映画とネットのDIARY(tDiary版)

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映画の感想一覧 2004年7月以降 2005年  2006年  2007年  2008年  2009年

2006年01月01日 [Sun]

正月休みに読む本

あけましておめでとうございます。

昨夜は紅白歌合戦を聞きながら(チャンネル権がないので)、古川日出男「ベルカ、吠えないのか?」をようやく読了して新年を迎えた。戌年の迎え方としては正解か。

昨日、amazonから2冊の本が届いた(大晦日というのに宅配便の皆さまご苦労さまです)。ジャック・リッチー「クライム・マシン」とウィリアム・M・ツツイ「ゴジラとアメリカの半世紀」。このほか、間もなく映画が公開される「博士の愛した数式」、スティーブン・キング「回想のビュイック8」(ジョージ・A・ロメロ監督、今年公開予定)も買ってあり、東野圭吾「容疑者Xの献身」も借りている。いろいろと本を読みながら、正月休みを過ごしたい。といっても明日はさっそく仕事なんですがね。


2006年01月02日 [Mon]

「容疑者Xの献身」

「このミス」と週刊文春で1位になった東野圭吾のミステリ。僕はこの小説を読んで、まずトリックが先にあって、それに沿った容疑者を設定したのだろうと思った。このトリックを成立させるためには容疑者のキャラクターが、トリックを行うのに不自然に思わせないものであることが必要だからだ。ここまでやるキャラクターに説得力を持たせることが要求されるのだ。しかし、東野圭吾は「このミス」のインタビューで、「少なくともトリックが先ということは絶対にありません」と語っている。「最初に作るのはキャラクターや世界観ですね。今回で言えば、まず湯川を長編で使うという前提と、さらにその強敵を設定する、ということが大きかったですね」

容疑者側が天才なら探偵側も天才。本格ミステリにぴったりの構図である。こうした設定の下、東野圭吾は容疑者、というか事件の隠蔽に尽力する高校教師に筆を割く。思いを寄せる女が発作的に犯した殺人を隠蔽するために天才的な高校の数学教師・石神が協力する。事件を捜査する刑事・草薙の友人で天才的な物理学者の湯川学はその石神と大学時代に親しかった。石神が怪しいとにらんだ湯川は推理を働かせる。

よくできた本格ミステリで1位にも異論はないが、ぜいたくを言えば、もっと石神のキャラクターを掘り下げた方が良かったと思う。キャラクターよりもまだトリックの方が浮いて見えるのだ。社会に認められなかった天才数学者の悲哀をもっと掘り下げれば、小説としての完成度をさらに高めることができたのではないかと思う。これの倍ぐらいの長さになってもかまわないから、そうした部分を詳細に描いた方が良かった。一気に読まされてある程度満足したにもかかわらず、そんな思いが残った。


2006年01月03日 [Tue]

「ZOO」(WOWOW)

録画しておいたのを見る。乙一の短編集の中から5編を5人の監督(金田龍、安達正軌、水崎淳平、小宮雅哲、安藤尋)がオムニバスで映画化。「カザリとヨーコ」「SEVEN ROOMS」「SO-far ソ・ファー」「陽だまりの詩」(アニメ)まで見て、なかなかバラエティに富んでいて面白いと思ったが、最後の「ZOO」がよく分からない。積ん読状態(「カザリとヨーコ」のみ読んでいた)だった原作を読んだら、ああこういう話かと納得できた。映画の方はフェリーニ「悪魔の首飾り」のような雰囲気だが、話が分かりにくいのでは仕方がない。

「SEVEN ROOMS」には須賀健太(「三丁目の夕日」)、「SO-far ソ・ファー」には神木隆之介(「妖怪大戦争」)が出ていて、どちらもうまい。「陽だまりの詩」はロボットが出てくる破滅SFで、こういう話は好きである。

「クライム・マシン」

「クライム・マシン」表紙「このミス」1位、文春2位に入ったジャック・リッチーの短編集。冒頭に収められた表題作は殺し屋の男の前にタイムマシンを発明したという男が現れ、殺人現場を見たと脅迫される話。1件だけならともかく3件の殺人現場について詳細に話すので、殺し屋は男の言葉を信用するようになる。そして25万ドルでタイムマシンを買い取ることにする。SFではないので、ちゃんと合理的な説明があり、ひねったストーリーが面白い。

本書には17編の短編およびショートショートが収録されている。特に前半に収められた「ルーレット必勝法」「歳はいくつだ」「日当22セント」はどれも巧みなストーリーテリングが光る傑作だと思う。個人的に面白かったのはショートショートの「殺人哲学者」で、最後のオチが秀逸。ショートショートのお手本みたいな話である。

巻末に収められた解説によれば、ジャック・リッチーは生前に350の短編を書いたが、アメリカでも生前に本にまとめられたのは1冊だけ。その1冊は映画「おかしな求婚」(1971年、エレイン・メイ監督)の原作となった短編を含む作品集で、映画公開に併せて編まれたものという。雑誌に掲載された短編を僕はあまり読まないが、こうした都会的なセンスにあふれたうまい短編集は時々読みたくなる。シオドア・スタージョン「輝く断片」も注文しようか。


2006年01月04日 [Wed]

「北の零年」(WOWOW)

「北の零年」チラシ酷評が多かったが、テレビで見ると長すぎる(2時間48分)のを除けば普通の作品に見える。ただ、誰もが言うように吉永小百合がこの役をやるのは年齢的に無理。どう見積もっても20年前までしか成立しない配役で映画を作ろうとした企画自体に失敗の一因があったと思う。しかし、それ以上に感じたのは脚本・演出における描写の弱さだ。北の大地で苦闘する人々の描写にリアリティが不足しており、これが致命傷になった感がある。それこそテレビドラマ並みの描写しかないのである。

明治4年、徳島の淡路島の藩が明治維新の混乱で北海道に移住を命じられる。第一陣の546人は新しい国づくりを目標に懸命に開拓に励むが、廃藩置県によって、藩はなくなり、彼らは藩からも国からも見捨てられる。木を伐採し、荒れ地を開墾していく武士とその家族の様子が前半ではメインになる。ストーリーは悪くないのに響いてこないのは北海道の寒さが通り一遍にしか描かれない上に、稲が育ちにくい地での農業の在り方もそこから生じる貧しさの描写もありきたりであるためだ。農業の苦闘を描くのならば、「愛と宿命の泉」(1986年)ぐらいの描写が欲しいところ。それができなかったのは脚本の那須真知子も監督の行定勲も農業の実際を知らないからだろう。だいたい開拓の話を那須真知子に書かせる方が間違っている。

行定勲の狙いは武士が開拓をするというミスマッチを描くことにあったのかもしれない。薬売りの香川照之がのし上がり、武士たちを苦しめる描写などは面白いし、いやらしさにリアリティを持たせた香川照之の演技のうまさはこの映画の数少ない見どころとなっている。ただ、これもよくある悪徳商人対武士の図式にすぎない。

