わせて“戦争レクイエム3部作”としている。父親を演じるのが原田芳雄、娘が宮沢りえ。この2人と宮沢りえに思いを寄せる浅野忠信の3人が主要キャストにしてオールキャスト。もとが舞台劇だけに家の中のシーンがほとんどだが、黒木監督はしっかりとした演出で反核の願いを込めた物語を展開していく。黒木作品には珍しくCGを使った原爆投下とその後の広島の街の様子が描かれる。場面は少ないが、細かい部分まで描いてCGとしては良い出来の方である。しかし何よりも、「うち、人を好いたりしちゃいけんのです」と死者に対して気兼ねする宮沢りえが素晴らしく良い。
パンフレットによると、この「自分だけが生き残って申し訳ない」という意識は作者の井上ひさしが多数の被爆者の手記を読んだ結果得たものであり、それは黒木和雄の戦時体験にもつながるものだという。黒木監督の前作「美しい夏キリシマ」に空襲で死んだ友人を見捨てて逃げた監督の悔恨の思いが込められていたように、この映画の主人公にも被曝した父親を助けようとして助けられなかった悔恨がある。それがどう癒やされていくか、どう復活のきっかけをつかむかを映画は丹念に綴っている。俳優2人の対話によって進む物語は密度の濃い空間を生んでおり、「美しい夏キリシマ」より充実していると思う。マイケル・ムーアは大きな対象を批判するのに個人の体験や言葉を多数引用したが、黒木和雄は戦争を描くのに個人の体験と意識に絞り、温かみがありながらも鋭い作品を作った。個人の体験を重視する方法論がここでは十分に成功している。
主人公は図書館に勤める福吉美津江(宮沢りえ)。激しい雷におびえて家に帰ってきた美津江は押し入れの中入っている父親(原田芳雄)を見つける。雷が「ピカ」を連想させて、父親も怯えていたのだ。2人の会話から、やがてこの父親は原爆投下時に死に、今は幽霊となって現れたことが分かる。原爆の資料を集めるために図書館に来た木下(浅野忠信)への美津江の恋心から父親は生まれたという。美津江は木下に惹かれながらも、自分だけが幸せになってはいけないと思いこみ、木下への思いを断ち切ろうとしている。なぜか。美津江は原爆投下後、死んだ友人の母親から言葉を投げつけられる。「なひてあんたが生きとる」「なひてうちの子じゃのうて、あんたが生きとるんはなんでですか!」。加えて、美津江には被曝した父親を見捨てて火災から逃げねばならなかった過去がある。我が子を亡くした母親の理不尽な思いから出た言葉と父親を助けられなかった悔恨がその後の美津江を縛っていた。
美津江が原爆の呪縛から解き放たれることになる父親の言葉は、普通の人間の当たり前の願いである。なぜ、自分は生きているのか、死者に報いるには何をすればいいのか、映画は何も難しいことを要求しない。普通に生きていくこと、死者の分まで生き続けることを訴えるだけである。そこがいい。広島弁で語られる会話は温かさを生み、日常の細かな描写がリアリティを生んでいる。
2004年11月03日 [Wed]
■ 「テキサス・チェーンソー」(DVD)
トビー・フーパーのカルト的な傑作「悪魔のいけにえ」のリメイク。リメイクとしては良くできている方で、なかなか怖い。フーパー版ではラスト、ヒロインがようやく逃げてトラックの荷台でヒステリックに笑い続けた。あれは極限の恐怖から解放されたために起きた笑いで、そのあたりがリアルだった。今回は、ヒロインが反撃に転じる場面から怖さがなくなる。よくある殺人鬼との対決になってしまうのだ。冒頭のヒッチハイクの場面はフーパー版では異常者一家の男だったが、今回は女。という風に細部が少しずつ違う。
監督はMTV出身のマーカス・ニスペル。そのためかビジュアル面では申し分なく、荒野にポツンと立つ一軒家など冷たい感触の色合いは異常なホラーに良く合っている。最後に「物語は実際の事件に基づいているが、登場人物や地名はフィクション」と出る。実際の事件とは言うまでもなく、エド・ゲインの事件。しかし、ゲインはチェーンソーは使わなかっただろう。ヒロイン役のジェシカ・ビールは「ブレイド3」に出演するそうだ。
■ 「Seed of Chucky」予告編
「チャイルド・プレイ」シリーズの第5作。僕は劇場では2作目までしか見ていないが、シリーズとしては「チャイルド・プレイ チャッキーの花嫁」(1998、Bride of Chucky)以来、6年ぶりの公開となる。相変わらずな内容みたいだが、根強い人気があるのか。1作目がまずまずの面白さだったので続くのでしょう。12日からアメリカで公開。邦題はまだ未定。
2004年11月04日 [Thu]
■ ブッシュ再選
あーあ、という感じだな。あれぐらいの僅差なら、大統領選前に予定していて直前に中止された「華氏911」の放映が実現していれば、と思う。もちろん、放映やめさせたのはブッシュ陣営なんでしょうけどね。
ブッシュ大統領、次の4年間ではどこと戦争をするのだろう。
2004年11月06日 [Sat]
■ PC-MV51XR/PCI
バッファロー製のハードウェアエンコード型チューナーボード。去年の今ごろはチューナーボードで何を買おうか迷っていたが、今やすっかり興味がなくなった。MTVX2004も結局、録画には使っていない。テレビを時々見てるだけ。録画するならやはりDVDレコーダーの方がいい。ま、パソコンで録画すると、加工が自在にできるというメリットはあるんですけどね。そんなことやらないのがよく分かりました。録りためたビデオをMPEG2に変換するにはいいのだが、それもまったくやっていない今日このごろ。
■ マイケル・ムーア敗戦の辞
町山智浩さんの日記より。「手首を切るのを思いとどまる17の理由」が書いてある。「ブッシュはもう任期を消化するだけになった」。そう、実際には1月下旬に就任だから、あと4年と少しの辛抱だ。
2004年11月07日 [Sun]
■ 「西部警察スペシャル」
ケーブルテレビで先月31日の放送を見逃した。テレビ宮崎ではきょう放送していたので録画。最初の30分余りしか見ていないが、あまり感心できない出来。渡哲也と舘ひろしを除くとほとんど新人レベルという鳩村軍団の面々では弱い。ま、テレビシリーズになって毎週放送するなら、これでもいいのでしょうがね。
シーガイアのホテルにテロリストが立てこもる設定だが、立てこもるのは今はホテル営業はしていないシーサイドホテルフェニックス。さすがに43階建てホテル(シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート)の方で大騒ぎなロケはできなかったのでしょう。脚本は峯尾基三。監督は村川透。
渡哲也には「レディ・ジョーカー」での演技を期待したい。
2004年11月08日 [Mon]
■ [MOVIE] 「いま、会いにゆきます」
「雨の季節に戻ってくる」。そう言い残して妻の澪が病死して1年。父親の秋穂(あいお)巧と息子の祐司は不器用ながらも仲良く暮らしている。父親は神経を病み、人混みに出かけられない。息子を連れて行った夏祭りでは倒れてしまう。そして、雨の季節がやってきて、本当に澪が帰ってくる…。
