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【映画の感想一覧】 2004年7月以降 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
2005年10月01日 [Sat]
■ 「蝉しぐれ」(小説)
きょうから公開された映画の原作(藤沢周平著)。東京出張の帰りの飛行機の中で読み始めた。所々に胸を打つ場面があるが、もちろん安易な感傷が狙いの安っぽい小説ではない。多くの苦難に遭いながら、真っ直ぐに生きていく少年の成長を抑制された筆致で描き、教養小説(ビルドゥングスロマン)として読める作品だと思う。
主人公の牧文四郎は15歳。叔母の家に養子になった文四郎は「堅苦しい性格の母親よりも、血のつながらない父親の方を敬愛していた。父の助左衛門は寡黙だが男らしい人間だった」。そんな父が藩の権力争いに巻き込まれ、反逆の汚名を着せられて切腹を命じられる。切腹の前に短い時間、父と会った文四郎は言いたいことも言えずに面会を終えてしまう。
言いたいのはそんなことではなかったと思った時、文四郎の胸に、不意に父に言いたかった言葉が溢れて来た。
ここまで育ててくれて、ありがとうと言うべきだったのだ。母よりも父が好きだったと、言えば良かったのだ。あなたを尊敬していた、とどうして率直に言えなかったのだろう。そして父に言われるまでもなく、母のことは心配いらないと自分から言うべきだったのだ。
文四郎の家は三十石を七石に減じられ、一軒家から古い長屋に居を移す。幼なじみのおふくとの淡い恋心と別れ、2人の親友との交流など少年期の瑞々しい描写を挟みつつ、物語は剣に打ち込む文四郎と藩に渦巻くどす黒い権力争いを描いていく。
もっともっと長く読みたい小説である。これの倍ぐらいの長さがあってもかまわなかったと思う。それほど文体も自然描写の仕方も人物の描き方も心に残る。物語が終わった後にエピローグ的に描かれる20数年後の文四郎とおふくの姿は切ないけれど、通俗的にそこだけを取り上げてどうこう言う作品ではないと思う。巻末にある秋山駿の解説が素晴らしいほめ方をしていて、絶対読まなければという気にさせる。
2005年10月02日 [Sun]
■ 新しい楽しさを発見するならCS2よりElements
本当か、それと思ってしまいますね。もうPhotoshop CS2にしてしまおうかと、毎回迷うのだが、実際の用途はデジカメ写真の簡単な補正だけなので、なかなか踏ん切りが付かない。ま、Premiere Proとの連携とか考えれば、CS2の方が良いのでしょうがね。うーん、今回はどうしようか。
■ 喜六
東京のIさんから頼まれたのが、焼酎「喜六」(「喜」は本当は「七」を3つ書く)。「手にはいるだけ送ってくれ」とのことだった。昼間、市内の某有名酒店に2カ所行ってみたら、どちらも休み。うーん、日曜は休みなのか、酒店も。また明日行ってみよう。この焼酎の5合瓶、東京では3600円もするそうだ。たぶん、地元では2000円もしないはず。
家内が日曜出勤で帰りが遅かったため、夕食はぐんけい(けっこう有名な店。全国放送のバラエティ番組で紹介されたこともあり、店にはホンジャマカの石塚英彦が写った写真があった)に行った。そうしたら、喜六が普通に置いてあった。1合500円、5合瓶で頼むと2500円。1合をロックで頼んでみる。僕は飲むのは初めてだったが、これ、そんなにありがたがる焼酎ではないですね。赤霧島の方が手に入りにくい分、おいしく感じる。黒木本店の焼酎というのは「百年の孤独」にしても名前だけが先行しているような気がする。そうした付加価値というのはけっこう重要なのでしょうけどね。「百年の孤独」飲むぐらいなら、ウィスキーの方がまし、と僕は思う。
2005年10月03日 [Mon]
■ [MOVIE] 「蝉しぐれ」
「忘れようと、忘れ果てようとしても、忘れられるものではございません」。
ラスト近く、主人公の牧文四郎(市川染五郎)が藩主の側室になった幼なじみのおふく(木村佳乃)に言う。そうだろうか、と思う。そんなに文四郎にとって忘れられない出来事だったろうか。2人が言っているのは少年時代、川でヤマカガシに噛まれたおふくの指を文四郎が吸って毒を抜いた思い出である。それはおふくにとっては忘れられないことになっただろうが、文四郎にとってそんなに強烈な思い出になるだろうか。もちろん、それを含めたおふくとの交流というのなら、話は別だ。父親の遺体を乗せた大八車を引く文四郎を手伝って、大八車を懸命に押すおふくの姿なら、文四郎が忘れ果てることなどできないだろう。上記のセリフは藤沢周平の原作にはない。当たり前である。もし、このセリフに重みを持たせたいのなら、指を吸ったことによる2人の感情の高ぶりまで細かく描く必要があるだろう。残念ながら、映画にそれはない。むしろ、この場面で少年時代の文四郎を演じる石田卓也の棒読みのセリフにいきなりがっかりさせられた。これに続く、文四郎の親友2人のセリフ回しも同じ。あの程度でOKを出してはいけないだろう。
しかし、問題はそんな些末な部分にあるのではない。映画から時の流れがまったく欠落していることが問題なのだ。石田卓也から市川染五郎に役者が移る場面とクライマックスからエピローグに移る場面に時の流れが感じられない。前者はもう少し映画的な転換を使えば、なんとかなっただろうが、より深刻なのは後者だ。エピローグの場面ではクライマックスから20年が過ぎた設定である。市川染五郎と木村佳乃のメイクはとてもそう見えない。「文四郎さんのお子が私の子で、私の子どもが文四郎さんのお子であるような道はなかったのでしょうか」というおふくのセリフは文四郎への愛の告白であると同時に違う人生を歩みたかったという切実さが込められている。人生はままならない、ということを象徴した場面だ。なのに、この全然老けていない2人のメイクを見ると、セリフに重みがないのである。監督の黒土三男はこのエピローグを思い入れたっぷりに撮っているけれども、効果を上げていないのはそのためだ。
長編小説を2時間余りの映画にする場合、どこかを省略するのは仕方がない。この映画の脚本では反逆の汚名を着せられた父親の処分によって、一軒家から古ぼけた長屋に移らされた文四郎と母親(原田美枝子)の描写を簡単にすることで行っている。ここが簡単なので処分の期間が異様に短く感じてしまうのだけれども、それは仕方がないと思う。しかし、一方で全部を描けないのなら、原作を解体して監督独自の視点で組み立て直すことも必要だったのではないかと思う。少年時代を長い回想にしてしまう方法もあっただろう。回想なら細部が省略されていてもあまり気にならないかもしれない。ただし、原作の肝はこの苦闘の少年時代にある。数々の苦難を乗り越えて、人間的に成長していく姿こそが僕らを感動させるのだ。だから僕はこの原作を教養小説だと思った。
当然のように、文四郎が道場の師範から秘剣村雨を教わるシーンもない。そこもまた簡単にすまされている。文四郎は逆境にあったがために剣に打ち込むしかなかった。人々からの嘲りとひどい仕打ち、みじめな暮らしに耐えて剣に打ち込むことでそれを紛らしていた。序盤と終盤だけを取り上げ、文四郎とおふくの悲恋としてまとめてしまうと、物語はなんだか簡単なものになってしまう。いや、そうならないためにもう少し話に工夫をすべきだった。
黒土三男はこの映画化に15年をかけたという。映画化のあてもないのにロケハンし、脚本を書き、藤沢周平を根負けさせて映画化の許可をもらい、資金集めにアメリカまで行ったという。その間の苦闘は想像に余りある。評判になったNHKのドラマ版の脚本も書いたのに、それでも大好きな原作を自分の手で映画にしたいという思いを持ち続けた熱意には頭が下がる。この映画に黒土三男は満足しているだろうか。人生はままならないということをこの映画の出来こそが象徴しているように僕には思える。
2005年10月04日 [Tue]
■ 日本シリーズチケット