妻(石田ゆり子)を香川照之に取られて落ちぶれる柳葉敏郎や、やはり香川照之の下で働かざるを得なかった石橋蓮司の苦渋、何よりも妻子を見捨てた渡辺謙の心変わりを詳細に描けば、何とかなったのかもしれない。那須真知子としては後半、吉永小百合が馬を育てて成功するあたりをメインにしたかったのだろうが、これも詳細な描写がないので説得力を欠いている。吉永小百合の娘役で「SAYURI」の大後寿々花が出ていることは記憶に値するか。


2006年01月05日 [Thu]

積雪

先月よりも積もった。昨夜は雨だったが、起きてみたら、一面の銀世界(というほどでもない)。雨に変わったので間もなく溶けるのでしょう。今朝の最低気温は0.4度だったらしい。

写真はNikon D70で撮影(午前7時24分、80分の1秒、F5.6、シャッター優先、Sigma DC 18-200mm、 Photoshopで修正)。

家の前から見た雪景色

「ゴジラとアメリカの半世紀」

「ゴジラとアメリカの半世紀」表紙「ミステリマガジン」1月号のレビューで紹介されていたので読んだ。レビューではGodzillaの接尾語zillaがアメリカではあらゆるものに付けられるほどポピュラーになったゴジラの影響力を中心に紹介してあり、確かにこの本の4章「『ゴジラ』は如何にして、アメリカで『ガッズィラ』になったか」と5章「ゴジラファンであるということ」にはそうした側面の分析・紹介があるのだけれども、この本、それ以前に立派なゴジラ映画論になっている。

1章から3章まで(「いとしのゴジラ」「ゴジラの誕生」「シリーズの歩み」)は間然するところのないゴジラ映画の的確な論評である。著者のウィリアム・M・ツツイはカンザス大学歴史学部の準教授で専攻は現代日本史。名前からして日系人だろう。アメリカではゴジラ映画を配給会社で編集・削除した上で公開することが多い(第1作にレイモンド・バーが“出演”したのは有名だ)が、著者はすべて元の映画を見ているようだ。第1作でゴジラを演じたのが大部屋俳優でスタントマンだった中島春雄であるとか、製作の背景であるとか、日本人以上に詳しくマニアックである。

ローランド・エメリッヒが監督したハリウッド版ゴジラについて「度が過ぎる失敗作で、世界中のゴジラファンの期待をことごとく裏切る結果となった。もっと率直に言わせてもらうと、怪獣王の伝統、キャラクター、精神を冒涜してしまったのだ」と酷評している。これを見ると、著者が真性のゴジラファンであることが分かる。ちなみに著者が評価しているのは第1作と金子修介監督の「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」それにシリーズの他の作品とは異質で“一種独特の雰囲気を持っている”「ゴジラ対ヘドラ」である(この異質さのために監督の坂野義光はプロデューサーの田中友幸からおしかりを受け、その後長編映画を撮っていないという*1)。公害をテーマにしたヘドラは僕も公開当時に見てショックを受けた。内容やテーマ性よりも面白かったのは劇中に流れる歌をはじめとしたポップで現代的な作りだった。ゴジラシリーズの中では上位に来る作品と思っているので、著者の評価はとてもうれしい。

ここにはチャチな特撮への冷笑も物語の非現実性への異議申し立てもない。著者は長所も短所も見極めた上で心の底からゴジラ映画とその巨大な影響力(ゴジラに影響を与えた「キング・コング」や「原子怪獣現わる」をはるかに超えた巨大な影響力)を評価しているのだ。だから読んでいて気持ちがいい。本書に書かれているアメリカのゴジラファンの活動を読むと、日本より熱狂的である。アメリカのファンが好んでいるのは平成シリーズでも新生シリーズでもなく、60年代から70年代にかけてゴジラが正義の味方として活躍した映画群なのだという。これは意外だった。そのころのゴジラ映画が繰り返しテレビで放映され、平均すると、週に一度はテレビで流されていたことが大きいようだ。

中公叢書に入っているので、こうした堅いタイトルになったのだろうが、原題は“Godzilla on My Mind”(わが心のゴジラ)。これはゴジラへの熱烈なラブレターなのである。中身も読みやすくユーモラスかつ詳しく、本来ならば、普通のハードカバーで表紙にゴジラのイラストや写真を入れて柔らかく作った方がいい本だったと思う。ゴジラシリーズのファンは必読の名著。

*1 日本映画データベースによると、この後は「ノストラダムスの大予言」に協力監督とのクレジットがあるのみ。


2006年01月06日 [Fri]

顧客名簿処分が裏目に出た松下電器温風機リコール事件

例の松下電器の温風機による中毒事件で、顧客の特定が困難なのは顧客データの名簿を処分したためなのだという。だから松下は何度もテレビ・新聞に広告を打つ羽目になった。

昨年4月の個人情報保護法の施行で、名簿流出の危険を防ぐには処分するのが最良との判断だったのだろう(所有していた名簿は1億1400万件というのが驚く)。20年も前の名簿が今さら必要になるとは普通は思わないから仕方ない面もある。必要かどうかの判断は難しい。安易に処分すればいいというものでもないんだな。

「マンダレイ」予告編

ラース・フォン・トリアーのアメリカ3部作の第2弾。「ドッグヴィル」の続編とのことだが、主演女優はニコール・キッドマンからブライス・ダラス・ハワード(「ヴィレッジ」)に代わっている。南北戦争終了後70年たっても奴隷制が残るマンダレイを舞台にしたドラマ。あの簡単なセットは引き続き採用されている。昨年のカンヌ映画祭のコンペティション部門に出品されたが、受賞はならず。東京ではシャンテシネで3月公開。


2006年01月07日 [Sat]

「シャングリ・ラ」在庫切れ

池上永一「シャングリ・ラ」とシオドア・スタージョン「輝く断片」を楽天ブックスに注文したら、「シャングリ・ラ」については「在庫切れ」とのメールが来た。楽天ブックスの倉庫で在庫切れなのか、版元に在庫がないのかは書いてない。版元にあるのなら、注文してほしいところだ。

以前も別の本で在庫切れだったことはあり、メールが来た後、その該当商品の紹介ページが「在庫切れ」に変わった。ユーザーが注文して初めて「在庫切れ」が分かるというシステムは考え直した方がいいのではないかと思ったものだが、今回は「シャングリ・ラ」のページにはまだ「在庫有り(1〜4日以内に出荷)」と表示されている。これも困ったものだ。

本の通販に関してはやはりamazonに一日の長がある。巨大な倉庫の中で本を探す現場は大変らしいけど。


2006年01月08日 [Sun]

仙台市の連れ去り乳児を無事保護

犯人はまだ捕まっていないが、何はともあれ子供が無事に帰ってきて良かった。身代金の要求があったが、受け渡しはなかったという。警察が動いているのを見て、犯人は怖くなったのだろう。

今回の事件は1面トップ級で大きく報道され、しかも当初は営利誘拐のセンは薄いと思われたから、当たり前のことながら警察は堂々と動いた。今さら、「警察に連絡したら子供の命はない」という誘拐の常套的な言葉が使えなかったのが犯人に不利な点だった。というか、犯人、バカじゃないのか。誘拐はこっそりやる必要があるのだ。映画や小説のように警察が見張っているにもかかわらず、堂々と身代金受け取りに成功するなんてできるわけがない。それができる犯人なら、ああいう乱暴な誘拐の仕方はしないだろう。