市川拓司の原作を岡田恵和(よしかず)が脚本化し、「オレンジデイズ」などテレビのベテラン演出家・土井裕泰(のぶひろ)が映画デビュー作としてメガホンを取った。夫婦愛、親子愛に彩られた幸福感あふれる映画である。ファンタジーなので妻が戻ってきたことに理由がなくてもいいのだが、映画は終盤に物語を別の視点で語り直してその謎を明らかにする。そして途中で感じた疑問点がすべて氷解する。これは脚本か演出の不備だろうと思えた部分が実はそうではなく、すべて計算されていたものであることが分かるのだ。同時に映画の中の物語がいっそうの深みを増して迫ってくる。ラストでようやく意味が分かる「いま、会いにゆきます」というタイトルはヒロインの覚悟と愛情の深さを示して感動的である。あざとくて安っぽくて志の低いお涙ちょうだいものではさらさらなく、洗練されたプロの仕事を見せつけられた感じ。この脚本の完成度は相当高い。
「黄泉がえり」「星に願いを。」「天国の本屋 恋火」とファンタジーで絶好調の竹内結子と中村獅童の好演が相まって、日本のラブファンタジーとしては希有な作品に仕上がった。見終わって思い浮かべたのは「ある日どこかで」(1980年、ジャノー・シュワーク監督唯一の傑作)だが、ある意味、あの名作を越えた充実感がある。なんという幸福な映画であることか。そしてなんと心を揺さぶられる映画であることか。秀作の多い今年の日本映画の中でも上位に入る傑作。もちろん、必見。
正直に言えば、巧(中村獅童)と祐司(武井証)が2人で暮らす序盤の描写は朝食の目玉焼きや夕食のカレーライスに失敗したり、家の中が散らかっていたり、夏なのに冬のスーツを着ていたりする場面を丁寧に描いてはいても、どこかぎこちない部分が残る。やはりテレビの演出家だからなあ、と思っていたのだが、澪(竹内結子)が戻ってきた場面で一気に感心させられる。死んだはずの人間が帰ってきて、迎える人間はどういうリアクションを起こすのか。それ以上に戻ってきた人間はどう描かれるのか。そこを映画は澪がすべての記憶を失っていたという設定にしてうまくかわしてみせる。2人と一緒に暮らすことになった澪は徐々に2人に愛情を感じるようになり、巧から2人の出会いと現在までの経緯を聞くことになる。
それは観客にとっても澪にとっても実に魅力的なラブストーリーである。2人の出会いは高校時代。2年間、同じクラスで隣の席に座っていた。巧は澪に片思いしていたが、打ち明けられないまま、ろくに話もせずに卒業することになる。陸上に打ち込む巧は地元の大学に、澪は東京の大学に行く。ただ、卒業時に澪のノートに言葉を書いた際、ボールペンを一緒にノートに挟んでいた。それを返してもらうことを口実に巧は澪に電話する。初めてのデートで堰を切ったように話し、2人の仲は順調にいくかと思われたが、巧は陸上に打ち込みすぎて体を壊し、陸上も大学もやめる。澪にこんな体の自分に付き合わせるわけにはいかないと思い、別れを切り出してしまう。
この恋愛初期のおずおずといった感じの描写が微笑ましくて良い。竹内結子も美しく魅力的であり、これまでの出演作のベストだろう。澪が一緒にいられるのは雨の季節が終わるまで。いずれ澪が再び消えてしまい、親子2人の生活に戻ることは見えている。そして実際にそうなる。これで終わってしまえば、まずまずの佳作どまりだが、そこから映画は先に書いたような終盤を用意している。
テレビドラマに疎い僕は脚本の岡田恵和については知らなかった。キネマ旬報11月下旬号によると、土井監督の最高のパートナーとも思える存在という。キネ旬のインタビューで岡田恵和は「いわゆる亡くなった奥さんが戻ってきて、そしてまた去っていくという、ただそれだけの話にはしたくなかった」と言っている。その思いがあったからこそ、この終盤の素晴らしさが生まれたのだろう。土井監督は再び、テレビの世界に戻るそうだが、ぜひ2人のコンビで第2作を作ってほしいと思う。
■ [MOVIE] 「オールド・ボーイ」
15年間監禁された男の復讐を熱っぽく描く韓国映画。土屋ガロン・作、嶺岸信明・画のコミックを「JSA」のパク・チャヌクが監督し、今年のカンヌ映画祭でパルム・ドールの「華氏911」に次ぐグランプリを受賞した。誰が監禁したのか、なぜ監禁したのかという謎を巡ってストーリーが展開する。「誰が」という部分を映画は早々に明らかにするが、それは「なぜ」の部分が映画の中心であるからだ。犯人が分かってもその真意はなかなか分からない。原作にはない犯人の主人公への残酷な仕打ちを付け加えたことで、映画は異様な傑作となった。ただし、映画の評価というのは相対的なものだから、これを見た後に「いま、会いにゆきます」を見たら、脚本の出来では完全に評価が下回ってしまった。
この映画の真相部分に驚き、だから15年なのかと納得し、確かにオリジナルなアイデアだと感心しながらも、あまり手放しで絶賛できないのはそれがタブーに関わるからで、「目には目を歯には歯を」を実践して相当ショッキングではあるけれど、うーん、どうかと思えてしまう。映画のテクニックとしても、うまさを感じるほどではない。しかし、「シュリ」で北朝鮮の兵士役を演じて「お前らに飢えて自分の子どもを食らう親の気持ちが分かるか」と叫んだチェ・ミンシクは今回も凄すぎる演技を見せる。15年間の監禁生活で復讐のモンスターと化し、相手に突進していく異様な迫力。アクション場面の撮り方はそれほどうまいとは言えないが、主人公の怒りが伝わって熱気がこもっている。これと主人公を助ける女を演じる新人カン・ヘジョンを見るだけでも価値はある。そしてカンヌでクエンティン・タランティーノが絶賛した意味もよく分かる。同じ復讐ものでも、主人公の復讐の念が段違いに強く切実な点と、復讐が交錯している点で、これはタランティーノ「キル・ビル」より、はるかに面白い。
「俺はけものに劣る存在だけど、それでも生きる権利はあるでしょう」。前半に出てくるこのセリフが終盤に生きてくる。主人公のオ・デス(チェ・ミンシク)は酔っぱらって警察に保護され、家に帰ろうとしたところで何者かに拉致される。気が付くと、ベッドとテレビがある部屋の中。窓はない。定期的にガスが流れ、眠らされる。食事はちゃんと出てくるが、監禁される理由に思い当たりはない。やがて妻は惨殺され、その容疑は自分にかかる。絶望して自殺も試みるが、そのたびに助けられる。オ・デスは自分を監禁した犯人への復讐の念を積み重ね、脱出を計画。しかし、15年たって、突然解放される。オ・デスは寿司屋で出会ったミド(カン・ヘジョン)の家に転がりこみ、自分を監禁した犯人を捜し求める。
監禁された場所を探り当てたオ・デスが十数人のチンピラを相手に立ち回りを演じるのがアクション場面の白眉。このほか、街を必死に走る姿や何事にも突進していく姿などチェ・ミンシクの体を張った演技は絶賛に値する。よくよく凄い俳優だと思う。
