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【映画の感想一覧】 2004年7月以降 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
2005年04月01日 [Fri]
■ [MOVIE] 「約三十の嘘」
登場人物を紹介する冒頭を除いて、列車の中だけで話が進行する。クレイジーケンバンドの音楽に乗って、6人の詐欺師のグループがお互いに騙し騙される姿をミステリータッチで描く。いや、ミステリータッチというよりも、この映画におけるミステリー的な部分は入り組んだ男女関係、人間関係を描くために使われた感じがある。監督の大谷健太郎(「とらばいゆ」)がやりたかったのはこの男女関係の方なのだろう。狙いは悪くないし、中谷美紀の好演が光るのだけれど、こういう映画にほしい都会的なタッチになりきれていない。中谷美紀を巡る男女関係が少し重たいのがその理由だが、他の役者が弱いためもある。椎名桔平に中谷美紀の目を潤ませるほどの魅力が感じられない。田辺誠一、妻夫木聡、八嶋智人は可もなく不可もなしといったレベル。伴杏里は少なくとも、中谷美紀より美人じゃないと困る(ただ、伴杏里、純情そうでいてそうじゃない二面性もそれなりに演じている)。こういうタイプの映画は嫌いではないが、よりいっそうの洗練されたタッチが望まれるところ。これに比べると、伊坂聡「g@me.」はうまかったなと思う。
詐欺師グループだった男女が3年ぶりに集まり、新しいヤマを始める。集まったのは、元リーダーの志方(椎名桔平)、美貌の女詐欺師宝田(中谷美紀)、宝田とコンビを組む横山(八嶋智人)、今回のヤマを企画した久津内(田辺誠一)、元アル中の佐々木(妻夫木聡)の5人。今回のヤマは偽物の羽毛布団を30万円で売る計画だった。グループは豪華な寝台特急で大阪駅から北海道に向かう。志方は凄腕の詐欺師だったが、3年前のある出来事がもとで今はくたびれた感じで、のど飴中毒みたいになっている。3年前、一味が手にした大金を今井(伴杏里)に持ち逃げされ、その結果、仲間がばらばらになったためだ。その今井が京都駅で列車に乗り込んでくる。今井に思いを寄せる久津内が仲間に引き入れたのだった。
ここから映画は今井が入ったことによるごたごたをさらりと描いて、帰りの列車内に舞台を移す。肝心の詐欺の場面がないのは元が戯曲(土田英生作)だからだろうが、本筋に沿っているのでこれは賢明な在り方。詐欺の上がりは7000万円だった。3年前のように仲間に持ち逃げされないように、金を入れたバッグとダミーを含めた鍵5個を6人がそれぞれに持つが、翌朝、バッグの中身がジャガイモとすり替えられているのが分かる。
果たして犯人は誰か、どのようにすり替えたのか。という謎はすぐに観客に明かされる。それから話は転々とするのだが、ミステリー的には大したことはない。6人のそれぞれの計画と思惑が交錯していくところに中心がある。残念ながら、それが十分に面白くなっていかない。ミステリー的にもちゃんとしたものを作らないと、こういう映画は成功しない。コンゲームの面白さを含めつつ、ユーモラスな場面とリアルな心情を絡める映画はなかなか難しいのだろう。
■ 区域外再送信問題、いよいよ決着へ
地上デジタルが始まると、民放電波の区域再外送信が全面禁止になるという話。これ、宮崎県内の3局のケーブルテレビにとっては大きな問題だろう。県内3局はいずれも県外の民放(福岡や鹿児島)の放送がキラーコンテンツになっている。元々、県や市がケーブルテレビの開設を進めたのも県内に民放が2局しかないからだった。区域外再送信の禁止でケーブルテレビの大きな魅力の一つが消えることになる。
禁止の理由はデジタル化で著作権の「権利者団体からの支払い請求は相当厳しくなることが明らかだから」。この記事は番組を買って流すしかないとしているが、その価格がどの程度のものになるのか、買ってまで流す考えがケーブルテレビの側にあるのか気になるところだ。
■ [MOVIE] 「アビエイター」
「僕は飛行家(アビエイター)、ハワード・ヒューズだ」。新型機のテスト飛行で住宅地に墜落し、大けがを負いながらも脱出したヒューズ(レオナルド・ディカプリオ)が助けに来た男に名乗る。タイトル通り、映画は飛行家としてのヒューズの側面を強調した作りになっている。終盤、海外路線の独占を巡るパンナムとTWAの対立でヒューズが公聴会に呼ばれるシーンが全編のハイライト。パンナムの代理人としか見えない上院議員のオーウェン・ブリュースター(アラン・アルダ)の追及にヒューズが颯爽と切り返す場面はジェームズ・スチュアート「スミス都へ行く」の昔からハリウッド映画が得意とするところである。ただし、ここでヒューズが論拠とするのは民主主義でも自由でもなく、「そっちも悪いことやってるんだから、お互い様じゃないか」という論理。ヒューズの飛行機(航空ビジネス)にかける情熱は伝わるものの、気分的に必ずしも晴れ晴れとしないのはそのためだ。直前まで精神的に追いつめられていたヒューズが公聴会で急に立ち直って鮮やかな弁舌を繰り返すのも説得力を欠く。
映画はヒューズが400万ドルを投じた「地獄の天使」やジェーン・ラッセルの胸の露出具合が問題となった「ならず者」の映画製作を描きつつ、キャサリン・ヘップバーン(ケイト・ブランシェット)との愛を描き、やがてTWAを手に入れたヒューズがパンナムと対立する様子を描いていく。ヒューズの病的な潔癖性や精神的におかしくなっていく描写を挟んではいるが、こうしたエピソードを並べただけの脚本は決してうまくない。本筋は映画製作の方ではないのだから、前半を簡略化して後半のパンナムとTWAの対立の部分をもっと詳しく描いた方が良かったのではないか。2時間49分もかける必要があったかどうか疑問なのである。大作であり、力作ではあるけれど、マーティン・スコセッシ演出に切れ味の鋭い部分は見あたらない。そういうところがアカデミー賞に11部門もノミネートされながら、主要部門には食い込めなかった原因だと思う。
大作だから仕方がないのだが、ヒューズの人間性も十分に描いたとは言えない。病的な潔癖性、自分以外を汚いと感じる意識は差別意識が高じたもののように思える。その原点が冒頭に描かれるのだけれど、これだけでは不十分だろう。精神分析的視点が脚本から欠落している。だからヒューズに起こった出来事をなぞっただけの映画に終わるのである。生まれつきの富豪の男がどういう考えを持っていたのかもっと知りたくなる。
レオナルド・ディカプリオは相変わらずの童顔と幼い声がマイナスで迫力に欠けるが、「ギャング・オブ・ニューヨーク」よりも違和感はなかった。後半、ひげを生やしたあたりから少し年齢的に苦しくなるにしても、ヒューズの若いころからの20年間に時代を絞ったことが功を奏している。アカデミー助演女優賞を受賞したケイト・ブランシェットはいつものようにうまい。助演男優賞にノミネートされながら受賞は逸したけれど、アラン・アルダの憎々しい上院議員やヒューズを補佐するジョン・C・ライリーもこの映画を支えていると思う。