身内でなくても営利誘拐は成立するという点で黒沢明「天国と地獄」(エド・マクベイン「キングの身代金」)をふと思い浮かべたが、映画のようにうまくいく誘拐はまれだ。


2006年01月09日 [Mon]

野洲2−1鹿児島実

全国高校サッカー決勝。鹿児島実が楽に連覇かと思ったら、野洲が先制点。後半、鹿実が追いついたが、延長後半で鮮やかな野洲のゴールが決まった。崩してサイドに出してセンタリングに走りこむというプロ並みの芸術的なゴール。オフサイドくさいかと思ったが、2ちゃんねるには連続写真があって、それを見ると、全然オフサイドじゃなかった。ああいう凄いゴールを決められたら、鹿実、何も言えないな。

年賀状をPDFに

毎年毎年、前の年の年賀状を探すのが面倒なので、久しぶりにScanSnapを使い、今年届いた年賀状をPDFにした。ScanSnapを出しているPFUにははがきファイリングOCRという製品がある。これ使うと便利かなと思い、一瞬購入を考えたが、こういうOCRソフトは読み取った後の文字の修正に手間がかかって、けっこう面倒だったりする。それに年に一度しか使わないのは目に見えている。で、検索はできないが、PDFにするだけにした。

ScanSnapで読み取れるのは一度に12枚程度。ただ、写真入りの厚手の年賀状はスキャナに引っかかることが多いので、別にまとめてスキャンした方がいいようだ。大きさも微妙に小さい。何度かスキャンして、出来上がったPDFをAcrobatで結合して出来上がり。簡単。こんなことしなくても住所録ソフトに誰に出して誰から来たかを記録しておけばいいんですけどね。電子データ化しておくと、元の年賀状をなくしてもデザインや文面を確かめられるのがメリットか。


2006年01月10日 [Tue]

キネマ旬報ベストテン

 発表された。日本映画1位は「パッチギ!」、外国映画は「ミリオンダラー・ベイビー」。どちらも順当な結果か。「男たちの大和 YAMATO」が8位に入っているのはどういうわけだ。
【日本映画】
(1)パッチギ!
(2)ALWAYS 三丁目の夕日
(3)いつか読書する日
(4)メゾン・ド・ヒミコ
(5)運命じゃない人
(6)リンダ リンダ リンダ
(7)カナリア
(8)男たちの大和 YAMATO
(9)空中庭園
(10)ゲルマニウムの夜
 
【外国映画】
(1)ミリオンダラー・ベイビー
(2)エレニの旅
(3)亀も空を飛ぶ
(4)ある子供
(5)海を飛ぶ夢
(6)大統領の理髪師
(7)ウィスキー
(8)スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐
(9)キング・コング
(10)ヒトラー 最期の12日間

2006年01月11日 [Wed]

「輝く断片」

「輝く断片」表紙休みだが、風邪で体がだるいので、映画には行かず、昨日届いた「輝く断片」(シオドア・スタージョン)を読む。8編が収録されており、最初の2編は昨日、寝る前に読んだ。最初の「取り替え子」は遺産相続に赤ん坊が必要だった若い夫婦が川で赤ん坊を拾う話。その赤ん坊は取り替え子(赤ん坊と入れ替わった妖精)で大人のような口をきく。この描写を読んで、「ロジャー・ラビット」に出てきた赤ん坊ベイビー・ハーマンを思い出した。ああいう乱暴な口をきくのである。気楽に読めたのはこれと次の「ミドリザルとの情事」までで、あとは(特に後半の4編は)切なく重い話である。

最後に収録された表題作は世間から用なしと思われている50代の男が通りで瀕死の重傷を負った女を見つけ、アパートに連れ帰って懸命に看病をする話。傷口の描写が細かいので、もしかしてこれはネクロフィリア(死体愛好症)の男の話かと思えてくるが、やがて女は意識が戻る。男にとっては女の世話をすることが生き甲斐になる。生来の醜い容貌で親からも見捨てられ、軍にも入れてもらえず、同僚からもバカにされる男にとってこの女は人生の輝く断片(Bright Segment)なのだ。自分が必要とされている存在であることを自覚できるからだ。「シン・シティ」のマーヴ(ミッキー・ローク)を思わせる主人公はマーヴ以上にあまりにも空虚な人生を送っており、その絶望的な孤独感が悲しい。

社会に不適格な主人公という設定は「ルウェリンの犯罪」「マエストロを殺せ」「ニュースの時間です」にも共通する。「マエストロを殺せ」の主人公も醜い容貌という設定である。こうした主人公の設定には不遇の時代が長かったというスタージョンの人生が反映されているのかもしれない。帯に「シオドア・スタージョン ミステリ名作選」とあり、「このミス」の4位にも入ったが、この短編集をミステリとして読む人は少ないのではないか。

大森望の解説を読むと、「輝く断片」はミステリマガジンの1989年8月号(400号記念特大号)にリバイバル掲載されたとある。僕はこの号を買っているはず。普段は雑誌掲載の短編を読まないとはいっても、記念特大号には名作・傑作が収録されているのでいくつかは読む。それでも読んでいないということは当時は食指が動かなかったのか。ちなみにミステリマガジンは2月号がちょうど600号。記念特大号の特集は3月号で2005年ミステリ総決算と合わせてやるらしい。


2006年01月12日 [Thu]

25番ポートブロックの実施について

@niftyが2月15日から実施するとのこと。「ISPのSMTPサーバーを経由しない、直接送信されるメールについて規制することで、迷惑メール送信を防止する」。自分で送信メールサーバーを立てている場合などは対象になる(niftyの固定IPを使っている場合はOK)。niftyから迷惑メールの送信をシャットアウトするのが狙いで、受信には関係ないだろう。実際、localhostを利用したスパムは多いので当然の措置か。他のプロバイダも導入してくれると、いいかも。

[MOVIE] 「輪廻」

「輪廻」パンフレット「呪怨」の清水崇監督の新作で、35年前に大量殺人があったホテルを題材にした映画のスタッフとキャストが怪異に襲われるホラー。中心となるアイデアは過去にも例があり、ちょっと考えただけで、設定は異なるけれどもポール・バーホーベンのあの作品とかアラン・パーカーのあの作品が思い浮かぶ。リーインカーネーションを描いた映画としてはこうするか、それこそ「リーインカーネーション」(1976年、J・リー・トンプソン監督)のようにするかしかないのだろう。また、大量殺人のあったホテルと言えば、スティーブン・キング「シャイニング」=映画化はスタンリー・キューブリック=を思い出さずにはいられず、「輪廻」は幽霊屋敷もののバリエーションとも言える(幽霊屋敷の最高傑作は「シャイニング」ではなくリチャード・マシスン「地獄の家」=映画化はジョン・ハフ「ヘル・ハウス」=だと思う)。考えてみれば、「呪怨」自体、幽霊屋敷もののバリエーションであったわけだが、あれは場に取り憑いた怨念が無関係の人まで巻き込んでいく怖さがあった。「輪廻」の場合、幽霊屋敷と生まれ変わりをミックスさせた結果、関係者のみが犠牲になることになり、それで怖さが半減している(もっとも、誰が関係者であるのかは本人にさえ分からない)。出来事に合理的な説明があるので怖くなくなったし、スケールが小さくなったのは残念だが、映画のまとまりは、脚本がしっかりしているので「呪怨」よりも上だろう。こういうジャンルで新しいアイデアを取り入れるのは容易ではないが、あと一ひねりしたいところだ。