パク・チャヌクにこの原作の映画化を勧めたのは「殺人の追憶」のポン・ジュノ監督だったという。完成した映画は「殺人の追憶」には及ばないが、パク・チャヌクのヒット作「JSA」より充実している。今年はたくさんの韓国映画が公開されたが、残るのはこの2本ではないかと思う。
2004年11月09日 [Tue]
■ [MOVIE] 「隠し剣 鬼の爪」
主人公の片桐宗蔵(永瀬正敏)が下働きのきえ(松たか子)に実家に帰るよう命じる中盤のシーンがどうしても引っかかる。ここで宗蔵は「お前はまだ若く、気だてのいい女なのだから、いつまでも私のところにいてはいけない」と理由を説明するのだが、この前のシーンで義兄の島田左門(吉岡秀隆)から「商家の嫁を奪い取って、妾同様に囲っているという噂が立っている」との忠告を受けたことがこのセリフの直接的な要因となる。もちろん、宗蔵ときえはそんな関係にはないが、きえとの暮らしに満足していた宗蔵がそんな話を急に切り出す真意がつかめない。きえに言った通りの理由であるならば、義兄が忠告する場面は不要だった。そして別の(宗蔵のセリフ通りの理由に説得力を持たせる)エピソードを入れた方が良かっただろう。きえは涙を流しながらも宗蔵に命じられた通り、実家に帰ることになる。ここで2つの原作のうち、「雪明かり」のパートが終わり、より時代劇らしい「隠し剣鬼ノ爪」のパートが始まる。ここも良い出来なのだが、2つの短編のつなぎ方に無理があったために、この中盤のシーンが浮いてしまったのではないかという気がする。その意味で3つの短編をうまく融合させた前作「たそがれ清兵衛」よりも脚本の技術としては落ちる。微妙なけちの付け方とは思うけれど、この映画が「清兵衛」に及ばなかった原因の一つはそこにある。
宗蔵の家で3年間働いたきえは商家に嫁ぎ、ひどい姑(光本幸子)によって、朝から晩まで休む間もなく働かされたため、ついには病気になってしまう。宗蔵はきえと3年ぶりに再会して、そのやつれた姿に驚くが、やがて病に倒れたことを知り、商家に乗り込んで、無理矢理きえを連れて帰る。この「雪明かり」のパートは松たか子の好演によって紅涙を絞る展開である。いつものように山田洋次監督の技術の高さにうならされてしまう。山田洋次、こういう貧しい人たちが苦難に耐えるシーンを描かせたら絶妙である。前述の中盤のシーンを挟んで、後半の「隠し剣鬼ノ爪」。宗蔵とかつて一緒に剣を学んだ狭間弥市郎(小澤征悦)が謀反を起こしたとして捕らえられる。といってもこのシーンは前半に織り込み済みである。狭間は江戸から故郷に連れて帰られ、切腹することも許されぬまま牢に入れられるが、見張りを倒して脱獄し、農家に立てこもる。宗蔵はその狭間を討つように命じられる。宗蔵はかつて御前試合で狭間に勝ったことがあり、師範の戸田寛斎(田中泯)から隠し剣を伝授されていた。家老(緒形拳)はそこを見込み、大目付の甲田(小林稔侍)とともに宗蔵にかつての仲間を討てと命じるのだ。逆らえば謀反の仲間とみなされる。宗蔵は藩命に逆らえず、農家に向かうことになる。ここで描かれるのは悪徳家老に怒りを感じる主人公の姿である。欲を言えば、過去の御前試合のシーンを少しでも入れておいた方が良かっただろうが、このパートも決して悪い出来ではない。
困るのは一つ一つのシーンには感心しながらも、映画全体としてはそれほど響いてこないことだ。つまらないわけではないのに、「清兵衛」の完成度にはほど遠いと言わねばならない。下級武士のつましい暮らしを詳細に描き、自分の身分を受け入れて不平不満を言わない姿が世のサラリーマンの支持を集めた「たそがれ清兵衛」に比べると、今回の映画のベクトルは違う方向にある。至極単純にまとめてしまえば、今回は嫌な上司のいる組織に見切りを付ける男の話。つまり脱サラする男の話なのである。そこと「雪明かり」のパートをどう結びつけるかが脚本の腕の見せ所なのだが、それほどうまくいっていないのである。
ついでに言えば、今回の主人公は三十石。清兵衛は五十石の身分だったが、同じ東北・海坂藩の藩士なのに、清兵衛ほど貧乏暮らしには見えない。つまり、今回は描こうとしたことが「清兵衛」とは違うからだろう。そして、後半が一般的な時代劇にシフトした分、「清兵衛」のオリジナリティには及ばなかったわけである。
2004年11月10日 [Wed]
■ コメントスパム
来た。URLしか書いてないやつ。といってもツッコミは表示していないので実質的な被害はない。メールは来たが、3通だけだったし。この場合、fromのアドレスが自分のアドレスなのでSpam MAIL Killerでは削除できない(知人リストに入れているので処理の対象外)。ウィルスバスターは迷惑メールに判定していた。とりあえず、これぐらいの数なら対策はまだいいか。
■ [MOVIE] 「笑の大学」
傑作舞台劇の映画化。昭和15年を舞台に、浅草の軽演劇一座「笑の大学」の座付き作家椿一(稲垣吾郎)と警視庁保安課の検閲官向坂睦男(役所広司)の7日間の攻防を描く。原作・脚本の三谷幸喜によると、映画版は「コメディを題材にしたシリアスなドラマ」という。といっても今川焼を巡る爆笑のやりとりをはじめ言葉のギャグは満載で、笑って笑って最後に感動させてという構成はいかにも日本的なコメディである。個人的には最後のほろりとさせるエピソードなど不要に感じたし、もっと別のラストは考えられなかったのかと思うが、これはモデルがエノケン一座の座付き作家で戦死した菊谷栄だから仕方ない面もあるだろう。ちょっとオーバーアクト気味な稲垣吾郎の演技はバラエティ番組の演技としか思えない(これは演出に関わることだが、警視庁の前に来るたびに圧倒されて倒れそうになるなんてありえないだろう)けれど、必死さは伝わってきて悪くない。それを受け止める役所広司の演技が素晴らしく、この映画のほとんどの笑いは役所広司のキャラクターと演技からきている。舞台を映画にして何の意味があるのかという根源的疑問はつきまとうし、ちっとも映画らしくない映画なのは気になるにせよ、見て損のないドラマには仕上がっている。
サイレント映画のようなタッチで映画は始まる。第2次大戦直前のきな臭い時期なので、演劇は当局の検閲を受けなければならない。「ジュリオとロミエット」というパロディを提出した椿一は検閲官の向坂から「毛唐を題材にするなんて」と一喝され、上演不許可の判子を押されそうになる。「チャーチルが握った寿司を食べたいと思うか」というたとえがおかしい。椿は日本を舞台にして翌日までに書き直すと約束し、危うく不許可を免れる。しかし、翌日も向坂は接吻シーンが良くないとして、書き直しを要求する。椿は書き直しを命じられた部分をまた笑いにしてしまう性分。そこが向坂の気に障るところでもあるのだが、「この非常時に喜劇の上演なんて」と考えていた向坂は次第に椿の台本に魅せられ、最高のコメディを椿と一緒に作り上げていくことになる。
書き換えていく過程でどうすればおかしくなるかというコメディの本質を突いたセリフも出てくるので、「シリアスなドラマ」なのだろう。同時に映画は検閲制度に対する批判も込めている。惜しいのはそれと現代とのつながりが見えにくいこと。体制の中から出ず、制限された範囲内で喜劇を作ろうという椿の姿勢には物足りない部分が残るのだ。それが映画としての批判の甘さにつながっているのかもしれない。