村上(ファンド)タイガースじゃない、阪神タイガースのファンに頼まれて、イープラスとサークルΚサンクスぴあにYahoo!ドームのチケットを予約申し込み。前回、開幕戦のチケットを頼まれたときには当たった。今回はどうだろう。ま、他人のために貴重な運は使いたくないですがね。
■ 「かざぐるま」
「蝉しぐれ」のイメージソング。一青窈は好きなので、昨日、映画を見る前にCDを買った。映画では流れないが、クレジットには出てくるし、パンフレットにも歌詞が掲載されている。流さなかったのは黒土三男が許さなかったためか? 悪くない歌だと思う。「ほちkiss」「空蝉」の計3曲収録されている。「空蝉」もいい歌だな。
2005年10月05日 [Wed]
■ 携帯の添付ファイル
携帯で撮った写真を送ってくれと言われる。念のために、相手の携帯のメーカーと機種を聞いたら、30キロバイトまでしか送れない機種だった。僕のは150キロバイトまで送れるが、画像ファイルそのものは500キロバイト近くある。いずれにしてもパソコンに取り込んで送るしかないのだが、30キロバイトとは…。相当小さくして送るしかないですね。
携帯のカメラの画素数が大きくなっても、送れるファイルに限界があるのではどうしようもありませぬ。ま、その前にレンズの解像度を何とかしてもらいたいものですがね。暗い所で撮った写真は使い物になりませんから。
2005年10月06日 [Thu]
■ 金は出すが口も出す
キネ旬10月下旬号の山根貞男「日本映画時評」でなみおか映画祭の終結を知った。経緯については中世の里 なみおか映画祭に詳しいが、要するに神代辰巳の特集(当然、にっかつロマンポルノも含む)を上映しようとしたら、合併したばかりの青森市教育委員会が文句を付けてきたという話である。「住民の理解が得られない」というのが公式の理由。つまり市が補助金を出し、会場を貸す映画祭にロマンポルノはふさわしくないという判断である。
「住民の理解が得られない」とは、住民からの「市の補助金でロマンポルノを上映するとは何事か」という批判が怖いにすぎないのだろう。よくよく目の(頭の)不自由な哀しい教育委員会なのだと思う。まあ、一部のバカな市民の批判が怖いのは理解できなくもないけれど、そうした姿勢で教育を担当しているようでは程度が知れる。
ただ、これに類した話は僕も個人的に10年ほど前に身近に聞いた。それは映画祭ではなかったけれど、「金は出すが口も出す」行政のわずらわしさは同じだった。とりあえず、大過なくすませることを第一義的に考える教育委員会が教育を担当しているのはおこがましいと思う。体面だけを気にした姿勢からどんな教育が生まれるというのか。真実が見えない、うわべだけを取り繕った人間を生むだけではないのか。
2005年10月07日 [Fri]
■ [MOVIE] 「シン・シティ」
フランク・ミラーのグラフィック・ノベルをロバート・ロドリゲスとミラー自身が監督、これにクエンティン・タランティーノが一部協力している(クレジットは特別ゲスト監督)。相当に過激なバイオレンスとスタイリッシュな映像で綴るハードボイルドな世界で、モノローグの多さがいかにもハードボイルドの一人称っぽい感じである。光るのはモノクロームにパートカラーを入れたビジュアル面のセンスの良さ。語られる3つの話自体に新しい部分はあまりないが、とにかくビジュアルが凄すぎる。劇画をそのまま映画にしたようなこの映像のオリジナリティは高く評価すべきだろう。とはいっても、個人的には首が飛んだり、手足を切断したりの容赦ない残虐描写は苦手。モノクロームである分、リアルさから少し逃れているのが救いなのだが、もう少し抑えても良かったのではないかと思う。スタイリッシュさはその方が際立つだろう。出てくるのはぶっとんだキャラクターばかりである。イライジャ・ウッド扮する人食いケヴィンのキャラクターは強烈で、「羊たちの沈黙」のレクター博士の異常さをはるかに超えた不気味さがある。悪役はすべて異常者という徹底ぶりに加えて男はすべて荒っぽく、女はすべて色っぽいという、もう単純すぎるぐらい単純な図式の中で、熱いハートを持ったタフな男たちのドラマが語られていく。ファミリー映画の監督になってしまったかと思わせたロドリゲスが本調子を取り戻した一作。というより、ロドリゲスのベストと思う。
映画は殺し屋のジョシュ・ハートネットが登場するプロローグで犯罪都市シン・シティの非情さをかいま見せた後、ブルース・ウィリス主演の「That Yellow Bastard」、ミッキー・ローク主演の「The Hard Goodbye」、クライブ・オーウェン主演の「The Big Fat Kill」と続いて、再びブルース・ウィリスの話に戻り、エピローグでハートネットが顔を出すという構成。同じシン・シティを舞台にしているだけで、3つの話それぞれに関連は薄いが、時系列を前後に動かす構成はもしかしてタランティーノのアイデアか。
3つのエピソードの中では「The Hard Goodbye」が好みである。傷だらけの顔で娼婦にも相手にされない仮出所中の大男マーヴは明らかにレイモンド・チャンドラー「さらば愛しき女よ」の大鹿(ムース)マロイを踏襲している。マーヴは一夜を共にした天使のような女ゴールディ(ジェイミー・キング)を殺され、犯人に仕立てられそうになる。復讐を誓ったマーヴはストリップ・バーのケイディで追っ手を迎え撃ち、事件の背後にある大物がいるのを知る。ゴールディを殺したのはシン・シティの外れにある農場に住む不気味なメガネ男ケヴィン(イライジャ・ウッド)だった。農場を襲撃したマーヴは逆にケヴィンに倒される。気がつくと、自分の保護監察官ルシール(カーラ・グギノ)も監禁されていた。部屋の中には女たちの生首が飾られている。ケヴィンは人肉を食う異常者で、ルシールの目の前で笑みを浮かべながらルシールの手を食べたという。部屋を逃げ出したマーヴは装備を調えて、反撃に向かう。
マーヴを演じるミッキー・ロークは凝ったメイクで別人のよう。車にはねられても銃で撃たれても死なないタフな男の悲しい行く末を哀感を込めて好演している。このエピソードだけでも十分満足なのだが、映画はさらに2つのエピソードを楽しめるのでお腹いっぱいという感じ。出てくる多くの女優の中では予告編で目立っていたジェシカ・アルバよりも、日本刀を振り回すデヴォン青木(なんとロッキー青木の娘という)と、とても「スパイキッズ」の母親とは思えないカーラ・グギノ、2役を演じるジェイミー・キング、女ボスのロザリオ・ドーソンの印象が強い。
日本映画だったら、こういう題材、アニメにしてしまうだろうが、これはやはり実写でやることに意味がある。ルトガー・ハウアー、ベニチオ・デル・トロ、マイケル・マドセン、マイケル・クラーク・ダンカンというくせ者ぞろいの役者たちがそれぞれに見せ場を作っていて楽しいのだ。アメリカでは大ヒットした上に評価も高く、早くも続編どころか3作目までの製作が決まっているという。
2005年10月08日 [Sat]
■ 2枚で2500円
TSUTAYAに行ったら、そういうセールをやっていた。ところが、買いたいDVDなかなかないんですよね。だいたい見ているものばかりだし。「スパイダーマン2」と「風と共に去りぬ」を買うと、別々に買うより1000円安くなるので、ええい買ってしまおうかと思ったが、別に今すぐ見たいわけでもないのでやめた。結局、今年見逃した映画3本のDVDを借りて帰る。
DVDと言えば、「スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐」は11月23日発売らしい。価格も実売で3000円前後なので、これは買うつもり。
2005年10月09日 [Sun]
■ 「蝉しぐれ」(NHKドラマ)
気になったのでDVDをamazonで買って見た。全7話、315分。いきなり中年の文四郎とおふくが再会するシーン(原作のエピローグに当たる部分)で始まり、25年前を回想し始める構成に驚く。僕が3日の日記に書いたようなことは黒土三男、ちゃんと考えていたのだ。ただ、毎回、回想の形で話が進むと、何だか鼻についてくる。はっきり言って4話目まで(「嵐」「蟻のごとく」「ふくと文四郎」「秘剣村雨」)は極めて平凡な出来で、「やっぱりテレビドラマはダメだよなあ」と悪口を山のように考えながら見ていた。父親の切腹前から大八車で遺体を運ぶシーンまでが描かれる第2話などは映画の方がよほどうまい描写をしている。というか、映画で良かったのはここだけだったので、監督にはテレビの不備を補いたい気持ちがあったのかもしれない。
