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2004年08月20日 [Fri]

阿武、悲願の金

3度目の正直。望んで望んでようやく取った金。阿武のように毎回期待されながら、これまでオリンピックで結果が出せなかった選手にとって金メダルは価値が違うだろう。決勝はあのまま優勢勝ちかと思われたが、袖つり込み腰が一閃した。見事の一言。今大会の女子は本当に凄い。メダルが取れなかった日下部がかわいそうになる。

重圧

井上康生の完敗に関する新聞などの報道を見ると、プレッシャーに加えて精神的な弱さを指摘するものがあった。きょう試合をやっている100キロ超級の鈴木桂治みたいに重圧を感じない(ように見える)タイプもいるが、井上は弱いタイプなのだろう(「王者に死角、まさかの惨敗 「勝って当たり前」の重圧」=共同通信の配信記事)。その意味で阿武と同じタイプなのかもしれない。

シドニー五輪の時は初めてのオリンピックでもあり、死んだ母親に金メダルを捧げたいという気持ちもあったから、重圧を別のものに転嫁することができた。しかし、それから4年間、井上は王者であり続け、それを期待され、今回も日本選手団の主将という重責を負わされた。勝たなければいけないという意識は大きかっただろう。

井上は試合後のインタビューで「次の人生」という言葉を出していた(NHKは「次の柔道人生」と意訳したが、それは違うと思う)。以前から「勝ち続けることに興味はない」との発言もしていたという。恐らく、井上は柔道の王者であり続けることが嫌なのだと思う。それを期待されることも嫌なのだろう。もろさを自覚する自分の姿と周囲が井上に期待するイメージとのギャップは大きい。

だから4年後を頑張ってくれというのは残酷な言葉かもしれない。また4年間、重圧を受け続けてくれというのと同じことなのだ。

男女そろって金

 なんとなんと、こういうこともあるのだ。初日の野村、谷に続いて、締めくくりも男女そろっての金メダル。塚田は有効を取られ、押さえ込まれた時は終わりかと思ったが、わずかなすきを突いて逆転の押さえ込み。鈴木は終始、有利な試合運びで小外刈りの一本勝ち。強い。  

それにしても鈴木のインタビューは井上康生の悲壮感とは逆に楽天的だった。やはり重圧とは無縁の男なのだ。でも日本人は悲壮感の方が好きなんだよな。僕も好きだけど。

 鈴木の楽天的な姿勢は、人のためではなく、自分のために柔道をやっていることからくるのかもしれない。2年前の日記に引用したマーティ・キーナートのコラムからドクター・オルブライトの人生哲学に関する言葉を再度引用しておく。
「創造的になること。あえてほかの人と異なる道を選ぶこと。自分に正直になることね。ほかの人がどう思うかということに悩まされちゃいけない。あなたがどう思うか、そして自ら進んで何をするかってことで悩むの。そして何をするにしても、全力を尽くすことよ。全力を出しきらないで勝つより、全力を出しきって負けるほうがいいわ」
 康生、ガンバレ。

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