映画とネットのDIARY(tDiary版)
検索エンジンからのアクセスで、お探しのキーワードが見あたらない場合はNamazuで再検索してみてください。
【映画の感想一覧】 2004年7月以降 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
2006年02月16日 [Thu]
■ Subsearchプラグイン改良
去年の1月4日に書いたNamazuによる再検索プラグインが動かなくなっていた。これはYahoo!の検索からこの日記に来た場合にNamazuで検索するよう表示するプラグイン。Yahoo!の文字コードがUTF-8に変わったためと、URLが変わったために文字化けしたり、表示されなくなったりしていた。 検索キーワードをRefererから抽出し、それをURLアンエスケープし、EUCに変換した後、URLエスケープしてNamazuにキーワードを渡す。RefererがYahoo!でない場合は何も表示しない。#tDiary Subsearch require "kconv" def subsearch namazu_url = "http://foo.bar.ne.jp/namazu/namazu.cgi" yahoo_url = "http://search.yahoo.co.jp/search" result = "" cgi = CGI.new buffer = cgi.referer if (/#{yahoo_url}/ =~ "#{buffer}") == nil buffer = "" else buffer = buffer.gsub(/#{yahoo_url}/,"") buffer = buffer.gsub(/\?p=/,"") buffer = buffer.split(/&/) buffer = buffer.first buffer = CGI.unescape(buffer) buffer = Kconv.toeuc(buffer) buffer = CGI.escape(buffer) result << %Q| <span style="color:red;font-weight:bold;">Yahoo! Japanの検索からようこそ。</span> お探しのキーワードが見あたらない場合は Namazuで<a href="#{namazu_url}?query=#{buffer}&whence=0&max=20&result=normal&sort=score"> 再検索</a>してみてください。\n| end end
■ [MOVIE] 「PROMISE」
チェン・カイコー監督が日中韓のスターを共演させて撮ったファンタジー。タイトルも内容もチャン・イーモウ監督の「HERO」「LOVERS」を彷彿させるが、イーモウ作品がアクションとドラマのエモーションを切れ目なく融合させていたのに対し、この映画、アクション場面のCGがダメだし、エモーションの高まりも少ない。それぞれの場面の演出に繊細さが感じられない上に、場面の組み立ても雑に感じた。ディズニーの「ライオン・キング」を参考にしたと思われる水牛の大群の暴走シーンなどはCGの質感があまりにも安っぽくて情けなくなる。パンフレットのインタビューを読むと、カイコーは実写と明らかに異なるようにCGを演出したと語っているが、疑わしいものである。失笑を買うようなCGにどんな意味があるというのか。これが意図的だとしたら、大きな勘違いと言うほかない。ワイヤーアクションの撮り方もオリジナルなものはなく、この映画、スペクタクルな部分に関しては見るべきものはない。チェン・カイコー、ファンタジーやスペクタクルには向いていないのだと思う。
見るべきなのは真田広之、チャン・ドンゴン、ニコラス・ツェー、セシリア・チャンという俳優たちであり、この4人の演技がなんとか映画を水準に維持する要因になった。真田広之は立派に北京語をしゃべり、善悪入り交じったキャラクターを好演している。アクションが普通にできるのが強みだ。ニコラス・ツェーは「香港国際警察 New Police Story」とは違い、悪役めいた役柄を颯爽と演じている。チャン・ドンゴンとセシリア・チャンに関してはそれほど感心する部分はなかったのだけれど、スターとしての華やかさはある。日中韓のスターの共演という点では成功しているだろう。そのスターたちが着る衣装をデザインした正子公也も良い仕事をしている。
まだ、神が人間の前に普通に現れた時代の中国。貧しい身なりをした少女が運命を司る神「満神」(チェン・ホン)から、一生本当の愛を得ることができないことを条件に「すべての男から望まれる姫」にすると言われる。それでもいい、と少女は答える。20年後、少女は美しい王妃・傾城(チンション=セシリア・チャン)になっていた。赤い華の甲冑を着た大将軍・光明(クァンミン=真田広之)は3000の兵で2万の敵に勝利し、気分を良くしていた。光明は奴隷の崑崙(クンルン=チャン・ドンゴン)が戦いの中で見せた足の速さに目を付け、家来にする。光明は王の城へ行く途中、満神から自分が王妃を救うために王を殺す場面を見せられる。光明は謎の男・鬼狼(リウ・イエ)に襲われ負傷。光明の代わりに崑崙が赤い甲冑と仮面を身につけて、王の元へ行くが、そこでは北の侯爵・無歓(ウーホァン=ニコラス・ツェー)の軍勢が詰めかけ、王に傾城を差し出すよう要求していた。王妃に剣を向けた王を駆けつけた崑崙が殺してしまう。自分を助けてくれたと誤解した傾城は光明を愛するようになるが、光明は王殺しの罪をかぶることになる。事実を話せば、傾城の愛は得られないという立場。これに秘かに傾城に思いを寄せる崑崙とあからさまに傾城を要求する無歓、崑崙と無歓の過去の因縁が重なっていく。
ラブロマンスとしてはあまり魅力を感じない。話のスケールは大きいのに「LOVERS」に負けているのは4人の心の動きを丹念に描いていないからだろう。愛のドラマではなく、女を巡る争奪戦にしか見えない。チェン・カイコーはそうした恋愛ドラマにはあまり興味がないのかもしれない。「星願 あなたにもういちど」(1999年)では初々しかったセシリア・チャンは大人の女の魅力を見せるようになっているが、ニコラス・ツェーとならバランスが取れるものの、真田広之、チャン・ドンゴンとは年齢的に少し無理があるように思う。原題の「無極」は極まりのないこと、果てしないことを意味するそうだ。