里村家老の陰謀に絡む5話「罠」と6話「逆転」がいい出来。ここの面白さは主にチャンバラの面白さだ。ちゃんと秘剣村雨も登場する。ここがあまりにいいので、7話「歳月」は付け足しみたいに感じるが、原作には忠実である。おふくが「あの日も今日のように暑い日でした」と語りかけるのは大八車を一緒に引いた日のことであり、この方が蛇に指を噛まれた思い出よりはよほど説得力がある。映画ではなぜ、こういう形にしなかったのか、理解に苦しむ。
全体的な脚本の作りは映画とよく似ている。映画の脚本はここから登場人物やエピソードを削り、時間の制約で語れなかった部分のエピソードを変えただけのように思う。NHKの〜金曜時代劇・ご感想掲示板〜には映画よりテレビの方が良かったという声ばかりが並んでいる。確かにまとまりでは十分な時間のあるテレビの方が上なのだが、特に前半の描写の深みは映画の方が勝っている。
テレビドラマは基本的に筋しか語れない。見ていて面白い映像というのはあまりなく、映像で語るという方法もこのドラマに限って言えば、希薄だった。そう感じるのはナレーションが多いからかもしれない。もっとも、映画に比べると驚くほど描写がない、というのはどのテレビドラマを見ても感じることではある。
■ ハリガネムシ
家族が外でワイワイ騒いでいるので何かと思ったら、ハリガネムシだった。犬がカマキリを食べたら、カマキリの体内からこの虫が出てきたのだという。当たり前だ。僕らは小さいころ、これをカマキリの本体と呼んでいた。カマキリが死ぬと必ずお尻の方から出てくるのだ。
ハリガネムシは水の中で生まれ、それを食べた水生昆虫をカマキリが食べることでカマキリに寄生する。体長は15センチほど。出てくるのはカマキリが死んだときだけでなく、水に近づくと、カマキリの腹を突き破って出てくるのだそうだ。カマキリから脱出するハリガネムシにはその様子を撮影した動画がある。腹を突き破って出てくるとはまるでエイリアンみたいなやつだな。
■ シグマ11.1倍高倍率ズームレンズ 18-200mm F3.5-6.3 DC
シグマのデジタルカメラ専用ズームレンズ。楽天(カメラのミツバ)に注文したのが届いた。昨日の午前10時過ぎに注文して午後7時過ぎに注文確認書がメールで届き、きょうの午後1時過ぎには現物が届いてしまった。届くのは来週後半かと思っていたのに、メチャクチャ速い。在庫があったにしても速い処理だと思う。こんなに速いと、逆に注文があまりない店なのではないかと思ってしまいますね。それでも楽天のショップでは価格が一番安かったのでいいのですがね。
普段はNikon D70レンズキットに付いてきた18−70ミリを使っている。ちょっと遠くのものを撮影する時にはこれだと不便。70−300ミリも持っているのだが、大きいので望遠専用の用途に使う時以外は持って行くのが面倒だ。18−200ミリなら、たいていの用途はこれ1本でまかなえる。
シグマのズームのリングは回転方向がNikonと逆。ま、慣れれば、これでも問題ない。AFの反応はスムーズ。テレ端の撮影倍率がタムロンより小さいとかの弱点はあるそうだ(【伊達淳一のレンズが欲しいッ!】タムロンvsシグマ 高倍率ズーム対決【続報】)が、細かな部分にこだわる方ではないので、値段相応のこれで十分な感じ。
■ 「セルラー」(DVD)
携帯電話を軸にしたサスペンス・アクション。わけの分からないまま5人の男たちに自宅から誘拐された女(キム・ベイシンガー)が壊れた電話の線を必死につないで、かけた電話がある男(クリス・エバンス)の携帯にかかる。監禁されている場所も分からないので電話が切れたら命がないというシチュエーションの中、アイデアを詰め込んだ脚本がよい出来だ。B級だが、予想より面白かった。なぜ警察に事件を届けられないのかという部分をちゃんと押さえており、あとはジェットコースター的展開で見せる。悪役側にジェイソン・ステイサム、定年を迎えた刑事にウィリアム・H・メイシー。ベイシンガーが老けたのには少しがっかり。
監督は「デッド・コースター ファイナル・デスティネーション2」のデヴィッド・R・エリス。原案は「フォーン・ブース」のラリー・コーエン。脚本はクリス・モーガンだが、製作初期に「バタフライ・エフェクト」のJ・マッキー・グラバーが関わっていたとのこと。クレジットはされていない。
2005年10月10日 [Mon]
■ 「ナショナル・トレジャー」(DVD)
伝説の財宝をめぐる冒険アクション。別につまらなくはないのだが、オリジナリティはあまりない。アメリカ独立宣言書に財宝のありかが隠されているのが分かり、前半は国立公文書館からそれを盗む作戦がメイン。後半はお宝を狙う一団(ボスはショーン・ビーン)と主人公(ニコラス・ケイジ)の争奪戦となる。ジェリー・ブラッカイマー製作、ジョン・タートルトーブ監督。
DVDには特典として最初に予定されていたエンディングを収録。いかにも続編を臭わせることから変更されたらしいが、実際に続編が計画されている。こういう冒険もの、ニコラス・ケイジでは少し弱いような気がする。
2005年10月11日 [Tue]
■ 松下、「一太郎/花子訴訟」の上告を断念
最高裁でも勝てないと判断したのか。2月の東京地裁の判決はいったいなんだったんだろうと思ってしまう。裁判官が単にパソコンに詳しくなかっただけじゃないのか。
■ 健診結果
通知があった。ほとんど異常なし。血液一般でヘマトクリットの数値が若干高かった。総合所見は「血液一般検査はわずかに基準範囲をはずれていますが、日常生活に問題ありません」。
ヘマトクリットってなんだと思って調べたら、こういうことらしい。健診の数日前に風邪を引いて白血球数が異常に増加した後だったので、血液検査で問題が出てくるのは予想していた。あとは血圧、脂質(コレステロール)、肝機能、代謝系(血糖、尿酸値)、検尿・腎機能、検便、心電図、胸部レントゲン、胃部レントゲンなどすべて正常値。ひとまず安心。
■ UNIXに勝ったWindowsがLinuxには勝てない理由
ちょっと古い記事だが、最後のフレーズが気に入ったのでリンク。「掛かってこい、Microsoft。Linuxは準備万端だ」。タイトルとは裏腹にLinuxはまだWindowsに勝っていない。その理由の一つにMS Officeがあるという指摘は多い。企業がMS Officeでの文書作成をやめれば、あとはほとんど障害がないと思う。ほとんどのPCユーザーの主な用途はインターネットとメールぐらいなので、置き換えはそんなに難しくないだろう。シェルが難しい? 大丈夫、ネットとメールしかしないユーザーはコマンドプロンプトも使っていない。そういうユーザーにはシェルも不要だ。
企業がMS Officeに見切りを付けるには公的機関がOpen Office.org(OOo)へ移行するのが一番の早道。公的機関との文書のやりとりがOOoになれば、企業も右へならえするに違いない。どの企業もMS Officeに高い金を支払いたくはないのが本音だろう。もっともアメリカのご機嫌うかがいに熱心な今の政府がやるわけがない。ドイツとかフランスとかイギリスとか、気骨のある国が率先してやってほしいものだ。アメリカの一企業にパソコンの心臓部を握られていて面白いわけがない。
■ QTConverter
窓の杜で紹介されていた。携帯電話の動画を相互に変換するソフト。お、これは便利だと一瞬思ったが、Quicktime Proがあれば、できるのだった。MPEG2をQT形式にできるソフトがあるとうれしいんですけどね。
2005年10月12日 [Wed]
■ なでしこ1.397