映画監督の松村(椎名桔平)は35年前、群馬県のホテルで起きた大量無差別殺人を描いた映画「記憶」の製作を進めていた。大学教授が家族を含む11人を殺して自殺した事件。映画のオーディションに行った女優の杉浦渚(優香)はその直後から不気味な少女の幻影を見るようになる。オーディションに合格した渚はスタッフ、キャストともに事件のあったホテルへ行く。そこでも渚は不気味な幻影を見る。やがてその少女は事件の犠牲者で教授の娘だったことが分かる。渚はその少女の役を映画で演じることになっていたのだ。女子大生の木下弥生(香里奈)は小さいころから赤い屋根のホテルの夢を見続けていた。弥生は恋人の尾西(小栗旬)から自分の前世を知っているという新人女優・森田由香(松本まりか)を紹介される。由香には首に絞められたような痣があり、図書館で何者かに連れ去られてしまう。弥生は35年前の事件を調べ、やがてホテルにたどり着く。

クライマックスは犯行が記録された8ミリの映像と映画の撮影現場で渚を襲う怪異とホテルで恐怖にさらされる弥生の3つのシーンが交互に描かれる。荒れ果てたホテルが一瞬にして新しくなるところなどはそのまま「シャイニング」だが、このクライマックスの構成や映画のセットが実際のホテルにオーバーラップしていく場面は映画のオリジナルなところだと思う。冒頭、2人の男が何者かに襲われて死ぬ。実は訳の分からないここが一番怖い雰囲気がある。クライマックスが怖くなく、ある意味笑えるシーンさえあるのは訳が分かってしまったからで、だから観客の予想をもう一度裏切るようなショッキングなひねりが欲しくなるのだ。「ヘル・ハウス」が面白かったのは最後の最後まで謎を引きずった部分があり、それを解くことが幽霊の撃退につながっていたためだ。マシスンのアイデアの勝利といったところか。映画のオリジナルでああいう手の込んだストーリーを考えるのは難しいのかもしれない。

主人公の優香は恐怖に引きつる演技がなかなかうまかった。香里奈も好演しているが、一番のうまみは一シーンだけ出てくる黒沢清か。知的な感じが役柄に合っていた。この映画、一瀬隆重プロデュースによるJホラーシアターの第2弾(第1弾は2004年公開の「感染」「予言」2本立て)。僕が見た劇場では観客4人だった。いくら世界配給が決まっているとはいっても、ヒットしてくれないと、後が続かないのではないか。この映画自体、世界を意識して真っ当なホラーに(暗闇でいきなりワッと脅かすようなあざとい演出を控えめにして)仕上げたのかもしれない。

秀丸メール持ち出しキット

USBメモリーなど外部記憶装置で秀丸メールを使えるようにするキット。「外付け用の装置にメールデータのすべてを置くことが難しい場合は、持ち出し用の秀丸メール専用のメールデータをご自身で作成しないといけなくなり、セットアップはかなり難しくなります」とある。

僕の秀丸メールのデータは200MB近くあり、それをUSBメモリーに移すのはちょっと面倒だ。こんなことするぐらいなら、IMAPに対応した方がいいような気がする。


2006年01月13日 [Fri]

「99%の誘拐」がヒント

新聞記事にあった(最初に書いたのは毎日か)。仙台市の乳児連れ去り事件で犯人がヒントにしたのは岡嶋二人のこのミステリではないかという。身代金受け渡しの際に院長を電車や車でいろいろと引き回すのも似ている。この記事、犯人の供述に基づいたものではなく、単なる憶測だが、ありそうな話ではある。

原作では発煙筒をたいて、一軒家から男の子を誘拐する。犯人はそれを病院に置き換えたわけだ。この事件の身代金受け渡しの経緯は、ここだけ、本格的な計画的犯行という感じがしたのは小説を参考にしたためなのか。犯人、小説の場面を宮城県のロケーションに必死に置き換えたのだろう。最後はどうやって受け取るつもりだったのだろう。そこが気になる。原作では犯行にコンピュータが駆使されているが、今回の事件ではそれはなかった。ああいうシステムを作る力が犯人にはなかったのだから当然か。

ま、小説を実際の事件に使った例として有名なのはグリコ・森永事件があるから、こういうことは常に起きうることなのかもしれない。「この文庫がすごい!」で1位になって、売れている小説を犯行に使うとは、犯人、分かりやすいやつだな。


2006年01月14日 [Sat]

LAN内のセキュリティレベル

最近、ノートパソコンは子供のゲーム機と化している。たまにはソフトウェアのアップデートもしておこうかと、起動してみたら、ウィルスセキュリティのパターンファイルのアップデートができない。僕が使っているのはウィルスセキュリティ2004。起動してみると、2006が出ていたのでダウンロード(ソースネクストめ、2004のサポートは打ち切ったらしい)。インストールするには、いったん、古いバージョンをアンインストールしなければならない。で、アンインストールした後、2006をインストール。アップデートするにはシリアルの入力が必要になる。昨年5月に使用継続の手続きをして、送られてきた継続用シリアルを入れたら、シリアルが間違っているというダイアログ。ふむ、いろいろ試行錯誤して最初の購入した時のシリアルを入れたらOKだった。何のための継続用シリアルなんですかね。

ま、それはいいとして、マイネットワークを開いてみると、デスクトップ機の共有フォルダが表示されていない。共有プリンタもなし。そもそもワークグループ内のコンピュータが表示されない。うむむ。ウィルスセキュリティのファイアウォールの設定がおかしいかと、またもやいろいろと試行錯誤。デスクトップ機のユーザーアカウントが悪いのかとも思い、いろいろいじってみたが、ワークグループのコンピュータは表示されるようになったものの、アクセスができない。デスクトップ機で動いているApacheにはアクセスできるし、pingも通るが、共有フォルダは依然表示されず。

デスクトップ機からはノートの共有フォルダが見えているので、デスクトップの方のファイアウォールが原因らしい。で、こちらにインストールしてあるウィルスバスターのパーソナルファイアウォールをオフにしてみたら、つながった。ただし、LAN環境とはいってもファイアウォールなしはやはり不安。プロファイルを家庭用ネットワーク2にしたり、社内ネットワークにしたり。いろいろやって分かったのは家庭内LANといえども共有フォルダを使うなら、社内ネットワークにしてセキュリティレベルを「低」にしておくということ。これなら、フォルダの共有もプリンタの共有もできた。ルーターのある環境なら、これでもいいのでしょう(たぶん)。