監督は「古畑任三郎」などテレビのディレクターで、これが映画デビューの星護。演出は手堅かったが、もっと動きのある題材でないと、本当の力は分からない。2作目を期待したい。
2004年11月11日 [Thu]
■ [MOVIE] 「血と骨」
昨日、見た。見た直後は頭がクラクラして考えがまとまらなかった。
主人公の金俊平(ビートたけし)が一斗缶に入った豚肉を食う場面がある。豚肉は自分でさばいたものだが、日がたっているので既にウジがわいている。俊平はウジをはらいながら口に入れる。それを見ていた息子の正雄は気持ち悪くなって吐いてしまう。あれは朝鮮料理なのかと思って、いろいろ調べてみたが分からない。脚本にも「豚の腐肉」と書かれているだけである。キネ旬を読んでみたら、崔洋一監督インタビューにこうあった。
「(釜山映画祭で)おもしろい質問をしたやつがいた。あの腐肉は日本食なのか、韓国食なのかと聞かれたんですよ。で僕の答えは、いやどちらでもない、あれは俊平食だと。食べても元気にならないから食べるのはやめなさい、と言うと、ウケてましたね」。俊平は後で2年も一緒にいるのに赤ん坊が生まれない愛人の清子(中村優子)にもこれを無理矢理食べさせる。俊平にとって、これは活力を付ける食べ物だったのだろう。
「その男、凶暴につき」を字義通りにいくような金俊平という在日コリアンの生涯を描いたこの映画、重厚な描写が2時間24分も続く力作である。金俊平という男の生き方も特異なら、映画の方も特異で見終わると、ぐったり疲れる。描かれる暴力はアクション映画のそれとはもちろん異なり、見ている方にも痛みと悲惨な感情を伴う。金俊平は自分の思うとおりにことが進まないと、暴れだし、家を壊し、家族を殴り、他人を殴り、その暴力はとどまるところを知らない。死ぬまでこの調子だったのだから恐れ入る。決して近くにはいてほしくない人物である。実際には身長183、4センチの巨漢だったというこの男をビートたけしが凄みを持って演じている。
金銭欲と性欲と支配欲の権化のような金俊平は原作者の梁石日(ヤン・ソギル)の父親がモデルで、戦前、済州島から大阪に渡ってきた。原作は未読だが、映画は原作の前半にある金俊平の青春部分を除いてあるそうだ。そこまで描くと、上映時間は4時間ぐらいになってしまうだろう(初稿は7時間半あったという)。徹底的に他人を信用しない金俊平の人格がどのように形成されていったのかも興味深いところだが、崔洋一監督が目指したのは半径200メートル以内を暴力で完全に支配した身勝手な男の生き方であり、精神分析的な部分には興味がわかなかったのかもしれない。俊平と私生児の朴武(オダギリジョー)が雨の中、延々と殴り合うシーンをはじめ、暴力シーンは多いが、映画で印象的なのは俊平の毒気に巻き込まれて不幸になっていく女たちの姿である。
蒲鉾工場で金をためた俊平は家族が住む長屋の近くに家を借り、戦争未亡人の清子を愛人にして一緒に住む。清子は相当な美人で、酒屋のおやじ(トミーズ雅)が「お姫様みたいや」とつぶやくほど。妻の李英姫(鈴木京香)とのセックスがレイプまがいなのに対して、清子とのセックスは穏やかに描かれる。間もなく、清子は脳腫瘍に倒れる。手術して髪の毛を剃り、頭の一部が陥没した清子の姿は元が美人だけに、ただ悲惨である。言葉も「アー、アー」としかしゃべれず、半身不随で寝たきりとなっている。リヤカーの荷台に乗せて清子を家に連れ帰った俊平は、タライで清子の体を洗うなどこまめに世話をするが、やがて別の愛人定子(濱田マリ)を家に連れ込み、清子の世話をさせるようになる。清子と定子は反目し合い、階下で俊平が定子と一緒にいると、二階から動けないはずの清子が転げ落ちてくる。やがて俊平は濡れた新聞紙を顔に押しつけて清子を殺す。それを見た正雄(新井浩文)に対して、俊平は「楽にしたった」とつぶやく。
娘の花子(田畑智子)は俊平から殴られて歯を数本折る。俊平の支配から逃れるため、好きでもない男(寺島進)と結婚して家を出るが、この男も暴力をふるい、花子は顔に青あざを作るようになる。暴力に耐えきれず、家を出るため正雄に金を借りようとして断られると、首を吊って自殺してしまう。DVから逃れようとした女がやはりDVを振るう男と一緒になってしまうという典型的な例。男尊女卑が徹底したコリアン社会の特色というよりも、そういう時代だったのだろう。
女が印象に残るといっても、崔洋一は今村昌平ではないのだから、女が中心テーマであるわけではない。あくまでも金俊平という男の生き方に惹かれたのだろう。この男の凄まじい生き方を突きつけられて、僕らはそれをどう受け止めればいいのか戸惑ってしまう。そうした戸惑いの一方で、こうした男はかつて確かにいたということも思い出す。映画が描く多数のエピソードのどれかに思い当たる観客は多いのではないか。かつては飲んで暴れる、俊平をスケールダウンしたような父親なんてたくさんいたし、今もいるだろう。俊平は酒が入っていなくても暴れるのだが、両者に共通するのは現状への不満が積もり積もっていることなのではないかと思う。社会の閉塞感が原因なのか、在日コリアンへの差別なのか、俊平がどこに不満を感じていたのか、そもそもそれが暴力の原因なのか、映画は分析していないので分からない。しかし、この映画がぬるま湯の現状に突きつけた過激な作品であることは間違いない。描写は平易だが、単純な分析を許さない映画であり、見終わっても長く後を引く作品である。
崔洋一はかつてハードボイルド調の作品も撮ったが、この「血と骨」もまた、主人公の内面描写を廃している点で、ハードボイルドの精神に近いものがある。行間を読むことを観客に強いる映画なのだと思う。
2004年11月12日 [Fri]
■ 志水辰夫の随想〈特別版〉
「ミステリマガジン」12月号の「隔離戦線」に、池上冬樹が「裂けて海峡」のラスト改変問題について書いている。新潮文庫版のラストの1行(というか最後の言葉)のみ変えたそうなのだが、それに読者が抗議して、作者が自分のホームページで釈明しているとのこと。で、見てみた。体言止めをやめて普通の文章にしただけだが、確かに印象的なラストだったから、ファンの気持ちも分からないではない。僕がこれを読んだのはもう随分前だが、それでもこのラストの言葉は覚えていた。
で、この釈明文章の下に2つの映画の感想がある。「美しい夏キリシマ」と「ラスト・サムライ」。さらにその下には「映画のこと」というエッセイもある。シミタツは映画ファンだったのか。
どんな映画ファンなのか、ちょっと引用しておく。
「明かりのついた部屋でお茶を飲みながら、菓子をつまみながら、ときにはかみさんの相手をしながら見るのでは、感情移入のしようがないではないか。映画は絶対に映画館で見るべきものなのだ」
「スクリーンは夢のつづきであってもらいたいし、またそういう夢を見させてくれるものでありつづけてもらいたいのだ」