出ていたのでインストール。更新履歴に「メール送信時に作るヘッダを改良」とあった。以前のバージョンでメールを送ると、SpamAssassinがスパムに分類していたのだ。@niftyからさくらにテストメールをなでしこで送ってみたら、スパムにはならなかった。Message-Idなどを改良したらしい。
■ Macromedia - Studio 8
FlashもFreehandもいらない(使わない)ので、DreamweaverとFireworksだけ欲しいんだが、この2つでアップグレード価格44,100円。Studio8にアップグレードすると、50,400円。6,300円しか違わない。これまでマクロメディアのアップグレードポリシーは2世代前までのバージョンがアップグレードできるということだったが、今回は旧バージョンすべてでOK。なんなんだこれは、と思ってしまう。Adobeに合併されたマクロメディアだから、もしかすると、今回が最後のStudioになるのかもしれない。
まず、Freehandは今後、消えるだろうなあ。Dreamweaverも危ないかもしれない。はっきり言って、Dreamweaverは最近、起動さえしていない。個人的にホントに必要なのはFireworksだけ。これだけなら、18,900円。迷うなあ。Studio買ったつもりで、Photoshop買おうか。
ちょっと訂正。Freehandは含まれていなかった。含まれるのはDreamweaver、Flash Professional、Fireworks、contribute、FlashPaperとのこと。Dreamweaverとcontributeなんて、1台のパソコンに両方入れる必要はまずないですね。業務で使っている人にはこのパッケージの方がいいのでしょうが。
■ Sleipnir 2.0のFavicon
Sleipnir 2.0がFaviconに対応したそうだ。ただし、この対応の仕方、Firefoxとは異なる。自分が置いたFaviconが表示されなかったので書き方が悪いのかと思い、あれやこれやと悩んだ。違った。Sleipnir2.0はサーバーのルートディレクトリにあるFavicon.icoというファイルを読んで表示するのだった。だから、Firefoxなら
<link rel="shortcut icon" href="favicon.ico">
と、書けば、好きなFaviconを(favicon.icoという名前でなくても)表示できるが、Sleipnir2.0は書いても書かなくてもルートディレクトリのFavicon.icoというアイコンを表示する。便利な半面、ルートディレクトリにFaviconを置けないサーバー(プロバイダのwebスペースとか)の場合はどう書いても無駄なのだ。だからローカルのファイルの場合でもFaviconの表示ができない。これは変えて欲しい仕様だな。
2005年10月13日 [Thu]
■ 最悪のスパム発信国は米国、韓国と中国も台頭
海外からのメールは一部の例外を除いてほとんど破棄しているので、米中韓のメールもまず届かない。必要ないものなあ。だから、Spam Mail Killerが今月削除したメール(わずか15通に減った)もすべて日本のもの。日本のスパムをどう根絶するかが目下の関心事。
■ RoboForm
Sleipnir 2.0に付いてきたので久しぶりに使っている。これ、個人のパソコンでなければ、情報漏洩の原因になるソフトと思う。あればあったで便利で、覚えていないパスワードなどを記録しておくと手間は省ける。フリー版はIDとパスワードを10個まで記録できる。製品版の価格が3,500円というのはちょっと高い。980円ぐらいなら購入を検討してもいい。
2005年10月14日 [Fri]
■ フェニックス・リーグ スペシャルナイター
宮崎サンマリンスタジアムで茨城ゴールデンゴールズ対12球団ファーム選抜の試合。のはずだったが、雨のため中止。宮崎市内は小雨だったが、球場に近づくにつれて雨脚が強くなった。球場はどしゃぶり状態だったので、中止も仕方ない。
欽ちゃんはサービス精神旺盛で、試合中止のアナウンスがあるまで雨の中で観客の笑いをとっていた。中止が決まると、選手たちが出口に並んで観客に握手のサービスをしていた。うちの子どもたちもファームの選手たちと握手。
雨だったのでコンパクトデジカメを持って行こうとしたら、電池切れ。一眼レフデジカメを持って行ったが、三脚は持って行かなかった。というか、デジカメ用の三脚は持っていない。きょう買うつもりだったが、どうせ中止だろうと思って買わなかった。ところが、3時45分の段階では試合を行うという発表があったのだった。で、5、6枚撮った写真はすべて出来が良くない。
左の写真はF5.6、60分の1秒、300ミリ(APO MACRO SUPERII 70-300mm F4-5.6。今はAPO 70-300mm F4-5.6 DG MACROという名前に変わっている)、ISO400、マニュアル撮影(トリミングしてある。元の構図はこれ)。座席がネット裏の2階席だったので、AFではピントが合わないだろうと思ってマニュアルにしたが、やはりピンぼけ気味。最初はISO1600で撮ったが、シャッタースピードが1/60程度では露出が大きくなりすぎる。1/250なら良いのかな。
ま、視力が悪いこともあるが、ナイター撮影は初めてだったので、感覚がつかめなかった。ということにしておこう。デジカメの場合、露出をすぐに確認できるのはメリットだな。液晶が小さいと、ピントまでははっきり分かりませんけどね。
右の写真は携帯で撮影したもの(これもトリミング済み)。暗かったので動く人は流れて写る。データを見ると、シャッター速度は1/8。これでは流れても仕方がない。携帯にもストロボが欲しくなってくる。いや、簡単な補助光は付いているのだが、ほとんど使えないシロモノなのだ。
2005年10月15日 [Sat]
■ [MOVIE] 「この胸いっぱいの愛を」
梶尾真治原作の「クロノス・ジョウンターの伝説」を元にして、「黄泉がえり」の塩田明彦が監督したファンタジー(梶尾真治は映画をノベライズした「この胸いっぱいの愛を」も書いている)。クロノス・ジョウンターとは不完全なタイムマシンの名前とのことだが、映画にタイムマシンは登場しない。飛行機からなぜか20年前にタイムスリップした主人公の鈴谷比呂志(伊藤英明)が少年時代に好きだった年上の女性和美(ミムラ)を救おうと奔走する。和美は難病にかかっており、手術をすれば助かったのに、それを拒否して死んでしまったのだ。これに同じ飛行機に乗っていた3人の男女(勝地涼、倍賞千恵子、宮藤官九郎)のエピソードが並行して描かれる。
物語の視点は逆だが、構成としては「黄泉がえり」と同じで、あの映画が脇筋のエピソードでも泣かせたようにこの映画でも泣かせる話になっている。特に宮藤官九郎のエピソードなどは一場面だけなのに情感豊かに描いてうまいと思う(これは中村勘三郎のうまさのためもある)。僕は本筋の方も面白く見たけれど、難病をポイントにしてしまうのには少し抵抗を感じた。どう生きる意志を持たせるか、和美がどのようにして生きようと決意したかをもっと詳細に描くと、良かったかもしれない。和美が手術を受けようと考えを変えたら、主人公は過去から消えてしまう。愛する人のために願いがかなった時、自分は消えるという切なさをもっと前面に出してくれると、好みの映画になったと思う。主人公に「黄泉がえり」の草なぎ剛ほどの共感を持てないのは伊藤英明の演技のためか、脚本の描き方が不十分なためか。恐らく両方が原因なのだろう。
