映画とネットのDIARY(tDiary版)

since 2004/07/15
ここは古い日記です。2013年11月からadiaryを使った新サイトに移行しました。
検索エンジンからのアクセスで、お探しのキーワードが見あたらない場合はNamazuで再検索してみてください。
映画の感想一覧 2004年7月以降 2005年  2006年  2007年  2008年  2009年

2005年12月05日 [Mon]

キネマ旬報ベストテンGyaO一般観客賞

創設されたとのこと。キネ旬12月下旬号にも告知がある。投票はGyaOの視聴登録をしている人で、1人1回1本のみ。投票ページを見てみると、邦画洋画含めて1本だけの選出になっている。GyaOの視聴登録者は470万人を越えたそうなので、1本だけでも相当な数が集まるのでは。

読者のベストテンとかぶりそうな気もするが、キネ旬の読者はマニアックな人が多いので、一般的な観客の嗜好はこちらの方が出るのかもしれない。

「春夏秋冬そして春」(WOWOW)

これは傑作だと思う。「サマリア」では興ざめだった比喩の分かりやすさがこの宗教的と言うより寓話的世界ではプラスに働いている。そしてこれは素直に「悪い男」の延長線上にある世界なのだと思う。この作品から変わったと言われるキム・ギドクの作風は根底の部分では少しも変わっていない。激しさが内に沈んだだけなのだ。

山奥の湖に浮かぶ寺が舞台。タイトルの「春夏秋冬そして春」とは映画を見始めてすぐに人生の比喩だろうと想像できる。幼年期、青年期、壮年期、老年期を描くのではと思ったのだが、それほどすんなり行くほどキム・ギドクの映画は単純じゃなかった。「春」と「夏」は確かにそうなのだけれど、「秋」の章で大きく転換し、静謐な「冬」の章へ向かう。冬の章を演じるのはキム・ギドク自身で、壮健な肉体が寺を再建する男に実にぴったりである。秋の章で描かれた和尚の力を受け継ぐのに説得力がある(実は和尚が船もないのに対岸へなぜ渡れるのかと疑問に思っていたら、ちゃんと秋の章の最後で明らかにされる。そのあたりにも感心した)。

人間の業とか人生の苦闘とかを分かりやすい比喩で描いた作品。石を結びつけられて「春」の章で死んだはずの魚や蛇が「そして春」の章で生きた姿を見せるのは輪廻転生とか繰り返しなどを思わせる描写だ。映画にはそれほど思想的な深みがあるわけではないのだが、自然と一体となった人間の営みを見つめるキム・ギドクの視線は穏やかさよりも激しさが息づく。目、口、鼻、耳を覆う「閉」と書いた紙や顔を布で覆った女などのショットは異様で鮮烈。昨年のキネ旬ベストテン9位。


[管理人にメールする] [シネマ1987online]