「いまの自分が若いとき見た映画からどれだけ多くのものを授かっているか、映画というものがなかったらいまのわたしはなかったといってけっして過言ではないのである」
2004年11月13日 [Sat]
■ 3,5000行削除
hnsのアクセスログを見たら、6MBほどになっていた。BATTAのログを別に記録すればいいのだが、それほどアクセスが多いわけでもないのでいいかと思っていたのだ。で、BATTAと判定されたログを削除。以前書いた不要キーワード行削除マクロを使用したら、35,000行ほど削除された。msnbotのアクセスが多かった。
このマクロ、Namazuの検索ログを削除するのに書いたのだが、けっこう便利だな(自画自賛)。
■ 「日活アクションの華麗な世界」注文
昼食で会社の近くのトンカツ専門店に行く。ここのトンカツはころもがカラッとしているのに軟らかくてうまい。さすが専門店、使ってる油も違うのだろうなあ、と思う。カラッとしていて、ころもが硬い店はたくさんあるけど、そういうのはおいしくない。
で、店にあった1カ月ほど前の週刊誌を読んでいたら、渡辺武信「日活アクションの華麗な世界」が1冊になって再刊されたという記事があった。知りませんでした。調べてみると、今年5月に出ている。
これはキネマ旬報の連載をまとめたもの。連載は僕がキネ旬を買い始めたころ、まだ続いていて毎回楽しみに読んでいた。かつて3冊に分けて出版されたが、当時は高くて(というか、僕に金がなくて)買えなかった。今回のやつはそれを1冊にしてあり、税込みで6,090円という。懐かしかったし、資料的価値も高いので楽天ブックスに注文した。
2004年11月14日 [Sun]
■ 参観日
小学校の。PTAのバザーと併せて行われた。朝8時過ぎに学校に行き、昼頃まで。家内はバザーの係なので、僕は長男のクラスに行って、一緒に紙鉄砲作り。用意された筒用の竹を切り、軸となる竹を削って作った。簡単。しかし、ほとんど僕が作ったような気が。良かったのだろうか。紙鉄砲は濡れた紙を詰めて打つやつで、うまくいくと、ポンと音がして飛ぶ。なんだか懐かしい。にしても、立ちっぱなしで疲れた。
バザーでは焼きそばとお茶と焼き鳥を買って教室で食べた。焼きそばは僕が作った方がおいしいぞ。
2004年11月15日 [Mon]
■ 著作権フリー映画
PD CLASSICという会社からメール。懐かしのDVDを380円で販売しているそうだ。著作権が切れてパブリック・ドメインになった映画ばかり。380円という価格は魅力ではあるが、疑問なのはどこからフィルムを入手しているかということ。JR東日本のキオスクでも販売しているそうだから、信用がないわけではないが、気になるところ。 Googleで検索してみると、フジサンケイビジネスアイの記事(Googleのキャッシュ)にこうあった。ピーディー・クラシックは、フィルムとして保管されているパブリックドメイン作品を持っている米国企業から映像を買い、DVD化して発売する。デジタル技術を使って、フィルムの汚れや傷を修正し、日本語字幕を付けて収録している。
なるほど。アメリカにはパブリック・ドメインの映画を管理している会社があるのか。それにしてもこの会社のページ、「ページが見つかりません」が頻発して信用度を落としてますね。おまけにメールはCCで送られているし。ちょっと気を遣った方がいいと思うぞ。
■ [MOVIE] 「コラテラル」
12年間タクシーの運転手をしているマックス(ジェイミー・フォックス)には夢がある。リムジンの会社を持つこと。タクシー運転手は本人にしてみれば、仮の仕事である。そんなマックスを見透かしたように殺し屋のヴィンセント(トム・クルーズ)が言う。「みんないつかは自分の夢が実現すると思ってる。しかし、何もしない。夢をどこかに置いて、テレビをボーっと見ている。そしてある日、鏡を見て自分が年を取ったことに気づくのさ」。
これと対をなすのが序盤にある女性検事アニー(ジェイダ・ピンケット=スミス)との会話で、翌日の公判を控えてナーバスになっているアニーにマックスは休養を取るよう勧める。自分は仕事中でもボラボラ島の写真を5分間見ることで休息していると言い、「これが必要なのはあんただ」と写真を渡す。そしてアニーは自分の名刺を渡すのだ(2人に交流が芽生えるこのシーンを見れば、クライマックスの予想は付く)。事件の巻き添え(コラテラル)になったタクシー運転手という本筋の話よりも印象に残るのはそんなセリフで、脚本のスチュアート・ビーティー、サスペンスとは別の意味でなかなかうまいと思う。マイケル・マン監督の映画としては特に出来がいいわけではないが、演出は的確であり、ひと味違ったサスペンス映画になっている。
マックスはアニーを降ろした後、同じビルの前でヴィンセントを乗せる。予測した通りの時間でヴィンセントを目的地まで送り届けると、マックスの腕を見込んだのか、ヴィンセントは600ドルで今夜行く数カ所への運転を依頼する。マックスが一休みしていたところ、ビルの窓から車の屋根に死体が落ちてくる。死体はヴィンセントが殺した男。ヴィンセントは殺し屋で今夜5人を始末するという。脅されたマックスは男の死体をトランクに入れ、次の目的地に向かう。死んだ男は麻薬組織の一員で、裁判の証人だった。男が消えたことで麻薬捜査官のファニング(マーク・ラファロ)など警察も捜査を開始する。ヴィンセントが3人目を殺したところで、マックスはヴィンセントの鞄を奪い、道路に投げ捨てる。中には標的の資料が入っていた。ヴィンセントは組織のボス、フェリックスに会い、標的の資料をもらうよう強要する。
タクシー運転手が主人公の映画と言えば、マーティン・スコセッシ「タクシー・ドライバー」がある。あの映画がニューヨークの風俗をつぶさに映し出したほど、ロサンゼルスの街がよく描かれているとはいえないのがちょっと不満な点。これは狙いが違うのだから仕方ないが、平凡な運転手だったマックスの変化も明確には描かれないのが弱いところか。クライマックスは5人目の殺しを阻止しようとするマックスとヴィンセントの対決になる。いくらヴィンセントがけがをしていたとはいっても、マックスに勝てる理由は見あたらないのも弱い。しかし、ジェームス・ニュートン・ハワードの音楽とディオン・ビーブの撮影はともにレベルが高く、映画に貢献している。
凄腕のタフな殺し屋を演じるトム・クルーズは、白髪交じりの髪に無精ひげのメイクでうまく役にはまっている。美男俳優が殺し屋を演じるのはアラン・ドロンを持ち出すまでもなく、かつては普通のことだった。冒頭、ヴィンセントが降り立つ空港の場面に「スナッチ」「ザ・ワン」のジェイソン・ステイサムが出てくる。ヴィンセントにぶつかって鞄を渡す男の役でパンフレットには名前が記載されていない(この映画のパンフはまったく詳しくない)。ゲスト出演か。
2004年11月16日 [Tue]
■ Pentium 4の“永久最速版”3.8GHzがリリース