舞台は北九州市門司。東京から仕事で北九州へ向かった主人公がふと気がつくと、かつての自宅のそばにいて、20年前の自分(富岡涼)に出会い、タイムスリップしたことに気づくという冒頭が好調である。比呂志は少年時代、離婚した母から祖母(吉行和子)に預けられてここで過ごした。慣れない学校と自宅で寂しさを紛らわせてくれたのが、近くに住む大学を卒業したばかりの和美だった。将棋の相手になり、バイオリンも教えてくれた和美を比呂志は好きだったが、和美はある日、入院してそのまま帰らぬ人となった。その間の事情をタイムスリップした比呂志は知り、和美に手術を受けさせようと、奔走することになる。同じ飛行機に乗っていた布川輝良(勝地涼)もタイムスリップしていた。布川はヤクザで殺しに失敗して、北九州でしばらく身を潜めるよう言われたが、たぶん自分は殺されると覚悟している。布川の母親は自分を生んだ時に死んでおり、母親に会えなかったことが布川の心残りとなっている。布川は母親が勤めていた保育園の園長(古手川祐子)から、母がレイプされ、自分がその結果の子だったことを知る。これもいい話なのだが、母親が生むことを決意した理由に今ひとつ説得力がない。
SF的に考えれば、同じ飛行機には多数の乗客がいたのに、なぜ4人だけがタイムスリップしたのか、なぜ20年前なのかという点があいまいである。映画のテーマである「人生で一つだけやりなおすことができたら」という思いは他の乗客にもあるはずだろう。原作の場合はタイムマシンによって自分の意志で過去へ行くわけだから、かまわないのだが、映画の場合は4人の特殊性を何か設定しておいた方が良かったと思う。タイムスリップはあくまで物語を語るための手段というのは分かるのだが、そういう細部が重要なのである。いい話なのに本筋が「黄泉がえり」に劣った印象なのは細部の甘さがあるからだろう。
■ 「Be My Last」
宇多田ヒカルの新曲で映画「春の雪」の主題歌。TSUTAYAで中古CDを買う。525円。1200円ぐらいのCDがこの価格ならいいかと思ったが、元々このCD、定価660円なのだった。入っているのは1曲のみ。これならば、ネットのショップからダウンロードしても良かったか。それなら200円ぐらいですからね。
ただ、ダウンロード曲は圧縮してあるので、車で聴けないのが難。パソコンに取り込んで、好きな曲だけ集めてCDに焼くのが普通なので、WAV以外のファイルだとまずいのだ。MP3やWMVなどに対応しているのなら良いが、僕の車のCDプレイヤーは対応していない。
それにしても1曲だけでCD発売というのも珍しい。インストゥルメンタルさえないというのが潔いというか何というか。
2005年10月16日 [Sun]
■ Bonanza
5月に公開された将棋ソフト。スラッシュドットで知った。さっそくダウンロードして対局してみたら、強い強い。全然勝てませんね。なんでも東大将棋並みに強いらしい。これでフリーソフトなのだから恐ろしい。東大将棋と対戦させてみたら、面白いかもしれない。
で、対戦させてみる。先手はBonanza。東大将棋6級には難なく勝つ。次に東大将棋4段と対戦。これはいい勝負だったが、途中で僕が指し手を間違えて指し直し。Bonanza、指し手の訂正ができないのがつらい。待ったもできないけど(できるそうだ)。もう一度、4段で対戦したら、今度は東大将棋が109手で簡単に勝った。途中に悪手があったのが、僕にでも分かった。ただし、Bonanzaは設定で5秒差しになっていたし、メモリーの割り当ても少なかったようだ。道理で東大将棋は長考するのに、Bonanzaはささっと指していたわけだ。
感心するのは2局目と3局目で指し手を変えてきたところ。なかなかのソフトだと思う。
2005年10月17日 [Mon]
■ CSA Shogi / Bonanza Unofficial File Uploader
ここのGUI For Bonanza based on CSA SHOGI Ver 0.02.1と駒音ファイル詰め合わせをBonanzaに入れたら、GUIが本格的になった。待ったや中断はもちろん、ヒントも教えてくれる。2ちゃんねるの有志が作っているそうだ。Bonanzaの作者はアマ10級ぐらいのレベルという。たぶん、自分が作ったソフトには勝ったことがないのでしょうね。
公開の場でコンピューターとの対戦を禁じた米長邦雄の発言で、逆に将棋ソフトがプロに勝つ日は近いというのが当たり前の認識になっている。というか、既に勝っているようで、問題はトッププロにソフトが勝つ日。Bonanzaみたいなソフトが出てくると、その日も遠くないと思える。ただ、僕も含めたヘボ将棋愛好者は将棋ソフトには単に強いだけでなく、ソフトを使ってユーザーの棋力がアップする仕組みを充実させてほしいと思う。市販のソフトに求められるのはそういう部分が大きいのではないか。
■ ロッテ3−2ソフトバンク
ソフトバンク、またも残念。序盤は2連勝の勢いで勝てるかと思ったのだが、8回に逆転されるとは。やはり城島を欠いたのが痛かった。来年こそは頑張ってくれ。
■ きょうの対局
東大将棋4段10秒指し対Bonanza5秒指し。181手で東大将棋の勝ち。Bonanzaも10秒にすべきだった。それにCPU使用率は98%の設定だったが、メモリー18MBの設定では不利だったか。それにしても大した熱戦。東大将棋の感想によれば、Bonanza、途中で3手の悪手があったとのこと。やはり公平な条件で戦わせるべきだな。
2005年10月18日 [Tue]
■ 「胴上げを見ておけよ。来年もあるんだから」
昨日のプレーオフ最終戦で松葉杖にユニホーム姿の城島が泣いている的場に何か言っていた。たぶん、自分の代わりによく頑張ったとでも慰めているのだろうと思ったが、こう言っていたのだそうだ。今朝の各紙が伝えていた。さすが、城島という感じがする。
城島は来季、大リーグかもしれない。だから、この言葉には微妙な意味がある。2年連続の悔しさを忘れずにまた来季ホークスに残留して頑張ろうという決意なのか、来年自分はいないから的場に頑張れと言っているのか。いずれにしても、城島は男だなあ。
■ 「この胸いっぱいの愛を」(小説)
普通だったら、映画のノベライズは読まない。映画と関係ない作家(たいていは2流)が書いた小説が映画を超える作品になるはずはないからである。この小説は梶尾真治自身がノベライズしているから読む気になった。正解だった。これは映画よりも素晴らしい。その素晴らしさの要因の一つはラストを変えたことによる。このラストの改変によって、小説は多元宇宙の概念を取り入れた時間テーマSFの佳作になった。とても素敵で幸福なラストであり、映画とは決定的に異なる。
小説にはタイムマシンのクロノス・ジョウンターが登場する。そして映画を見た時に感じた2つの疑問がちゃんと説明されている。飛行機には多数の乗客がいたのになぜ4人だけがタイムスリップしたのか。タイムスリップした時代が20年前だったのはなぜか。この2つの疑問は密接にかかわっており、それを説明するにはやはりタイムマシンが必要なのである。
物語は映画と同じように進んでいく。ただ一つ、子どもを交通事故で亡くした夫婦が登場するところが違う。つまり1986年にタイムスリップしたのは6人になっているのである。この夫婦の20年前の行いはラスト近くにその結果が描かれる。これを見ても分かるように小説は「過去を変えることで未来は変えられる」という考え方に基づいている。登場人物たち、少なくともこの夫婦と主人公の比呂志は不幸な未来を変えるために20年前の時代で奔走するのである。
元々、完成した小説(「クロノス・ジョウンターの伝説」)があり、それを映画化したものを元の原作者がノベライズするというのは非常に珍しい。映画のパンフレットで梶尾真治は「2001年宇宙の旅」を例に挙げているが、あれは映画用のプロットをクラークが書き、それを元にキューブリックは映画を作り、クラークは小説化したという経緯がある。だから「2001年…」の小説版は映画のノベライズではない。
もちろん、この小説はノベライズだから映画のストーリーに引っ張られた部分が当然のことながらある。ノベライズという枠がなければ、もっと面白くできただろう。それにしても映画はこういうラストにすべきだったとつくづく思う。梶尾真治は「シン・シティ」のフランク・ミラーのように映画にかかわるべきだったのではないか。少なくとも脚本には協力した方が良かった。出来上がった脚本に手を入れて、この小説のような形にしていたら、映画はもっと評価が高かったと思う。だからSFの分かる脚本家でないとダメなのだ。