「シネマ1987」2005年映画ベストテン

 きょう集計して以下のように決まった。18人が投票。邦画の1位と2位の差はわずか。洋画の「ミリオンダラー・ベイビー」は圧倒的な差で1位だった。
【日本映画】
(1)ALWAYS 三丁目の夕日
(2)パッチギ!
(3)NANA
(4)サマータイムマシン・ブルース
(5)フライ,ダディ,フライ
(6)大停電の夜に
(7)メゾン・ド・ヒミコ
(8)春の雪
(9)交渉人 真下正義
(10)タッチ
【外国映画】
(1)ミリオンダラー・ベイビー
(2)スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐
(3)キング・コング
(4)シンデレラマン
(5)サイドウェイ
(6)サマリア
(7)モーターサイクル・ダイアリーズ
(8)エターナル・サンシャイン
(9)海を飛ぶ夢
(10)ベルヴィル・ランデブー

2006年01月15日 [Sun]

「Basic Instinct 2」

IMDBのカミング・スーンのページを見ていたら、3月公開でこのタイトルがあった。「氷の微笑」の14年ぶりの続編。監督はポール・バーホーベンではなく、マイケル・ケイトン・ジョーンズ。それなりの監督だから、何とかするのかもしれないが、シャロン・ストーンが同じ作家の役をやるのは少し無茶な気が。なんせ今年48歳だからなあ。第1作のような官能的な話にはならないのだろう(と思ったが、プロットのアウトラインを読むと、そうでもなさそうだ)。マイケル・ダグラスは出ていない。


2006年01月16日 [Mon]

ネタバレ

清水崇の「輪廻」を見て、この中心となるトリックは過去にも見たことがあると思ったのだが、具体的なタイトルはなかなか思い出せなかった。ようやく思い出したのがケネス・ブラナーのあの作品。リーインカーネーションも出てくるし、ほぼ同じトリックと言っていい。ただし、随分前に見たので自信がない。ネットで検索したら、懐かしの映画館 近松座というページにたどり着いた。

ここは古い映画を紹介したページで、「近松座の映画は全てネタばれです。ご注意ください」とトップページに書いてある。ケネス・ブラナー作品のトリックも確認できた。

一般的にネタバレはルール違反だし、僕も感想書く時にはネタをばらさないようにしているが、こういうページも必要だなと思う。資料的に価値があるのである。goo 映画は以前の作品についてはすべてネタをばらしたストーリー紹介を書いていたが、最近のはネタバレしないように書かれている。これだと、調べる際に困るのである。資料として役に立たない。ネタをばらされるのが嫌なら、見る前に読まなければいいのだから、資料的なページでの明記した上でのネタバレは許されるのではないかと思う。

子供の読んでる本

長男(10歳)が「魔女がいっぱい」という本を読んでいる。誰の小説かと思ったら、ロアルド・ダールだった。「ダールって面白いよ」と長男。なるほど、ダールは童話もたくさん書いているからなあ。ダールの作品はこのほかにもいろいろ読んでいるようだ。もう1つ、上下本も持っていた。こちらは「ドラゴンの眼」と言い、作者はなんとスティーブン・キングだった。キング唯一のジュブナイル、と長男に教わった。後書きに書いてあったそうで、キングが自分の子供のために書いた小説なのだという。

ちなみに僕が今読んでいるのは「回想のビュイック8」。もちろんキングの小説。親子が同じ作家の本を読むというのも何だかなあではある。


2006年01月17日 [Tue]

ラクーカン

きょうから始まった@niftyのWebスペースサービス。2GBで年間5,670円。Perl、PHP、Rubyが使え、.htaccessも使えるというので心引かれたが、シェルは使えないのだった。ということはNamazuはインストールできない。さくらインターネット(スタンダードは1GB5000円、プレミアムは3GB1万5000円)よりも安いのでシェルが不要な人にはいいかもしれない。jpドメインを取って、移行しようかなと僕もちょっと迷っている。Namazuはさくらで動かしておけばいいんだし。サーバーのOSは何なのだろう。それが分かれば、ローカルで同じ環境作ってコンパイルしてC言語版のNamazuも使えるかもしれない。

[MOVIE] 「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」

「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」パンフレット数々の賞に輝くデヴィッド・オーバーンの戯曲「プルーフ/証明」をジョン・マッデン監督とグウィネス・パルトロウの「恋におちたシェイクスピア」コンビで映画化。マッデンとパルトロウは2002年のロンドンの舞台でも演出・主演を務め、高い評価を受けたという。手慣れた題材のはずだが、なかなか話が見えてこない映画の前半が思わしくない出来なのは映画化にあたって付け加えたという葬儀とパーティーのシーンがやや精彩を欠くためか。舞台劇らしく会話が多いことも映画的なノリにブレーキをかけているようだ。

しかし、後半、世紀の数学の証明に関する話になって映画は輝き始める。天才的な数学者でありながら精神を病んだまま死んだ父親から、その負の側面までも受け継いだと思いこみ、精神的に不安定な娘の再生への光を映画はくっきりと浮かび上がらせるのだ。この父と娘はロン・ハワード「ビューティフル・マインド」のラッセル・クロウのように精神を病んでいるけれども、天才的なひらめきを持っていて、そこがとても興味深い。化粧気のないパルトロウの演技は繊細で、ある意味、エキセントリックで感情移入しにくいヒロインに複雑な陰影を与えている。知的な女優だなと思う。

映画は27歳の誕生日に一人でシャンパンを飲むキャサリン(グウィネス・パルトロウ)と父親ロバート(アンソニー・ホプキンス)の会話で始まる。話しているうちに父親は1週間前に死んだことが分かる。黒木和雄「父と暮せば」を思わせるシチュエーションだが、それはここだけ。3年前、精神を病んだ父親が1年間だけまともだったころの思い出から始まって過去と現在を行き来しながら、映画は父娘の関係とキャサリンの苦悩、ロバートのかつての教え子ハロルド(ジェイク・ギレンホール)やキャサリンとは対照的な姉クレア(ホープ・デイビス)との関係を描いていく。ロバートは20代のころ、数学の世界で次々に偉大な功績を残し、天才と言われたが、その後、精神を病んだ。ハロルドと親しくなったキャサリンが1冊のノートに書かれた世紀の数学の証明を書いたのは自分だと話す場面からがこの映画のメインで、筆跡がロバートのものだとして信じないクレアとハロルドにキャサリンは絶望する。通貨アナリストとして成功しているクレアは現実的なタイプで、キャサリンが父親の病気を受け継いでいると思っており、自分の住むニューヨークに連れて行こうとする。

人生の証明などと分かった風な意味を付け加えたこの邦題は直截すぎるばかりか意味を限定して良くないと思うが、確かに映画が描くのは数学の証明の秘密とそれを通して自分の人生の証明を果たしていくキャサリンの姿である。脚本はデヴィッド・オーバーン自身と劇作家アーサー・ミラーの娘レベッカ・ミラーの共同。映画的に際だった手法はないけれども、オーソドックスな作りではあり、舞台を楽しむように見る映画なのだと思う。

劇中、ロバートが口にする「人間の頭脳の頂点は23歳」という言葉は、それをとうに過ぎた年代のものとしては悲しいが、これは天才だからこそ感じる不安なのかもしれない。そしてその不安こそが精神を病む引き金になったのかもしれないと思う。99%のパースピレーションと1%のインスピレーションからなる天才はインスピレーションを生むためにもがき苦しんでいるのだ。


