映画とネットのDIARY(tDiary版)
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【映画の感想一覧】 2004年7月以降 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
2004年08月20日 [Fri]
■ 阿武、悲願の金
3度目の正直。望んで望んでようやく取った金。阿武のように毎回期待されながら、これまでオリンピックで結果が出せなかった選手にとって金メダルは価値が違うだろう。決勝はあのまま優勢勝ちかと思われたが、袖つり込み腰が一閃した。見事の一言。今大会の女子は本当に凄い。メダルが取れなかった日下部がかわいそうになる。
■ 重圧
井上康生の完敗に関する新聞などの報道を見ると、プレッシャーに加えて精神的な弱さを指摘するものがあった。きょう試合をやっている100キロ超級の鈴木桂治みたいに重圧を感じない(ように見える)タイプもいるが、井上は弱いタイプなのだろう(「王者に死角、まさかの惨敗 「勝って当たり前」の重圧」=共同通信の配信記事)。その意味で阿武と同じタイプなのかもしれない。
シドニー五輪の時は初めてのオリンピックでもあり、死んだ母親に金メダルを捧げたいという気持ちもあったから、重圧を別のものに転嫁することができた。しかし、それから4年間、井上は王者であり続け、それを期待され、今回も日本選手団の主将という重責を負わされた。勝たなければいけないという意識は大きかっただろう。
井上は試合後のインタビューで「次の人生」という言葉を出していた(NHKは「次の柔道人生」と意訳したが、それは違うと思う)。以前から「勝ち続けることに興味はない」との発言もしていたという。恐らく、井上は柔道の王者であり続けることが嫌なのだと思う。それを期待されることも嫌なのだろう。もろさを自覚する自分の姿と周囲が井上に期待するイメージとのギャップは大きい。
だから4年後を頑張ってくれというのは残酷な言葉かもしれない。また4年間、重圧を受け続けてくれというのと同じことなのだ。
■ 男女そろって金
なんとなんと、こういうこともあるのだ。初日の野村、谷に続いて、締めくくりも男女そろっての金メダル。塚田は有効を取られ、押さえ込まれた時は終わりかと思ったが、わずかなすきを突いて逆転の押さえ込み。鈴木は終始、有利な試合運びで小外刈りの一本勝ち。強い。それにしても鈴木のインタビューは井上康生の悲壮感とは逆に楽天的だった。やはり重圧とは無縁の男なのだ。でも日本人は悲壮感の方が好きなんだよな。僕も好きだけど。
鈴木の楽天的な姿勢は、人のためではなく、自分のために柔道をやっていることからくるのかもしれない。2年前の日記に引用したマーティ・キーナートのコラムからドクター・オルブライトの人生哲学に関する言葉を再度引用しておく。「創造的になること。あえてほかの人と異なる道を選ぶこと。自分に正直になることね。ほかの人がどう思うかということに悩まされちゃいけない。あなたがどう思うか、そして自ら進んで何をするかってことで悩むの。そして何をするにしても、全力を尽くすことよ。全力を出しきらないで勝つより、全力を出しきって負けるほうがいいわ」康生、ガンバレ。
2005年08月20日 [Sat]
■ キネ旬9月上旬号
さっそく「妖怪大戦争」の批評が載っていた。書いているのは秋本鉄次。いつものように女優に入れ込んだ批評で、今回の対象は栗山千明である。そう、子どもは高橋真唯が印象に残るだろうが、大人は栗山千明なのである。ただし、秋本鉄次が言うほど栗山千明がカルト的な道を歩んでいるとは思わない。清純派だなんだというレベルを超えて魅力を持っている女優と思うが、僕は基本的には「アタシの全存在をかけてアンタを否定してあげる」という「バトル・ロワイアル」のような役柄が好きだ。ゴーゴー夕張もアギもいいけど、ああいう役にもまた挑戦してほしいと思う。
秋本鉄次の批評で気に入ったのは次の部分。「さる映画関係者に聞いたのだが、『あずみ2』の現場で、彼女だけが違うオーラを放ち、違う地平を見ていた、という」。そういう女優なのだと思う。
2006年08月20日 [Sun]
■ [MOVIE] 「スーパーマン リターンズ」