映画が小説より優れていると感じたのはただ一場面だけ。例の中村勘三郎の登場シーンである。ここは小説にはより詳しく心理描写があるのだけれど、中村勘三郎の演技の説得力が勝っている。役者のレベルの高い演技はしばしばそういうことを生むのだろう。
2005年10月19日 [Wed]
■ RSSの根底に流れるマーケティングのこころ
別にこの記事に興味があったわけではない。Sleipnir 2.0にRSSリーダー機能が組み込まれてRSSの便利さを改めて感じているのだ。スラッシュドットなんて、たまにしか行っていなかったのだが、RSSで更新されているのが簡単に分かると、よく行くようになる。RSSリーダーというのはやはりブラウザに組み込むのが正解なのだと思う。もちろん、Firefoxには以前からあったが、普段使っているのはSleipnirなので。
ただ、Sleipnirの機能はRSSの登録が若干面倒。ブックマークフォルダには登録できるが、登録先をRSSプラグインのフォルダにしようとすると、RSSのアイコンやリンクがあるページはドラッグ&ドロップでできるからいいとしても、そうでないサイトの場合はRSSフィードのURLをいれなくてはいけない。これは改善してほしいところ。
■ Bonanza勝利
東大将棋とお互い10秒ルールで対戦させたら、2度目に120手で勝ち。いや、大したものです。感心します。
■ アップデートできず
14日に出たAcrobat7.05のアップデートプログラムが途中で止まる。再起動してやり直してもダメ。ファイルをダウンロードしてやってみてもダメ。「アップグレードするプログラムが正しいかどうか確認してください」とダイアログ。正しいに決まってるだろ。うーん、なぜだ。
2005年10月20日 [Thu]
■ 「ダーウィンの悪夢」予告編
映画評論家緊張日記2005/10でこの映画のことを知り、予告編を探してみた。IMDB経由ではLe Cauchemar de Darwin - Les bandes-annonces du film sur CineMoviesがあるが、画質が良くない。映画のホームページにあるDarwin's Nightmare Trailerの方がいいし、内容の一端は分かる(これホームページ上からはリンクを探せず、Googleで探した)。
アフリカのビクトリア湖はかつて「ダーウィンの箱庭」と言われるほど様々な魚が住んでいたが、1950年代に放流されたナイルパーチという巨大な肉食魚(大きいものは体長2メートルになるという)が湖の魚を食い荒らしてその多くを絶滅させた。湖の魚で細々と暮らしていたタンザニアの人々は生活の糧がなくなり、ナイルパーチの加工工場で働くか、売春するかしかなくなった。ストリートチルドレンたちは魚を運ぶ発泡スチロールの箱を焼き、それを麻薬代わりに吸っている。そうしないと、生きていくのに耐えられないから。生態系の破壊は地域社会まで破壊した。その経緯はビクトリア湖の悲劇、ナイルパーチやアフリカ情報通信(PDFファイル)などに詳しい。
ナイルパーチは日本にも輸出され、ファミリーレストランやスーパーで売られているそうだ。僕も知らずに食べているだろう。やりきれなくなるような話である。監督はフーバート・ザウパー。先日開かれた山形国際ドキュメンタリー映画祭では審査員特別賞受賞。
■ [MOVIE] 「ヒトラー 最期の12日間」
タイトルの意味よりもベルリン陥落か第三帝国の崩壊という感じの内容だなと思ったら、原題はDer Untergang(没落、破滅という意味とのこと)。その通りで特にヒトラーに焦点を絞った映画ではない。だからパンフレットにある「戦後初めてヒトラーを注視した映画」というニューヨークタイムズの批評には疑問を感じる。これまでの映画の中で描かれた悪の象徴としてのヒトラーよりは人間性が描かれているのだろうが、映画の中のヒトラーはベルリン陥落を前に錯乱した人物としか思えないぐらいの描き方である。ヒトラーは戦争を無用に長引かせることによるベルリン市民の犠牲など何とも思っていず、人間性を肯定的に描いた映画では全然ない。第一、ヒトラーがエヴァ・ブラウンとともに自殺した後も映画は延々と続くのだ。とはいっても、日本では昭和天皇をこのヒトラーのように描いた映画などこれまでまったくないことを考えれば、まだまだドイツはえらいと言うべきか。
映画はヒトラーの秘書となり、その最期まで身近にいたトラウドゥル・ユンゲ(アレクサンドラ・マリア・ララ)の視点が中心になっている。実は映画で最も心を揺さぶられたのは物語が終わった後に実在の年老いたユンゲが登場するラストである。ここでユンゲはニュールンベルク裁判までユダヤ人が600万人も虐殺されたことを知らなかった、と話す。しかし、自分がヒトラーの秘書になったのと同じ年で虐殺されたユダヤ人女性のことを知り、後悔の念を語るのだ。「もし、私が目を見開いていれば、気づけたはずです」。それはユンゲだけではない。ドイツ国民の多くは目を見開いていなかった。いや、見開いているのに自分が見たものの意味が分からなかった。分かったのにそれを自分に隠していた。隠さずに間違いを主張すれば、殺されるのだから仕方がないとも言えるのだが、映画で描かれたことは60年前に終わったことではないという思いを強くする。そういう状況はいつの時代でもあり得ることだろう。ユンゲの言葉はだからこそ重い。
映画を見て強く印象に残るのはバカな独裁者の妄想を信じた人々とそれに疑問を呈する人々が同じように戦争の犠牲になっていく姿である。砲撃で犠牲になる市民、ヒトラーの自殺の後を追うように自殺する側近たち、裏切り者として親衛隊から殺される男たち、軍を盲目的に信じてソ連兵に銃を向ける少年たち、寝ている間に母親から毒殺されるゲッベルスの子どもたち。この映画、反戦のスタンスを少しも崩していない。同時にドイツも戦争末期は日本と同じような状況だったのだなと思わされる。どこの国も崩壊する時の状況は同じようなことになるのだ。
監督は「es[エス]」のオリバー・ヒルシュビーゲル。刑務所内で役割を固定されたことによる人間性の崩壊を描いた「es」はこの映画に通じるものがあると思う。ヒトラーを演じるのは「ベルリン 天使の詩」のブルーノ・ガンツ。
■ ウィルスバスター2006
メールで案内があったのでインストール。タスクトレイのアイコンが変更になったほか、フィッシング詐欺対策が新たに機能追加されている。ほかは目立って新しい部分はないようだ。
2005年10月21日 [Fri]
■ Opera 9.0のプレビュー版が公開 - Opera Miniの無料ベータも一部で提供中
「Opera Miniは、Webページ処理を携帯電話本体ではなくリモートサーバで実行するため、これまではフルブラウザの利用が困難だった、WAP対応のローエンドモデル携帯電話などでも、快適にインターネットが楽しめる」。ということはPCサイト閲覧Proxyみたいな利用法になるのか。携帯のフルブラウザの場合、ネットを見ていると、すぐに電池が消耗するので、これは現実的な方法だと思う。もっとも、処理能力の向上と長持ちする電池が出るまでのつなぎみたいなものとは思う。
2005年10月22日 [Sat]
■ ジュニア用インラインスケート
次女が欲しいというので楽天で探してみる。5,000円足らずで売っているので、これならいいかと思ったが、ジュニアのインラインスケートについてを読むと、安い製品は良くないと書いてある。当たり前といえば当たり前なのだが、あまり滑らなかったり、横滑りしたりするらしい。なるほど。ローラーブレードやK2あたりのメーカー製品は2万円近くするけれど、プロテクターと一緒にそういう製品を買った方が結局は子供のためにはいいようだ。
ちなみに長女にはローラーシューズを2年ほど前に買った。サイズが少し小さかったこともあって、ほとんど使っていない。それにローラーシューズはインラインスケートより難しいみたいですね。
■ 20秒間500円