2006年01月18日 [Wed]

[MOVIE] 「亀も空を飛ぶ」

「亀も空を飛ぶ」パンフレットキネ旬ベストテン3位。イランに住むクルド人監督であるバフマン・ゴバディがイラク北部の村に生きるクルド人の子供たちの過酷な生活を描く。地雷で手や足をなくした子供が普通にいたり、除去した地雷を売って生活の糧を得る子供たちの姿、過去の恐ろしい出来事に心を痛め、いつも無表情な少女の姿には言葉を失うが、この映画が優れているのは両腕をなくした少年が予知能力を持っているというファンタスティックな設定や日々のユーモアを織り込んで普遍的な映画に仕上げていることだ。現実から近いところで成立させたフィクションで、現実に軸足を置きつつ、フィクションの有効性を最大限に生かしている。クルド人の監督だから、描いてあるのは弾圧と迫害と虐殺にさらされてきたクルド人の悲惨な現状なのだが、これは単に戦争の犠牲になるのはいつも子供たちだ、という風に設定を無視して短絡的に受け取ってしまっても悪くはないと思う。映画を見た後、すぐにどこかの子供を救える募金に協力したくなる気分にさせる映画である。

アメリカのイラク侵攻前の2003年春、トルコ国境に隣接する北部の村が舞台。大人たちは間もなく始まる戦争の情報を得ようと、テレビのアンテナを立てるのに必死だ。主人公の少年ソランはそうした衛星アンテナの設置も行っているのでサテライトと呼ばれる。サテライトは村の子供たちを率いて、地雷を除去し、それを売っている。ある日、この村に両腕をなくした少年ヘンゴウと赤ん坊リガーを背負った少女アグリンの兄妹がやってくる。アグリンに一目惚れしたサテライトは何かと世話をするようになる。ヘンゴウは地雷の埋まった場所を言い当てたり、トラックの爆発を予言したりする。予知能力があるらしい。アグリンはいつも無表情で、なぜかリガーを嫌っている。

こうした設定の下、映画は村の子供たちの日常を活写していく。子供たちはただ悲惨ではなく、笑顔も見せるし、たくましさもあるが、そうした姿が逆に痛ましい気分を起こさせる。しかし、個人的に心を揺さぶられたのは過酷な子供たちの姿よりも、地雷原の中に迷い込んだ幼児を助けようとする主人公サテライトの姿。子供たちのリーダーで、要領のいいだけの少年かと思えたサテライト、実はしっかりしたいいやつなのである。サテライトは戦争孤児で、アメリカに憧れている。フセインから弾圧を受けてきたクルド人にとって、アメリカの侵攻は弾圧からの解放を意味する。政治的な観点から見れば、アメリカはベトナム戦争でも北ベトナム政府から迫害されていた山岳民族に反政府勢力を組織させたし、この映画もそういう風に利用される恐れがあったが、ゴバディはアメリカを信用していず、「独裁者がフセインから変わっただけ」というスタンスのようだ。化学兵器で虐殺を行ったフセインよりはまし、といったところか。アカデミー外国語映画賞のイランの代表作品になったにもかかわらず、賞にノミネートされなかったのはそういう部分があるからかもしれない。

イラクではアメリカの後押しによってクルド人の大統領が誕生したが、クルド人が本当に弾圧と迫害から逃れるためにはクルド人の国を作るしかないだろう。クルド人はトルコ、イラン、イラク、シリアなどに分散しているから問題は複雑で、そのめどは全くない。民族と住む国が一致しない悲劇(母国語と母語が一致しない悲劇)はいつになったら解消されるのだろう。

パンフレットによれば、映画でヘンゴウを演じる少年ヒラシュ・ファシル・ラーマンは実際には地雷ではなく、感電事故で両腕をなくしたそうだ。本当に目が見えなかったリガー役の赤ん坊アブドラーマン・キャリムはその後手術を受け、視力を取り戻したという。


2006年01月19日 [Thu]

カメラ事業、フォト事業の終了と今後の計画について

コニカミノルタがカメラ・写真事業から完全撤退するそうだ。「昨今のデジタルカメラにおいては、CCD等のイメージセンサー技術が中心となり、光学技術、メカトロ技術など当社の強みだけでは、競争力のある強い商品をタイムリーに提供することが困難な状況」にあり、収益が悪化していたとのこと。

コニカミノルタのカメラは買ったことがなかったが、やはりショック。手ぶれ補正技術やオートフォーカス技術では負けていないと思っていたのに。Nikonは大丈夫なのだろうか。精密機器メーカーとしてのNikonは会社の規模としては小さい。デジ一眼がようやく庶民が購入できる価格までさがってきたとはいえ、技術的な面でコニカミノルタより大きなアドバンテージがあるとも思えない。ニッコールレンズのブランドだけだと思う。しかもそのレンズは高いのでプロとハイアマチュア以外はあまり買わないだろう。


2006年01月20日 [Fri]

Acrobatのページ番号

Macな人からもらったPDFにAcrobatでページ番号を入れたら、フォントが汚くなった。太字が滲んだようになる。MacのPDFって何かWindowsとは異なる部分があるのか? 元々、Adobeの方でもMac OS Xで作成したPDFはAdobe PDFではないと言っている(当たり前)らしいので、ちょっとおかしな部分が出てきても不思議ではないが、PDFというのは統一フォーマットという認識があるので、こんなことがあると、困る。

で、MacのPDFをAcrobatで開いて再出力(つまりAdobe PDFで印刷)したPDFにページ番号を入れてみたら、きれいにできた。こうした方がPDFのファイルサイズも小さくできる。MacとWindowsでそれぞれ作ったPDFがある場合はどちらかで作り直してフォーマットを統一した方がいいようだ。


2006年01月21日 [Sat]

NEW 7MODELS 2006 Spring

auの春モデル7機種。個人的にはカシオのW41CAが気になる。薄くなって、FMラジオが付いて、おサイフケータイに対応して、音楽機能を強化したところが新しいか。パソコンに取り込んだCDの音源を簡単に携帯に移せるようになったのはメリット。今でもフリーソフトでできるけれども、デフォルトで機能を持っているのはやはり便利だろう。1GBのminiSDに対応したのもいい。機種変更するなら13カ月たってからの方が安いから6月ごろだな。


2006年01月22日 [Sun]

バッテリー

昨夜、実家に車を置いて帰った。今朝、取りに行ったら、バッテリーが上がっていた。1年前に続いて2回目。実家の近くの整備工場に頼んで、ブースターケーブルを繋いでエンジンを掛け、バッテリー液を補充(合わせて500円)。このままでは長く持たないので、家の近くの整備工場まで乗って行き、充電を頼んだ。

バッテリーの寿命は3年から4年らしい。車を買って4年半、走行距離は3万キロにも満たないが、バッテリーを交換する時期か。ブースターケーブルも買っておいた方がいいな。

151枚中11枚当たり

お年玉付き年賀状をいちおうチェックしてみる。いちいち見比べるのは面倒なので、大当たりを利用。ここは下2ケタを入力すると、当たりかはずれか分かるので便利。4等だけ11枚当たってもちっともうれしくないな。