これで3.6GHzが安くなるはずなんだが、VAIOもエプソンダイレクトもまだ安くはなっていない。もうしばらくかかる? どちらも3.8GHzを既にラインナップに加えているのはさすが。
ためしにWinXP ProSP2、CPU3.8GHz、HDD250GB、グラフィックボードRadeonX300でBTOしてみると、エプソンダイレクトは253,995円。VAIOは321,800円。価格差が7万円近くあるが、これはソフトウェアの差として理解はできる。VAIOにはPremiere Proなど多数のソフトが付属するが、エプダイはソフトウェアなし。Premiereだけでも正規に買うと、9万円以上するので、7万円の価格差も決して高くはないのだ。エプダイの場合、チップセットが925XEなのがメリットか。VAIOは915P。でも、これもそのうち変えてくるような気がする。
2004年11月17日 [Wed]
■ 石油ファンヒーター
そろそろ寒くなってきたので、石油ファンヒーターを買うことにする。去年壊れたのだ。楽天を調べたら、7万いくらのやつが4万いくらで売っていたので注文(木造15畳対応)。
もちろん、楽天カードで買ったのでポイントが800ポイントほどつくはず。こういう家電まで楽天に注文するというのは、相当毒されてますね。ま、しかし店に行かずにパソコンの前で買えてしまうというのはやはり便利。安いのを探して実際に家電屋さんを数軒回ると時間がかかるが、パソコンなら数分だものなあ。
■ 日本1−0シンガポール
ま、二流の選手が中心だから、二流の試合でも仕方がないか。と思われるだろうな、あんな試合では。所詮、消化ゲームか。あまり得るところもなかったし、これならカズたちを出しても良かったのではないか。
2004年11月18日 [Thu]
■ 同じネタ
週刊ポストを読んでいたら、映画評論家の某氏がコラムを書いていた。あれ、こういう文章どこかで読んだなと思ったら、キネマ旬報に書いてあったものとネタは同じだった。「隠し剣 鬼の爪」をテーマに今の武士道のイメージが明治以降に作られたものだという話。佐伯真一「戦場の精神史 武士道という幻影」を紹介しながら、「隠し剣…」で永瀬正敏が行う“卑怯な”戦法は「武士らしくないのではなく、本当の武士らしいのだ」との趣旨でまとめている点で同じである。
一つのネタを2回書くこと自体は(褒められたことではないにせよ)珍しくはないが、同時期に出る雑誌でそれをやるのはどうかと思う。
■ 「Sleipnir」「PictBear」の作者のパソコンが盗難に遭い開発中止に!?
パソコン盗まれてソフトの開発中止というのは前代未聞じゃないかな。ちなみに僕は標準のブラウザをSleipnirにしている。うーん、Firefoxに変えようか。泥棒はSleipnirの作者のパソコンと知ってて盗んだのか? それはないでしょうね。
2004年11月19日 [Fri]
■ 秋のグラフィックスソフト新製品 主要3製品を機能別に徹底比較!
さんざん機能比較しているのに、結論が「目的や操作性の好みで自分に合ったソフトを選んでほしい」では困る。「これが一番」と書いてほしいところ。ま、無理なんでしょうね。
きょうはPhotoshop Elements3.0の発売日。先日注文したのが届くのは明日になるようだ。
2004年11月21日 [Sun]
■ 食あたり
未明に気分が悪くなって目が覚める。トイレに行って、吐く。その後も、嘔吐と下痢の繰り返し。二日酔いかと思ったが、ここまで続くと、食あたりの可能性もあるか。昨日食べたものと言えば、某焼肉店のフルコース。レバー、センマイなどの刺身から始まってタン、ロース、ヒレ、カルビなどなど。おいしかったのだが、食べすぎだったようだ。あまり高級な肉は体に合わないのだろう。
2004年11月22日 [Mon]
■ [MOVIE] 「ハウルの動く城」
前作「千と千尋の神隠し」は2度行って満員で入れず、公開後1カ月にして3度目でようやく見ることができた。今回は平日の朝一番に見に行って、楽々座れた。2館で上映しているためもあるのだろうが、公開が夏休みに重ならなかったことが大きい。大人が見るためにも宮崎駿作品は子どもの休みと重ならない時期の公開が好ましいとつくづく思う。
さて、今回は一筋縄ではいかない作りである。呪いによって90歳のおばあさんに変えられた少女ソフィーがハウルとその仲間たちと擬似的な家族を築いていく、という表面的な物語自体は簡単なだけに、宮崎駿が込めたテーマが見えにくくなっている。終盤の展開を見れば、宮崎駿が「ハートを取り戻せ」「人間らしく生きろ」と言っているのは明確なのだが、原因と結果の描写を微妙にずらしている(あるいは単純な因果関係にない)ので解釈しにくいのである。これを子どもと一緒に見た親は子どもから「なぜ」を連発されることになるだろう。しかし、そうした描写の仕方によってこれは奥行きの深い物語になった。単純な比喩による一意的な解釈を許さない物語というのは確かにあって、そういう作品は時代によって受け取られ方が異なるものだが、イラク戦争が泥沼化した今の状況を考えれば、これは反戦が大きなテーマと受け取っていいだろう。今さら言うまでもなく、宮崎駿は硬派な人なのである。その意味でこれは「未来少年コナン」「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」という初期作品の延長線上にある作品と言える。
人の心臓を食べると言われるハウルという魔法使いに街で偶然会った18歳のソフィーが荒れ地の魔女に呪いをかけられ、90歳のおばあさんになる。このままでは家にいられない。家を出たソフィーは荒れ地で、かかしのカブを助けた後、ハウルの動く城にたどりつき、掃除係として一緒に暮らし始める。ハウルの城にはハウルと契約を結んで暖炉に縛り付けられている火の悪魔カルシファーと弟子のマルクルという少年が住んでいる。ハウルは夜になると、どこかへ出かけていく。この4人プラス魔力を失った荒れ地の魔女が次第に家族みたいになっていくと同時にソフィーはハウルに惹かれるようになるというのがメインプロット。併せてこの国で起きている戦争の描写もインサートされる。国王のそばにはハウルの師匠に当たる魔法使いのサリマンがいて、ハウルを戦争に協力させようとしている。このサリマンが一般的に言えば、悪役になるのだが、ここでも宮崎駿は一意的な描き方はしていない。敵を倒して終わらせる物語ではないのである。
呪いをかける方法は知っていても解く方法を知らないとか、カルシファーの「火薬の炎は嫌いだ。あいつらは作法を知らない」というセリフとか、ハウルが戦争で魔法を使いすぎて魔物になっていく描写(これはフォースのダークサイドに落ちるイメージを思い起こさせる)とか、戦争や愚かな人間を暗示した描写は至る所にある。終盤、ハウルが心臓を取り戻すシーンから一気に戦争の終息を示す描写など見ると、心臓=ハート=人間性を取り戻せば、争いごとはなくなるという主張がくっきりと浮き上がってくる。