9月に開局した大分県のコミュニティFM局「FMなかつ」の広告料。破格といって良い価格だと思う。これなら街の八百屋さんや魚屋さんも広告を出せるのでしょう(広告制作費は5000円から1万5000円程度という)。1日の放送時間は15時間ですべて生放送。午後7時から9時までアダルト番組があり、その聴取率がいいそうだ(これは聞いてみたい)。放送時間が午後10時までなのでこういう編成になるのだろうが、いくらなんでも午後7時からのアダルトは早い。いっそのこと、昼間の放送はやめて夕方から深夜に放送すればいいのではないかと思う。
2005年10月23日 [Sun]
■ プレス9九州沖縄音楽祭宮崎大会
最優秀賞(プレス9賞)のMUTSUMIは順当。リハーサルを聴いた時からうまいと思った。声がよく通っていた。まだ15歳だそうである。ギターの演奏が多い中でただ一人キーボードだったのも目立って有利だった。優秀賞(JAMN賞)のAYASU(17歳と18歳)は若さが幸いしたか。逆に敢闘賞の二足の笑爺(にそくのわらじ)は歌も確かにうまかったが、それよりも年齢(48歳と49歳)のお陰もあると思う。10代、20代の参加者が多い大会に出場してよく健闘し、ベテランの味を見せた。
2005年10月24日 [Mon]
■ バージョン2.0日本語版の正式リリースについて
サーバーが混雑するということはそれほど期待している人が多い証拠。MS Officeのマクロをばんばん書いて仕事に使っているという人を除けば、OOoでも何ら問題ないはず。もうすぐ日本語版は出るのでしょうが、混雑が解消するまで待ち。と言いつつ、普段、僕が使っているのは一太郎なんですけどね。
OpenOffice.org 独自ビルドプロジェクトというのもあるんだな。まず、これをインストールしてみた。簡単なWordファイルを開いてみると、ほぼ元の文書通りの表示。罫線が入っていない文書なら問題ない。PDFでエクスポートしてみる。PDFのバージョンは1.4でAcrobat5互換の形式。これなら問題なく開けるでしょう。
■ Sleepless in Portland
アメリカ・ノースウェスト発最新洋画の雑文サイト。映画瓦版MLでの的確な投稿を観賞の参考にさせてもらっているHisamitsu Kozonoさんがブログを始めていたのだった。今年5月から。映画瓦版のMLにはもう何年も入っているが、映画瓦版のホームページは見ないので、知らなかった。確かにブログの方が写真は付けられるし、リンクも張れる(IMDBへのリンクが多い)ので、MLよりも良いですね。
2005年10月25日 [Tue]
■ ロッテ3連勝
試合後のインタビューでロッテ先発の小林が「阪神はロッテより弱い」(コピーライトは元近鉄の加藤哲郎投手。ちょっと違うが)と言ったら、阪神が奮起して4戦目から4連勝なんてこともあったかもしれないが、小林は極めて控えめな受け答えだった。それに阪神がロッテより弱いのは単なる事実だし、誰の目から見てもそうなので、奮起しようがないだろうな。3試合で30−2という得点差が何よりの証拠。
きょうの試合は7回がすべてだった。長い攻撃だったなあ。福浦の満塁ホームランは気持ちよかった。って、僕は別にロッテファンじゃないんだが。
バレンタイン監督は「まだ先は長いと思っている。明日は全力を尽くすだけ」と言った。全力を尽くしたら、阪神はいいところなく負けてしまうだろう。ロッテはプレーオフで全力を尽くして西武とソフトバンクを倒してきた。ムードもコンディションも阪神とは違いすぎる。ロッテの選手はもうどこにも負ける気がしないのではないか。
2005年10月26日 [Wed]
■ [MOVIE] 「ドミノ」
実在した女賞金稼ぎドミノ・ハーヴェイを描くアクション映画。というよりはアクション映画のストーリーに実在の賞金稼ぎをはめ込んだと言うべきだろう。中心となる事件がうまくできすぎていて、いかにもフィクションという感じがある。マフィアと現金輸送車強奪グループと賞金稼ぎの三つどもえの争いとなるこの事件自体は、誤解と陰謀が絡み合って面白い。監督のトニー・スコットはミュージック・ビデオのような映像で物語を綴っていく。短いカット割りとフラッシュバック、ざらついた映像の連続は、しかし、効果を上げているとは言えない。スタイリッシュを目指したと思えるのにそうなっていず、感情移入を拒否して見にくいだけなのである。同じく凝った映像で楽しませた「シン・シティ」と比べれば、両者の優劣は歴然とするだろう。それ以上に問題なのは端的に「ドミノ」にはハートがないこと。ドミノのキャラクターや仲間との関係が極めて表層的なものに終わっており、エモーションが高まっていかない。主演のキーラ・ナイトレイは悪くないだけに残念だ。
映画は警察の取調室でFBI捜査官(ルーシー・リュー)の聴取に答えて、ドミノが事件を回想する形式。ドミノは俳優ローレンス・ハーヴェイとモデルの母親(ジャクリーン・ビセット)の間に生まれた。高校時代からスーパーモデルとして活躍したが、セレブな生活に嫌気が差して、新聞広告で募集記事を見つけた賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)となる。映画の前半は実際のドミノの奔放な人生を描いていく。メインの事件が始まってからはほとんどフィクション(映画の冒頭にはBased on a True Storyと出た後にSort of ...とただし書きがつく)。賞金稼ぎのボスはエド(ミッキー・ローク)、仲間はチョコ(エドガー・ラミレス)とアフガニスタン人の運転手アルフ(リズワン・アビシ)。これに保釈金保証人クレアモント(デルロイ・リンドー)、ドミノを取材するテレビ局スタッフ(クリストファー・ウォーケンが変人プロデューサー、「アメリカン・ビューティー」のミーナ・スヴァリが美人スタッフを演じる)、マフィア、カジノのオーナー、現金輸送車強奪グループが絡まり合ってストーリーが進む。
脚本は「ドニー・ダーコ」のリチャード・ケリー。メインの事件の描き方は、映画の最初の方から事件の断片を入れていくところなどガイ・リッチー「スナッチ」を思わせる。これは人命がかかった事件なので、もっとエモーショナルなものになっていくはずなのだが、この映画の描き方ではそれが希薄になってしまう。希薄なのはドミノとチョコの関係にも言え、クライマックス前のラブシーンが盛り上がらないのはそれまでの2人の関係の描き方が不十分だからだろう。凝った映像だけがあって、中身がない映画になってしまっている。描写を積み重ねて登場人物の内面まで描き出していくような演出に欠けているのである。MTV出身の監督にはこういうケースがよくあるが、ベテランと言えるトニー・スコットがこういう映画を撮っているようでは困る。
映画の最後に登場する実際のドミノ・ハーヴェイはフランセス・マクドーマンドのような容貌だった。ドミノは今年6月27日、自宅の浴槽で死んだ。35歳。死因は特定されていないが、麻薬の大量摂取が原因とされているという。母親役のジャクリーン・ビセットは久しぶりに見た。かつてはキーラ・ナイトレイ同様、指折りの美人女優だったが、細かいしわが顔全体に刻まれていて、あまりと言えばあまりの老けよう。61歳だから仕方がないのだが、それにしてもこんなに老けるとは驚きである。
■ 31年ぶり日本一
きょうだけは野球らしくなった。昨日まではロッテのバッティング練習みたいな内容だった。試合勘がどうの、プレーオフの制度がどうのという声があり、確かにそれはそうなのだが、去年の中日−西武は第7戦まで行ったし、中日は第2戦で11点取って勝っている。阪神の調整ミスが大きな敗因なのは否定できない。ゲッツーがあれほど多くてはどうしようもない。采配も悪かったのでしょうがね。
短期決戦の場合、流れを変えるのは容易ではない。だから3連敗の後の4連勝というのは過去に2度しかないのだろう(1986年の西武−広島は第1戦が引き分けで、その後西武が3連敗の後4連勝している。これを含めると、3度になる)。
2005年10月27日 [Thu]
■ 「楽天市場」個人情報流出、店舗の元社員を逮捕