クリストファー・リーブ主演の1作目と2作目「冒険編」は予算をかけた作りだったが、3作目「電子の要塞」からガクッとチープになり、4作目「最強の敵」は映画館で見る気にならなかった。今回の映画はそのためかどうか、2作目からつながる物語として作られている。5年ぶりに地球に帰ってきたスーパーマンがレックス・ルーサーの悪事を打ち砕く。ジョン・ウィリアムスの音楽が鳴り響き、立体文字のタイトルが出てくるオープニングでノスタルジーをガンガンくすぐられる。リチャード・レスターの2作目から25年ぶりなので仕方がない。スーパーマンが地球に帰ってくる冒頭のシーンから1作目を意識したような作りだが、全体的にシリーズの伝統を大事にしており、父と子というテーマを根底に置いたオーソドックスな在り方には好感が持てる。終盤、意外な人間関係が出てくるのは、続編を意識したためだろう。ただ、2時間34分は少し長い。スーパーマンを演じるのは新人のブランドン・ラウス。リーブによく似ている。監督は「X-メン」シリーズのブライアン・シンガー。
天文学者から惑星クリプトンのかけらが残っていると聞いたスーパーマン=クラーク・ケントは宇宙に旅立っていたが、5年ぶりに地球に帰ってくる。勤めていたデイリー・プラネット社に行くと、歓迎してくれるのはジミー(サム・ハンティントン)だけ。ロイス・レイン(ケイト・ボスワース)は編集長(フランク・ランジェラ)の甥リチャード(ジェームズ・マーズデン)と同棲し、子供までいる。しかもロイスは「世界になぜスーパーマンは必要でないか」という記事でピューリッツァー賞に選ばれていた。ロイスは「さよなら」も言わずに旅立ったスーパーマンに腹を立てていた。その頃、宿敵のレックス・ルーサー(ケヴィン・スペイシー)は老婦人に取り入って刑務所を出所し、莫大な財産を手にしていた。愛人のキティ(パーカー・ポージー)や手下とともにスーパーマンの北極の要塞でクリスタルを手に入れ、悪事の計画を進める。
ロイス・レインを乗せた飛行機を墜落から救うのが前半の大きな見所。VFXもそれなりによくできているが、スペースシャトルを乗せた飛行機からシャトルが燃料噴射するというシーンは「007 ムーンレイカー」(1979年)にもあった。思えば、1作目でスーパーマンが空を飛ぶシーンはそのあまりの自然さ(当時としては)に驚き、2作目のスーパー3悪人とスーパーマンの対決シーンでもSFXに驚いたものだが、25年もたてば、そういうシーンは普通に思えてくる。だから、今回の映画はドラマ部分に重点を置く必要があった。そのドラマがやや希薄に感じるのは上映時間が長い割にストーリーの進行がないからで、久しぶりのスーパーマンに満足しながらも、もっとドラマの密度を濃くしてほしいという思いも残った。
ケヴィン・スペイシーとケイト・ボスワースは「ビヨンドtheシー」で共演済み。スペイシーはユーモアと冷酷さ(スーパーマンをクリプトナイトでいたぶる場面の残酷さ!)をブレンドした演技で相変わらずうまい。「X-メン」のサイクロップス役ジェームズ・マーズデンは本来なら憎まれ役になりそうなのに良い役回りだと思う。物語の終わり方からして必ず続編ができるだろう。スーパーマンシリーズでいつも感じるのはスーパーマンがどの程度の悪事まで阻止するかということ。この映画でも単純な事件まで関わっていたが、そういうシーンが必要かどうか疑問なのだ。続編ではそういう部分も考慮し、主要な事件に絞った展開にしてはどうかと思う。
2010年08月20日 [Fri]
■ Blue LEDマウス
2年ぶりにマウスを買い換えた。今までのマウスは光学式でポインタが微妙にずれた。その前のやはり光学式のマウスよりましだったが、光学式には限界があるらしい。サンシャイン牧場をやっていて、ポインタがうまく当てられず、いらつくことがたびたびあった。ならば、レーザーマウスを買おうとヤマダ電機へ。
もはやボール付きのマウスなんて売ってないのですね。レーザーか光学式、有線か無線かしかない。無線はいいんだけど、時々、Linuxを使う時があるので有線にする。いろいろ見ていたら、「従来の光学式やレーザーを超えた次世代高感度Blue Ledマウス」とあったのに惹かれて、バッファローコクヨサプライ製のBSMBU01シリーズにする。光学式ではあるが、Blue LED(青色LED)とダブルレンズを使ってあり、ガラステーブルの上でも使えるという。「青色LEDの放つ光は赤や緑に比べて波長が短く、空気中の分子にぶつかりやすいため、反射率&拡散率が高くなっており、高感度性能を実現」しているという。
使ってみると、確かに良い感じ。ポインタがぶれることもなくなった。今までの光学式は黒っぽいマウスパッドじゃないと、使えなかったが、これはマウスパッドがなくても使える。ホイールにはノッチ感(カチカチ感)がない。説明書には「ホイールボタンを押すと、スーパースクロールになる」と書いてあるんだけど、これ、ならないですね。全然変化なし。なぜかなあ。まあ、些細なことなんだけど。
とりあえず、これで生産性は増すはず。キーボードと並んでマウスの性能は重要だ。