数年前、3等が当たったことがあった。3等は地域の特産品で、ゆうパックの商品の中から選べる。北海道のホタテを選んだら、まだ生きているのが届いた。焼いたり、刺身にしたりして食べ、とてもおいしかった。その後2年ほどホタテ注文の案内が来たが、注文はしなかった。無料だからうれしいのであって、買って食べたらそれほど感激しないかもしれない。


2006年01月23日 [Mon]

バッテリー交換

結局、交換することになった。きょうは代車で出勤。夕方、家に届けてもらった。取り付けたバッテリーはPanasonicの55B24L(これは型番ではなく、バッテリーの大きさを表すらしい)。価格は作業料、代車料込みで14,000円だった。

楽天などで調べてみると、このバッテリーの価格は13,800円から5,300円までけっこう開きがある。作業料と代車の料金を含めて14,000円ならば、まあ納得できるか(ちょっと高いか)。明細書を見ると、バッテリーの単価は28,500円とある(値引きが15,000円)。この価格は信用できないな。


2006年01月24日 [Tue]

西鉄in小倉

北九州に出張。会議の後、指定された宿舎のこのホテルへ行く。ロビーに木村建設が建てたと書いてある。再検査の結果、異常はなかったそうだ。ま、異常があったら営業はしていないだろう。

部屋は東横inよりわずかに広い程度か。朝食はパンとコーヒーだけだそうだ。それで十分ですけどね。


2006年01月25日 [Wed]

パンフレット完売

出張先の福岡で「プライドと偏見」を見る。とても面白かった。前半はユーモアを楽しみ、後半は主人公2人の生き方に共感。俗物だらけの貴族社会の中で毅然と生きる男女の愛を描いて、真っ当な出来だと思う。映画に気品があるのがいい。キーラ・ナイトレイも役柄にぴったりだった。

出張で疲れたので(というか、昨夜飲み過ぎた上に睡眠不足)、詳しい感想はまたそのうち。パンフレットも売り切れていた。イオンに買いに行くか。


2006年01月26日 [Thu]

石油ファンヒーター

ほぼ壊れかけているもよう。僕の部屋で使っているやつ。少し熱くなると、電源が切れる。これはやはりどこか(ヒューズか)が故障しているに違いない。なにしろ10年以上使ってきたものだから仕方がない。もう1台のファンヒーターは買って4年ぐらいで壊れたからなあ。今度の休みに買いに行こう。

と思ったが、ファンヒーターの背面の空気取り入れ口を掃除したら、調子よくなった。ここは1週間に一度は掃除するよう書いてある。ホコリがいっぱいたまっていたのでおかしくなるのも当然か。


2006年01月27日 [Fri]

映画興行対談

キネマ旬報映画総合研究所の中にある。第6回は「男たちの大和」を取り上げている。「大和」の興行収入は最終見込み50億円のセンもあるそうだ。未だに中高年が見に行っているので、ヒットしているのだなあと思う。

映画興行対談は大高宏雄と掛尾良夫が毎回、ヒットした日本映画を取り上げて、ヒットの要因を探る対談。興行的な価値から見る映画というのも面白いと思う。

大高宏雄はキネ旬2月上旬号で「キング・コング」の興行が目標を大きく下回ったとして76年のジョン・ギラーミン版と比較した文章を書いている。その年の正月興行は「キングコング」と「カサンドラ・クロス」の一騎打ちで、「キングコング」は出足で躓いたが、冬休みになって盛り返し、結局、30億円の興行収入を上げたという。

そうか、「カサンドラ・クロス」か。僕も当時、「キングコング」よりはこちらの方が面白かった記憶がある。監督はジョルジュ・パン・コスマトス(ジョージ・P・コスマトスと表記されることもある)。映画はオールスター・キャストで今となっては内容よりもジェリー・ゴールドスミスの音楽の方が印象に残っている。主演はリチャード・ハリスなので、「ジャガーノート」の延長で見に行ったのだった。コスマトスは当時、スピルバーグと比較されたりもしたが、その後はまったく目立たない監督になってしまったなあ。


2006年01月28日 [Sat]

「The Omen 666」予告編

「オーメン」のリメイク。予告編では悪魔の子がブランコに乗っているだけ。6月6日に公開するらしい。2006年の6月6日だから悪魔の数字の6が3つ重なるというわけか。監督は「エネミー・ライン」「フライト・オブ・フェニックス」のジョン・ムーア。そこそこの作品にはなりそうな感じ。今回も第3作まで作るのだろうか。旧作は結局のところ、面白かったのは第1作だけだった。


2006年01月29日 [Sun]

選挙

市長選。とりあえず行ってくる。誰に入れるか決めていなかったので、その場の勢いで投票。候補者3人のうち、投票したい人の欄にスタンプを押す方式だった。手書きだと、中には×とか△とか余計なことを書く人もいるらしい。そういう票は無効になるからか。


2006年01月30日 [Mon]

FlexScan S1910-HR

ついに液晶ディスプレイが壊れた。電源が入らなくなった(時々思い出したように入るが、これでは使えない)。で、買い換えを決意。どうせ買うならナナオがいいだろう。17インチで十分なのだが、最近のナナオは(というかディスプレイの主流は)19インチに移っている。しょうがないので出たばかりのS1910-HRにした。ジャスト・マイショップでは59,999円だが、納期は3月。とても待っていられない。楽天などの通販も見てみたが、EIZOダイレクトとそんなに価格差がない。うーん、どうしよう。

とりあえず、量販店に行って、つなぎのディスプレイを買おうと思ったが、17インチは2万円台の製品があるけれど、つなぎとしても使いたくないような画質。2件回って、あきらめた。EIZOダイレクトで買うことにした。で、購入手続き。いつごろ届くのだろう。

[MOVIE] 「THE 有頂天ホテル」

「有頂天ホテル」パンフレットグランドホテル形式で描く都会的なコメディ。三谷幸喜の映画は評判になった「ラヂオの時間」(1997年、キネ旬ベストテン3位)も「みんなのいえ」(2001年)もそれほど感心しなかったが、これは素直に面白かった。数多くの登場人物を出し、細かいエピソードをつなぎ合わせる手腕はたいしたもので、西田敏行と香取慎吾と佐藤浩市が絡むエピソードなど、昨年11月22日の日記に書いた僕が考えるうまい脚本の例とほぼ同じである。

洪水のようなセリフとドタバタした慌ただしい展開の中で、ふっと立ち止まるシーン(例えば、ベッドの中で物思いにふけっているYOU)が効果的だ。大晦日のカウントダウン・パーティーに関わる人々はそれぞれにどこか現状に満足していない。その思いを解消していく終幕へのもって行き方がとてもうまい。「夢をあきらめてはいけない」「他人の目を気にするな」「自分らしく生きろ」という当たり前のことが当たり前にできていないからこそ、その言葉は僕らを元気づけてくれるのだろう。クスクス笑って、爆笑して、最後は心地よい気分になる映画。ホテルの中に限定した作りは演劇的な要素が強いけれど、同時にハリウッドの50年代の映画の雰囲気を備えたソフィスティケイトされた映画であり、映画マニアだからこそ作れた映画だと思う。三谷幸喜がこの映画の中で多数引用している過去の映画の断片や、さりげない伏線の数々はとても一度見ただけでは全部を見つけられないだろう。2度、3度見ても新たな発見ができるのではないか。