そうか、こいつが犯人か。よくも僕の個人情報を…。おかしかったのはTBSのニュース専門チャンネルNEWS BIRDでこのニュースを繰り返し流していたこと。このチャンネルはいつも同じニュースを何度も繰り返しているのだけれど、楽天だったから、力が入っていたと思うのは気のせいか。被害者の楽天への怒りまで取材していましたからね(この女性被害者、健康器具を買ったそうだ。たぶん、僕と同じラテラルサイトレーナーでしょう)。楽天自体のミスではなく、店舗側のミスなのだが、まあ、楽天も管理責任は逃れられないでしょう。
2005年10月28日 [Fri]
■ プライズマスターズ
郵送で海外宝くじの案内が来る。以前も別のやつが来たことがあったような気がするが、こういうの、海外宝くじ商法と言うらしい。国民生活センターのダイレクトメールを使った「海外宝くじ」に注意!には「日本国内で海外宝くじの販売・取次ぎ・授受を行うことは、刑法187条で禁止されており、消費者が海外の業者と直接取引をした場合においても同条が適用されるとの見解があります」とある。買うことも違法なわけか。
それにしても、楽天以外でもどこかで、住所と名前が漏れてるようだな。
2005年10月30日 [Sun]
■ [MOVIE] 「ティム・バートンのコープス ブライド」
ティム・バートン監督のストップモーション・アニメーション。子供を連れて日本語吹き替え版で見た。だからオリジナルの歌の良さやジョニー・デップ、クリストファー・リー、ヘレナ・ボナム=カーターなどのセリフ回しなどは楽しめなかったのだが、それでもそれなりに面白い(欲を言えば、吹き替え版であっても歌だけは原曲を使ってほしいと思うが、子供のことを考えれば無理なのかもしれない)。個人的には「チャーリーとチョコレート工場」よりもこちらの方が好きである。物語を過不足なく(ストップモーション・アニメとしては大作の1時間17分に)まとめた作りは見事。ダークな雰囲気の中でクスクス笑わせながら温かいストーリーを語るのはバートンらしく、それを忠実にアニメ化したのが共同監督のマイク・ジョンソンなのだろう。完璧なアニメーティングと構図に加えて、セットの造型も細かく丁寧である。良い出来だと思いつつ、何だか物足りない思いも残るのはこれがチョコレート工場同様にファミリー向け映画だから。もちろんだからこそ、子供を連れて行ったのだれども、「スリーピー・ホロウ」「バットマン リターンズ」のようなバートン映画が好きなファンとしてはファミリー映画ばかり作らず、次作こそは大人向けの映画を作ってほしいと切に願う。
結婚を翌日に控えた青年ビクターが森の中で誓いの言葉の練習をしたために死体の花嫁(コープス・ブライド)エミリーと結婚する羽目になる。親が決めた婚約者ビクトリアを一目で好きになっていたビクターはさてどうする、というシチュエーション。ビクターの両親は成金で、ビクトリアの家は金庫がスッカラカンの貧乏貴族。富と名声をそれぞれに欲した両親が進めた結婚話だったが、ビクターのナイーブさとビクトリアの清楚さはそれぞれが惹かれ合うのに十分な理由を持っている。一方、エミリーは幸福な結婚を夢見ていたのに結婚してすぐに夫から殺されてしまった過去がある。この3人の善良な三角関係に絡んでくるのが正体不明の男バーキスで、この映画唯一の悪役である。生者か死者か、ビクターはどちらを選ぶのか。普通なら生者を選ぶに決まっているが、映画は死者の世界を明るいカラーで、生者の世界はモノクロームに近いくすんだ色合いで描き、死者の世界のデメリットを打ち消している。バーキスの存在は三角関係の解消による切なさを和らげる方向に働いており、この脚本、なかなか巧妙だ。つまり、結ばれた2人だけでなく、取り残された1人にも満足感が得られる構造になっているわけである。
ストップモーション・アニメの常で技術的な部分についつい目が行ってしまう。「キング・コング」(1933年)の昔からストップモーション・アニメはどこか動きにぎこちない部分が残るものだが、この映画、一瞬、CGではないかと思えるほど滑らかな動き。花嫁のブーケやドレスが風に揺れるシーンなど極めて自然である。この撮影、なんとデジタル・スチール・カメラが使われたという。スチール・カメラの画像を1秒間に24コマつなげれば、確かにアニメになるのだが、その作業は想像を絶するほど根気のいるものだろう。いや、ストップモーション・アニメは元々根気のいるものであり、画像の処理がデジタルならば簡単にできるという利点は確かにあるのだが、スチールを使うというのは普通は考えない。これはもう気分的なもので、ムービーカメラを使ったにしても一コマずつ撮っていくしかないのだから、スチールで撮ったって別に構わないのだ。編集もパソコンでできるメリットがある。そうした技術的な部分を映画からは感じさせないのが良いところで、技術が物語を語る手段に収まって前面に出てこないのは好ましい。
2005年10月31日 [Mon]
■ [MOVIE] 「四月の雪」
省略が洗練を感じさせ、寡黙さが余韻を生む。描写によって物語を語るのが映画の基本とすれば、ホ・ジノの演出は映像表現の高度な部分を兼ね備えている。セリフで心情を説明するような野暮なことはしていないし、単なる不倫を純愛とも悲恋とも声高に主張したりはせず、ただただ2人の行動を静かに綴るのみだ。これが唯一崩れるのは主演の2人が交通事故死した若者の葬儀に行く場面。ここの類型的な演出は映画のトーンから浮いている。ここは2人が心を通わせる契機となる場面なので、なおさら慎重な演出が必要だっただろう。描写のあまりの自然さは逆に多少の不満にもつながっていて、物語にもう少しひねりを加えてくれないと、日常的な描写ばかりでは一般的な面白みには欠ける。物語をどう表現するかにホ・ジノの関心はあり、物語自体をどう面白くするかに心を砕いてはいないようだ。もちろん、そういう映画の方法もあるので、これは単に好みの問題なのだが、それならば、所々にウェットなピアノ曲など流さない方が良かったと思う。意識的に劇的効果を廃するのならば、音楽は最小限にとどめた方が良かった。
最も残念なのは、これは監督の責任ではないけれど、韓流ブームの中核的な映画としてパッケージングされていることだ。主演がペ・ヨンジュンである必要はなかったし、そうでない方が下手な反発にはさらされず、映画の本質は見極めやすくなっただろう。
キネ旬10月上旬号のインタビューでホ・ジノはヨンジュンについて、こう語っている。
「後半になって、インスが能動的に動くのが難しい状況に追い込まれてからは、私はもう少し間接的で深みのある演技をしてほしかったけれど、俳優としては何か積極的に動ける表現がしたかったようです。これは私の映画に出演する俳優たちが共通して持つ希望ですけれど……」
感情表現を俳優にはできる限り抑えさせ、それを別の描写によって表現するというホ・ジノの方法がヨンジュンには理解できなかったらしい。ヨンジュンが溌剌とするのは不倫の一線を踏み越えた後に見せる笑顔であり、この脳天気な笑顔がヨンジュンという俳優のキャラクター的限界を表しているように思う(「スキャンダル」の時のようにメガネを外せば何とかなったか)。監督の意図を理解できなかったのは“韓国の宝石”と称されるソン・イェジンにも言えることかもしれない。得意の泣く演技を封じられたイェジンはそれによって、別の魅力を引き出されることになった。ヨンジュンと会う前にシャワーを浴びる女心やベッドシーンのエロティシズム。清純さとは異なるそうした大人の女の魅力をイェジンは見せており、クロースアップを多用した撮影がそれを余すところなく伝えている。
ホ・ジノはこの映画を長く撮ってたくさん切ったという。無駄な部分を切りつめていく作業こそが洗練を生む。それをよく理解しているのだと思う。饒舌を廃した寡黙な映画。かつてはそういう映画が邦画にもあったが、今はほとんど見かけることがなくなった。しかし、この何ということもないストーリーの映画を支えているのはそうした方法論なのである。ほとんど純文学のノリに近いこの方法では大衆性を得ることは難しいと思う。だからといって、ホ・ジノの価値が損なわれることがないのもまた確かなことではある。