心臓を取り戻したハウルは「体が重くなった」と言う。それに対してソフィーは「心は重いものなのよ」と答える。目に見える敵ではなく、自分の心の中にいる敵。人間の心次第で状況は悪化もすれば、好転もする。映画に戦争はあってもその具体的な理由や戦場の悲惨さはない。戦争を悪いこととして抽象化することで、映画は分かりにくくなっているし、大衆性も伴ってはいないけれど、それによって右翼左翼や宗教上のイデオロギーから独立した普遍的な作品になり得ていると思う。
2004年11月23日 [Tue]
■ Type R注文
SONY Styleに。後から増設できる部分は省いて注文したが、それでもそれなりの価格。配達日は12月4日らしい。データのバックアップを始めておかなくては。バックアップには外付けのHDDの方が手軽だろう。
■ リンクタグ作成Bookmarklet
あ、これは便利だな。タイトルとURLをリンク形式で作ってくれる。blog向けのスクリプト。Sleipnirの場合は秀丸マクロでリンク形式で挿入できるようにしているので不要なのだが、IEとMozillaではうまくいかない。このJavaScriptを使うと、OKですね。これでクリップボードコピーまでしてくれると、さらに便利なんですけどね。
と思って調べたら、clipboardData.setDataでできるようだ。
リンクタグコピーBookmarklet(←をクリックすると、このページのタイトルとURLをリンク形式でコピーする。)
javascript:var url=location.href;var title=document.title;var linkTag ='<a href="'+url+'" title="'+title+'">'+title+'</a>'; clipboardData.setData('Text',linkTag);alert("ページタイトルとURLをリンク形式でコピーしました");
ただし、MozillaとOperaでは機能しない。clipboardData.setDataはIEの独自拡張か。
2004年11月24日 [Wed]
■ 『電車男』ヒットの背景にあるものは?
僕も本を買って家内に読ませた(家内は2chは見ないが、2ch用語にはまっている)。面白かったのは電車男とエルメスの関係ではなく、周囲の反応なので、実話かどうかというのはあまり関係ないような気がする。
2004年11月25日 [Thu]
■ 飲み会
「あそこは移転してからあまりおいしくなくなったよね」と言われる某店で宴会。といっても仕事の延長。味はそこそこと思いましたがね。ま、いくらおいしくてもやはり仕事で飲むよりは個人的に飲みたいものでございますね。きのうは(個人的な飲み会だったので)午前様だったが、きょうは11時前には帰る。健全だなあ。
■ ソフトバンク・アイティメディアとアットマーク・アイティ合併に合意
名前が似ているので合併してもいいか、という感じ。ITmediaに行くつもりが@ITに行ってしまうことがよくありました。
2004年11月26日 [Fri]
■ デジタルデータの確からしさ
「山田祥平のRe:config.sys」より。読者からの事件・事故現場の投稿写真は危ないというのは常識になっている。北朝鮮の拉致被害者の写真が合成ではないかとの疑いは、素人でも簡単に修正ができるようになったからこそだろう。少しぐらい暗くてもデジカメに写ってさえいれば、明るさの調整でどうにでもできるというのは便利で僕もよくやっている。露出の調整やトリミングが簡単なので、以前なら一発勝負だった撮影は今や少しぐらい失敗しても平気になってしまった。だから撮影する際に構図がいい加減になってしまう。写ってりゃいいや、という感覚ですね。
しかし、プロのカメラマンが「これはあとで消せるな」と考えて、そのまま撮影を続行するとはちょっと信じられない。銀塩時代の習慣はなかなかぬけないものだし、そんな考えになるということは日常的に修正をやっているからではないかという疑いも出てくる。目の前にあるものを消すのと、明るさを調整するのとでは意味合いがまったく異なるだろう。前者は報道写真としては使えない。
デジタルデータに関連することだが、先日、某社から「御社のホームページの一部を印刷して証明用に使っていいか」という電話があった。大量にコピーして配布されるのは著作権の観点からまずいのだが、話をよく聞いてみると、台風被害の証明に使うために、被害者が証明書類としてプリントアウトしたものを提出してきたという。被害で困っている人でもあったし、構わないと答えたけれど、デジタルデータは改ざんができるので、それをプリントアウトしてしまったら証明能力は弱いだろう。少なくともURLの明記は必須だが、ホームページ上の記事はいつかは消えるのが常。証明能力は一時的なものと考えた方がいい。
2004年11月27日 [Sat]
■ ファンヒーター壊れる
先日買った大きいやつではなく、10年前から使っている小さいやつ。きょう押し入れから出してスイッチを入れてみたら、動かなかった。エラー表示を説明書で確認すると、「故障です。電源を抜いて修理に出してください」とある。
10年使えば、壊れても仕方がないが、重なるものですね。家にはほかにも使っていないストーブなどの暖房器具はあるんだが、僕の狭い部屋で使うには向かない。ストーブは狭い部屋だと、危ないですからね。修理するより買った方が安いか。調べたら、ファンヒーターの小さいの(それでも9畳対応)は1万円ちょっとである。
1時間ほどして、念のためにもう一度スイッチを入れてみたら、温風が出るようになった。あれえ。先ほどの不具合は何だったんだろう。そう言えば、ファンヒーターを出したとき、去年の灯油がまだタンク内に残っていたのだった。まずいなと思いつつ、それに継ぎ足して新しい灯油を入れたんだが、そのためか。ま、いずれにしても直って良かった良かった。無駄な出費を抑えられた。
■ [MOVIE] 「Mr.インクレディブル」
スーパー・パワーが社会の迷惑になるとして引退させられ、政府の保護下に置かれたスーパー・ヒーローとその家族が難事件に出会ったことで復活する姿を描くピクサーの3DCGアニメ。おもちゃや魚やお化けを描いてきたピクサーとしては珍しく人間(スーパー・ヒーローだが)が主役の映画で、これは監督のブラッド・バードが加わったことによるものだろう。「アイアン・ジャイアント」の監督であるバードは今回も伏線を張ってしっかりとした物語を組み立て、大人が見ても楽しめるアニメに仕上げている。音楽や悪役の描き方は007調、構成は「スパイキッズ」を思わせるけれど、家族が絆を深める姿やスーパー・パワーを持つ子どもの自己実現の姿をじっくりと描いており、その両者よりは良い出来である。主人公の家族の絆や愛情は普通の家族にも当てはまることで、そうした普遍性を備えているのが強いところか。エモーショナルなものを根底に置くのはピクサー映画の特徴だが、この映画もその例に漏れない。少し長い(上映時間は2時間)ので、小さな子どもにはつらい部分もあるけれど、バードの映画としては、個人的に違和感がつきまとった「アイアン・ジャイアント」よりはるかに優れていると思う。