キネ旬1月下旬号の三谷幸喜と和田誠の対談によれば、三谷幸喜はこの映画を「火事の起こらない『タワーリング・インフェルノ』」として作ろうとしたという。そう言われてみれば、パニック映画には多数の登場人物が出てきて、災害に遭うことでそれぞれのドラマを展開させていくわけで、グランドホテル形式と似ている。映画は高級ホテル「アバンティ」の副支配人・新堂(役所広司)を主人公にして、カウントダウン・パーティーの準備を進めるホテルの従業員や宿泊客のさまざまな事情と次々に起こるトラブルをテンポ良く描いていく。主要登場人物だけで25人、描かれるエピソードはとても多くて、映画数本分の数が詰め込んである。早口のセリフで映画が進むので、ああこれは伏線をいくつも見逃しているだろうなという気分になるが、それは脚本の計算でもあるのだろう。観客に考える暇を与えないようなスピードで映画はどんどん進んでいく。だからこそ、それが止まるシーンの印象が強まることになる。

先に挙げたYOUは、本来は洋楽を歌いたいのに事務所の社長(唐沢寿明)から邦楽に変更され、しかもホテルに取り入るために新堂と一夜の関係を強要されることになる。ホテルのベルボーイ憲二(香取慎吾)は歌手の道をあきらめて故郷へ帰ろうとしている。国会議員の武藤田(佐藤浩市)は汚職疑惑でマスコミから追いつめられる日々。新堂はホテルマンとして優秀であるにもかかわらず、演劇をあきらめた過去にこだわっている。そうした人々が騒動の中で立ち止まって考え、自分の行く道を確認することになるのだ。ラスト近くにある役所広司と佐藤浩市の「いってらっしゃいませ」「帰りは遅くなる」という会話はだからこそしびれる。

三谷幸喜はこの多くの登場人物の画面には描かれない背景まで細かく設定しているのだろう。撮影現場での俳優のアドリブも多く、それを脚本に取り入れたそうだが、それはこうした設定がしっかりしているから出てくるのだと思う。この映画の中で多用されるワンシーン・ワンカットを僕は映画的な技術とは思わないが、それでもこの映画においては俳優の演技の持ち味を引き出す上で有効に作用していると思う。その効果で西田敏行のシーンはどれもおかしかった。

ぜいたくを言うなら、香取慎吾の歌う「天国うまれ」という歌にもっと魅力がほしかったところではある。これは佐藤浩市の心変わりの契機になる歌なので、ちょっと聞いただけで傑作というぐらいの歌を用意したいところなのだ。オリジナルではなく、既存の有名な曲であってもかまわなかったと思う。


2006年01月31日 [Tue]

配達は3日

EIZOダイレクトからメール。ディスプレイの到着予定日は3日だそうだ。受け付けから発送まで早いですね。ジャスト・マイショップとは随分違うが、やはり安売りの店よりは自社のダイレクト販売で稼ぎたいのでしょう。

とりあえず、予想より早いのは良かった。「商品券の送付はお買上より1カ月前後のお届けとなります」とある。5,000円の商品券が付くのだった。これでフィルタでも買おうか。

[MOVIE] 「空中庭園」

「空中庭園」パンフレット「これは学芸会なんだわ、学芸会なんだわ」と言いながら、ワインを飲み過ぎたミーナ(ソニン)が貴史(板尾創二)に向かって「オエッ」と吐いてしまう場面を見て、思わず「ウワッ」と声をあげてしまった(幸い、劇場にいた観客は僕一人だった)。この後に主人公絵里子(小泉今日子)の家庭である京橋家の誕生パーティーは悲惨な修羅場と化してしまう。学芸会とは言うまでもなく、この仮面夫婦ならぬ仮面家族の一見和やかそうな雰囲気のことで、恐らくミーナはワインに酔ったからだけではなく、家族の嘘くささに気持ちが悪くなって吐いてしまったのだ。

何事も秘密にしないという家族の決まりとは裏腹に、家族4人はそれぞれに秘密を持っている。絵里子はいつも笑顔を絶やさず、夫と長女(鈴木杏)と長男(広田雅裕)の4人家族を取り仕切っているが、一人になった時には般若のような怖い顔を見せる。それがなぜなのかを映画は徐々に明らかにしていく。それは絵里子の子供の頃にさかのぼり、母親との確執が根底にあった。という設定を見れば、カーティス・ハンソン「イン・ハー・シューズ」との類似性も何となく感じてしまう。

絵里子を演じる小泉今日子のもの凄い演技と母親を演じる大楠道代の懐の深い演技がこの映画の見どころで、もうめっぽう面白い作品に仕上がっている。深刻な題材でありながら、サスペンスだったり、ホラーだったり、ショッキングだったり、コメディだったりするところ、つまりエンタテインメントなところが素晴らしい。いや、監督の豊田利晃はもしかしたら、そう受け取られることは不本意なのかもしれないが、この映画の面白さはそういう部分が積み重なったところにあるのだから仕方がない。だからこれは監督が意図しないところで生まれた奇跡的な大ホームランなのではないか、と僕は思う。決して精緻に組み上がった作品ではなく、乱暴な部分もあるけれど、それが逆に面白いという映画である。

例えば、京橋家が住むマンションが画面の中でぐるりと1回転してタイトルが出る場面など何か青臭い撮り方だなと思う。ゆらゆら揺れる長回しのカメラワークにしても、監督の思い入れが強すぎるきらいがある。また、絵里子が母親との不幸な家庭を反面教師にして幸せな家庭を築こうと、15歳のころから基礎体温を計って計画的に努力する要因となった出来事の精神分析的な部分での説明も不足している。母親が嗤った顔だったか、泣き顔だったかを誤解しただけで人は思いこみに突っ走っていくものかどうか。そう思うに至った要因までも探るのが本当だろう。この映画の説明だけではすっきりしない部分が残ったので原作を買うことになった。

そういう十分とは言えない部分があるにもかかわらず、映画が面白いのは小泉今日子に尽きる。笑顔と怒りの落差の激しさは一歩間違えれば、それこそホラーなのだが、ぎりぎり踏みとどまっている。ホラーとかサスペンスとかに似ている部分があるのは絵里子にサイコな部分があるからだ。「幸せな家庭を作りたい」という願いはいつのまにか「作らなければならない」という強迫観念になってしまって、夫の浮気などいくつか目に付く綻びも意識的に見ないようになっている。いったんは壊れた家族が再生へと向かうのは絵里子の再生とそのまま重なっている。家庭を壊したのは実は幸せな家庭を築こうとした絵里子自身にほかならない。現実をありのままに受け入れることで、絵里子が再生を果たすという展開は甘いが、豊田利晃は救いのない映画にはしたくなかったのだろう。クライマックス、真っ赤に血に染まった絵里子の姿は劇中で語られる「人は泣きながら血まみれで生まれてくる」という言葉と呼応するという分かりやすさがまた良いところか。

キネマ旬報ベストテンでは9位にランクされた。もっと上でも良かったと思う。


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