主人公のインクレディブルはスーパー・ヒーローとして街を守っていたが、ビルから落ちた男を助けたために訴訟を起こされる。男は自殺しようとしたのであって、助けてもらおうとは思っていなかった。助けられた時のけがで不自由な体になったという理由。同時にスーパー・ヒーローたちの強すぎるパワーは社会問題となり、ヒーローたちは活動を禁じられる。15年後。インクレディブルことボブ・パーは保険会社に勤めてさえない毎日を送っている。妻は元スーパー・レディのイラスティガールことヘレン。消える能力を持つヴァイオレット、超人的な走りの能力を持つダッシュ、赤ん坊のジャック・ジャックの3人の子どもがいる。会社で困っている人に保険金が出るよう手を回したボブは社長から責められ、ふとした弾みで社長に重傷を負わせて会社をクビになる。そこへスーパー・ヒーローの能力を使う依頼が来る。暴走したロボット兵器を止めてほしいというものだった。しかし、その依頼には陰謀があり、ボブは捕らわれの身となる。ヘレンとヴァイオレット、ダッシュは力を合わせて父親を救出しようとする。
一般市民としての生活を守るため、インクレディブルの家では子供たちにスーパー・パワーの使用を禁じている。その力を思い切り使う場面を用意することで、映画は子どもの自己実現の重要さを訴えているし、同時に父親を助けようとする家族、家族を思う父親の姿を描いて、脚本には隙がない。ユーモラスな描写に絡めてそうした部分をしっかりと描いているのがいい。3DCGの技術はピクサー独自のものではなくなったし、今さら珍しくはないけれど、脚本を大事にする姿勢はピクサー映画のブランド化に大きく貢献していると思う。
吹き替えは主人公をクレイグ・T・ネルソン、ヘレンをホリー・ハンターが担当。日本語吹き替え版は三浦友和、黒木瞳がそれそれ演じている。どうでもいいが、手足がグイーンと伸びるインクレディブル夫人の能力は「ワンピース」のゴム人間ルフィを参考にしたのではないか。バードはパンフレットで「日本人はそのアニメのポテンシャルに気づいて、アニメの可能性をどんどん切り開いていると思う。世界のアニメは今、日本に追いつこうとしているんだよ」と語っており、日本のアニメはよく研究しているはずである。
2004年11月28日 [Sun]
■ 高橋源一郎の「電車男」評
きょう付けの朝日新聞にある。本質を突いていると思いながらも、これは少し意地が悪い。ちょっと引用しよう。
しかし、この本は掲示板に掲載された最後の日を素知らぬ顔で削除し、その前日までで完結させている。(中略)不可解なミステリーになるはずの「5月17日」を消し去ることで、この作品は、見事に「純愛」の顔つきをすることに成功している。
5月17日に何があったかと言えば、電車男がエルメスと性交寸前の書き込みをして、それを読んでいたスレの住人たちが、「やめろ」と忠告するのである。この部分をアップしたページもネット上にはあり、僕もそれを読んでいる。
問題はそこを削除したからと言って、非難を受ける筋合いはないということだ。批評というのは出来上がったものに対して行うもので、批評の対象が実際にあったことをどう脚色しようがかまわない。もちろん、そこに目配せするのは重要なことだが、素材と完成品とは明確に区別しなければならない。高橋源一郎は人から電車男はフィクションであると聞かされた上で、この批評を書いているのだから、出来上がったものが掲示板の書き込みと違ったところで、目くじらを立てる必要はないだろう。
「素知らぬ顔で削除」とか「『純愛』の顔つき」という意地の悪い言葉は使う人の品性を表すものでしかない。鬼の首でも取ったようなこの表現には気分が悪くなる。
2004年11月29日 [Mon]
■ PictureProject Ver.1.1
Nikonのデジカメ画像転送・修正ソフト。バージョンアップしたそうだ。新しいパソコンが間もなくくるし、それにはPhotoshop Elements3.0を入れるので、もうこのソフトは不要ですね。あ、でも今のパソコンも捨てるわけではないので、入れておいてもいいか。しかし、Nikon、ダウンロードするのにカメラの製造番号が必要というのはちょっとなあ。Nikonユーザー以外にソフトを使わせないためなのは分かりますけどね。
2004年11月30日 [Tue]
■ IEのスタイルシート解釈
外部スタイルシートの読み込みでうまくいかないことがある。CGIスクリプトを書いている時に気づいた。FirefoxとOperaでは正常に表示されるのだが、IEではおかしい。完全にダメではなく、中途半端におかしいので面倒。埋め込みスタイルシートにすると、ちゃんと表示するので始末に負えない。MSはいいかげん、もっとちゃんとしたブラウザをリリースしてはどうか。
■ flock関数
で、perlスクリプトを書いていて、もう一つ気づいたこと。長い間、Windowsではflockが使えないと思っていたが、XP(Pro SP2)では使えるんですね。エラーが出るのを承知の上で試しに実行したら、エラーなし。flock検査を行ってみてもOKだった。
■flock関数実行検査結果 ◎このサーバは、flock関数が使えます。 ■flock関数の引数検査結果 ◎flock関数引数の検査に成功しました。 このサーバで有効なflock関数の引数 引数の名前 引数の値 説明 LOCK_SH 1 共有ロック LOCK_EX 2 排他ロック LOCK_NB 4 非ブロック LOCK_UN 8 アンロック
さくらインターネットではflockの使用を推奨しているので、Windowsでflockが使えると、テストが簡単になる。
■ 2枚で2,500円
書店に行って、DVDの棚を見ていたら、ブエナ ビスタの2枚で2,500円シリーズがあった。フォックスの1枚999円というのもあった。安いので買ってもいいな、でも買いたいタイトルがないなと思いつつ、眺めていたら、だんだん買わないと損じゃないかな、買うべきだなと考えが変わり、結局、「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」と「スターシップ・トゥルーパーズ」を買う。2枚で2,500円の方である。「ナイトメア…」は子どもに見せるため、「スターシップ…」は僕の趣味。
1枚あたり1,250円というのはまあ安い。2枚組で「ムーラン・ルージュ」「恋は邪魔もの」2,480円にも心が動いたし、「パイレーツ・オブ・カリビアン」との組み合わせも迷ったのだが、「パイレーツ…」は来月、テレビで放送するからなあ。
DVDのジャケットはリバーシブルになっていて、裏には余計な「1枚買うと1枚もらえる!」の文字はない。ただ、ここまで安いと、特典映像などはないんですね。まあ、要らないけど。